第24話 お酒は美味しいし空は綺麗


 数百数千いるような王国兵と違い、月侯騎士団は総勢19名という少数精鋭の集団である。

 そのため年齢も性別も関係なく全員がひとつの宿舎で生活しているのだが、少数精鋭であるが故に、全員が顔を合わせることは滅多にない。


 ネネユノたちが王都へ戻った際には入れ違いで3人が調査のために出発し、数日後に5人組がイポトリルを抱えて戻って来たが、さらに2日たって別の任務でいなくなった。

 今この宿舎にいるのはネネユノたちだけであり、夜はとても静かで長い。


 王都へ来てから約10日。ファヴはたまに宿舎内に気配を感じることはあるものの、顔を合わせてはいない。明日が出発だと言うのに、である。

 ネネユノは風呂上がりの火照った身体を冷まそうと、自室の掃き出し窓からバルコニーへ出た。

 真下には練兵場や厩舎があり、左手に狩猟用の森、右手側には庭園が広がっている。森も庭も、どこまでも続いているかに感じられた。


「お姫様みたいだ」


 溜め息交じりに呟く。


 孤児院時代は6人でひと部屋だったし、冒険者になってからもずっと狭くて綺麗じゃない宿にばかり泊まっていた。

 バルコニーなんて、王族や貴族だけの特権だと思っていたから不思議な気分だ。


「何がお姫様みたいなんだ?」


 聞くと安心感を覚える、そんな声がした。しかも頭の上から。

 頭を真後ろに倒して上を見ると、宿舎の屋上にファヴの姿があった。元気そうだ。


「どうやってそこに上るの」

「東側に階段がある」

「うゎ、ここからだと大回りだ。近道はない?」

「ない。……が、道を作ることはできる」


 言うが早いか、ファヴはネネユノのいるバルコニーへふわりと飛び降りた。ネネユノが何か言うより先に彼女を抱え上げる。


「しっかり掴まっていてくれ」


 そう言いながら壁装飾モールディングや隣室の窓の出っ張りコーニスを足掛かりに慣れた様子で上っていった。


 あまりにスムーズな経路選択に、ファヴ本人も裏の階段は使っていないのでは?と、ネネユノは彼の首に必死に掴まりながら訝しんだ。


 ファヴは屋上に到達してネネユノを下ろすと、その場に座り込んでしまった。ネネユノも隣に腰を下ろし、ぐるりと屋上を見渡す。何もない。

 が、目の前にはファヴが用意したと思われるワインが1本と、銅のゴブレットがひとつあった。


「お酒だ」

「明日から大事な任務だからな。俺は任務の前には必ず飲むようにしているんだ」

「どうして?」

「酒は材料だけじゃなく、手間をかけることが出来の良さに繋がる。さらに気温などの運も絡む。だから、このワインのようないい仕事ができるように……という、まぁおまじないだな」


 ファヴは瓶底を床に何度か叩き付けて、あっという間にコルクを抜いてしまった。コポコポと軽快な音を立てながらゴブレットに酒を注いでいく。

 その光景にネネユノは幼い頃の記憶が刺激された。


「パパも同じようなこと言ってました。酒を飲むといい仕事ができるんだって。でもパパは毎日お仕事だから、毎晩飲んでたけど」

「へぇ……。なんの仕事を?」

「冒険者。お酒飲みながら剣の手入れをするのが日課」

「はは。ユノのお父君となら、いい酒が飲めそうだな」


 そういえば、ネネユノを置いて行った前夜は飲んでいなかった。飲まなかったから失敗したんだろうか。だから迎えに来なかったんだろうか。

 ネネユノが上下するファヴの喉をぼんやり見つめていると、彼はワインを注ぎ足してゴブレットをネネユノへ差し出した。


「ユノも飲むといい。任務の成功を祈って」

「ん」


 華やかなぶどうの中に、ツンとする酒精の香り。

 恐る恐る口に含むと甘さが口いっぱいに広がった。


「わぁ、美味しい」


 安心してもうひと口。

 後味にはほんのり苦みがあるものの、それが逆に後を引く。ふた口目を飲み下した頃にポカポカと身体が温まってきた。涼むために外に出たはずなのに、頬は一層熱を持つほどだ。


「酒はあまり強くなさそうだな」

「わかんない。でも美味しい」

「俺の分まで飲むなよ」


 そう言ってファヴがネネユノからゴブレットを取り上げてしまった。

 むぅ、と頬を膨らませていると、ファヴがジャケットを脱いでネネユノの背後の床に広げた。


「転がって空を見るのも気持ちがいい」

「はぇー」


 言われたとおり寝転んでみると、確かに空には星がたくさん瞬いている。

 星空を眺める目的で眺める、なんて初めてのことだ。


 あの星の時間を止めることはできないと本能でわかる。自分の力の及ばないことが多すぎ……いや、自分の力が及ぶことのほうが少なすぎると言うべきか。

 空を見ているとそれを思い知らされる。


「クローに教えてもらって、少しずつ魔力の放出が上手くなったんだ」

「報告は受けている。新しい魔術も覚えたとか」

「新しいっていうか、今まで感覚でやってたことなんだけど。どうしてそうなるのかがわかったから、応用っていうか、活用の幅が広がったっていうか」

「活躍を期待しておこう」


 隣にファヴも寝転んだ。

 見れば整ったファヴの横顔がすぐ近くにあって、なぜか心臓が大きくひとつ跳ねる。酒か。酒の影響か。

 こんな状況は野営を繰り返せばいくらでもあることなのに、ネネユノはなんとなくこの瞬間が特別なもののような気がした。


「ファヴは最近なにやってたの?」

「故郷について調べていた。なかなかまとまった時間がとれないからちょうどよかったよ」

「故郷?」

「12のとき、俺は剣技を買われて遠縁の家に引き取られた。新しい環境に慣れた頃、故郷に手紙を出そうとしたら……そんな町は存在しないと言われた」


 なにそれ、と言おうとしてネネユノは口を噤む。

 ファヴも「なにそれ」と思ったから調べているんだろう。


「ご、ご両親は?」

「両親も跡形もなく存在が消えてしまった。養父母も遠縁などではなく、仲介人を通して俺を引き取った赤の他人だったらしい」


 ひときわ明るい星がひとつ、空を横切るように落ちていった。

 ネネユノは半身を起こし、ゴブレットにワインを注ぐ。一気にあおってから再びワインを注ぎ、ファヴに差し出した。


「飲も!」


 くしゃっと顔を歪めて笑うファヴは、どことなく泣いているようにも見える。もしかしたらネネユノも泣いていたのかもしれない。



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