【百合SF短編小説】ロジック・ブルーの恋人 ~朱雀網の向こう側~

藍埜佑(あいのたすく)

序章:ロジック・ブルーの捜査官

 私の世界は論理ロジックでできている。


 私の名前は来栖アキラ。

 精神保安局特殊事案捜査課所属、階級は警部。この西暦2242年の帝都東京で頻発する不可解な精神崩壊ロスト事件の捜査を担当している。


 この時代、人々の精神は朱雀網すざくもうに常時接続されている。思考は最適化され、感情は標準化される。社会の安定と調和のため――それがこの世界の絶対的な正義だった。朱雀網の名は古代中国の四神の一つ、南方を守護する火の鳥に由来する。炎で全てを浄化し、灰の中から新たな秩序を生み出すという思想が込められていた。


 だが時折、その完璧な調和からこぼれ落ちる者がいる。


 何の前触れもなく、論理的な脈絡もなく、自らの精神を内側から破壊していく。システムはそれを原因不明の「バグ」と断定し、ただ記録するだけ。私の仕事はその「バグ」の発生原因を突き止め、除去することだった。


 朱雀網のアーキテクチャは、量子コンピューティングと生体神経網を融合させた革新的なシステムだ。人間の脳から放出される微弱な電磁波を量子もつれ現象によって収集し、集合無意識レベルで情報を共有する。理論上は完璧なユートピアのはずだった。


 しかし私は最近、微細な違和感を覚えていた。同僚たちの表情に宿る空虚さ。街を歩く人々の画一化された歩調。まるで精巧に作られたアンドロイドのように見えることがあるのだ。


 局内で私は少し浮いた存在だった。同僚の女性たちは私を遠巻きに「男装の麗人」などと囁き合う。その意味が私にはよく分からない。私はただ私が最も心地よく機能的だと思う格好をしているだけだった。


 身体のラインを拾わないジル・サンダーの黒のセットアップ。インナーはアレキサンダー・ワンの白いシルクシャツ。髪は短く切り揃え、メイクはほとんどしない。香水もつけない。ただ唇にだけNARSのディープローズのリップを薄く引く。それはお洒落のためではなく、私という個体を社会に対して明確に定義するための記号のようなものだった。


 思考を曇らせる装飾は私には不要だった。


 私の捜査スタイルも同じだった。感情を排し事実とデータを積み重ね、ただひたすらに論理的な帰結を導き出す。数理統計学を駆使し、行動分析を行い、全ての可能性を確率論的に検証する。まるで人間版のシャーロック・ホームズのように。


 だが今回の連続ロスト事件は、私のその完璧なはずの論理を嘲笑うかのように全ての法則をすり抜けていった。


 被害者は三人。

 職業も年齢も生活環境もバラバラ。

 データマイニング技術を使って共通項を探ったが、統計的に有意な相関関係は見つからない。


 共通点はただ一つ。


 彼らは皆、ロストする直前、古いアジアの神話に登場する月の女神の名を口にしていた。


「――ツクヨミ」


 それは私の理解を超えていた。私の青いロジックの世界に投げ込まれた一滴の黒いインク。捜査は完全に行き詰まっていた。


 私はその夜、自分のアパートで一人、ベートーヴェンの「月光ソナタ」を聴きながら事件ファイルを見返していた。音楽は朱雀網を通じて配信される最適化されたバージョンではなく、古いCDプレーヤーで再生した生の音だった。なぜかその方が心が落ち着くのだ。


 窓の外には東京の夜景が広がっている。無数のネオンライトが朱雀網のデータフローを可視化したかのように明滅している。美しくもあり、どこか虚ろでもあった。


 私は自分の感情を分析してみた。焦燥感、困惑、そして??好奇心。この事件の背後に隠された真実への純粋な好奇心があった。それは朱雀網による最適化を免れた、生の感情だった。

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