第25話 チーズって噛みきれない


 王都を出てから約2週間。

 ネネユノは臀部が強く揺すられる感触で目を覚ました。


「おーーーい、朝だぞ朝! さっさと飯食って出発するぞー」

「ちょっとクロー。お尻を揺するなんてセクハラよセクハラ。しかも足でなんて!」

「そ……っ、そうだな?」


 ネネユノがごろんと転がって仰向けになると、真上には大木がわさっと枝を広げて光を遮っている。といっても、葉っぱの隙間に見えるその光は燃えるようなオレンジ色なのだが。

 いたるところから鳥の鳴き声が聞こえてくるが、どれも「ホーゥホーゥ」と夜の声だ。消えかかった焚き火から焦げた木の匂いが漂う。


 目的地はもう目と鼻の先だ。人があまり来ない場所らしく、足元は悪いし遭遇する魔物はやけに強い。昼夜がひっくり返った生活もネネユノをかなり疲労させていた。


「おはよ……」

「ほれ、ふたりとも早く支度しろー」


 むくりと身体を起こす。ファヴはもう日課の準備運動をしているようだ。ハッハッと漏れる吐息に合わせて剣が風を切る音が聞こえてくる。


 ファヴもクローも、ネネユノやシャロンをギリギリまで起こさずにいてくれるし、身支度を整える間に野営道具を片付けてもくれる。なんて紳士たちであろうか。アカロンのパーティーでは体験したことのない待遇だ。


「昼寝て夜起きるとか、なんか私までアンデッドになった気分だ」

「わかるわ。夜寝ないとお肌が荒れるのよねぇ」

「誰も見てね――痛いぃッ!」


 このあたりはアンデッドが多い。アンデッドとは、命が失われているのに活動しているものの総称である。特にこの地に多いのはゾンビやスケルトン、それに亡霊だ。

 アンデッドの多くは夜間に活性化するため、寝込みを襲われないように夜こそ活動する必要がある、というわけだ。


 クローがネネユノとシャロンにスープの入ったカップと、チーズを乗せて火であぶったパンを差し出した。スープは水に塩漬け肉と野菜を入れて温めただけの簡単なものだが、肉の品質が良いため大変に美味である。


「うんまぁー!」

「パンの焼き加減も最高よ。ほら見て、チーズが」


 シャロンがパンをふたつに割ると乳白色のチーズがモチィっと伸びた。


「さっすがクローさんっすね!」

「よ! クロー料理長!」

「兄貴の用意した材料がいいだけだけど、もっと褒めていいぞ」

「アンデッドばっかりじゃ食材を現地調達するのも大変だし、グリーンベル伯爵には頭が上がらないわね」

「オレを褒めろって言ったんだけど?」


 アンデッドは戦いづらい相手だ。亡霊は基本的に実体を持たないし、そもそも奴らは「死」という概念を超越している。聖職者が同行していれば楽になるというが、このパーティーにはもちろん聖職者などいない。

 にもかかわらずここまでの道程が順調だったのは、ひとえにネネユノ以外の3人が頼もしいからであろう。


 日課の運動を終えたファヴがやって来て、焚き火のそばに何かを放り投げた。そのまま、慣れた様子で荷物を片付けていく。


「え、ちょっと。ゾンビ置いていかないでよ。食事中だっていうのに!」

「ネームタグが付いてるだろう? 拾っておいてくれ」

「だから食事中だって言ってるでしょ! ユノちゃん、あっち行きましょう。クローよろしくね!」

「仰せのままに、お姫様」


 この森は獣道ばかりでまともな道はない。少なくとも数年は人間の訪れがほとんどないと考えられる。来たとして、ネネユノたちのような少人数が迷い込んだ程度のことであろう。


 その割に、アンデッドたちはネームタグを付けていることが多かった。それが不思議ではあるものの、答えは出ない。

 手際よく毛布などをまとめ終えたファヴが地図を片手にやって来た。


「今日は川沿いを行く。この辺りから上流に向かって少し行くと両脇にちょっとした崖が」

「ちょっとした崖」

「その崖のどこかに横穴のようなかたちでダンジョンの入り口があるそうだ」


 乳白色のチーズは酸味がほとんどない。ネネユノのお気に入りのチーズだ。パンにはこのモチモチしたチーズを乗せて、ちょっぴり塩胡椒を振って食べるのが一番である。

 もちもちもちもち。

 チーズばかりが口に入る。手の中には裸にされたパン。悲しい。


 シャロンがネネユノの口からぶら下がったチーズをフォークで巻き取って、パンに乗せてくれた。いい母親になりそうだと言いかけてやめる。以前にもそれで叱られたからだ。


「今日はダンジョン侵入の予定だし、途中ではできるだけ敵に遭わずに済むといいんだけどなぁー」

「せめて実体持ちがいいわよね。クローの魔力は取っておきたいわ」

「アンデッドが多いのは知ってたんでしょ? 聖職者連れて来たらよかったんじゃないの?」


 ネネユノの問いに3人が顔を見合わせる。

 そりゃあ、聖職者を連れて来るというのはネネユノが戦力外になるという意味でもあるのだが。


 実戦を通して新しい時魔術を練習できたし、ネネユノにとってはいい経験になったが、非効率であることには変わりない。

 首を傾げたネネユノの頭にファヴがぽてりと手を乗せた。


「聖職者がいない意味はもうすぐわかる」

「そなの?」


 果たして。それはすぐにわかった。

 目的地であるダンジョンの入り口は谷底ということもあってジメジメしており、吸血コウモリが飛び回っている。狼系の魔物が物陰からこちらの様子を窺っているし、その真上ではカラスがギャーと鳴きながら弧を描いて飛んで……と、とても居心地が悪い。


「早く入りましょうよぅ」

「ユノちゃん、これ、魔法陣が浮かんでるのわかるか? 聖性拒絶だぜ」

「聖性……?」


 言われてみれば魔法陣っぽい何かがある。扉の代わりとでもいうように、崖の横穴に浮かんでいるのだ。


 しかしネネユノはそれどころではない。足元を蛇が這っているのだ。

 天敵である。動いている様は本当に気持ちが悪い。素早く動くのも気持ちが悪いが、獲物を狙ってゆっくり近づいてくるときと言ったら。

 ずっと目視していても、まるで動いているようには見えない。なのに、気づけばすぐ近くにいるのだから本当に本当に気持ちが悪い。


「この聖性拒絶のせいで聖職者はもちろん、聖魔法を習得した者は誰も入れない。さらに聖魔法のスクロールを持っていても入れない」

「徹底してる……だから私だったん――ぎゃっ! 何するんですか!」


 蛇から逃げるようにうろちょろと歩き回るネネユノの体が突然宙に浮いた。ファヴが抱え上げたのだ。


「蛇が怖いんだろう?」

「……もうちょっと女性らしい扱いをですね」

「ま、何はともあれ入っちゃいましょうよ。これ以上魔物に囲まれる前にね」


 それもそうだ、と全員がシャロンの言葉に同意。

 まずはファヴが一歩を踏み出した……のだが。


「む」

「早く入れよ」

「いや」

「まさか入れないの? あなた聖職者……じゃないわよね」

「違う」


 違うと主張はするものの、ファヴのつま先は結界に弾かれたままであった。



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