第19話 古い写真
民家に帰り、すぐにでも眠りにつきたいところではあったが、一晩中海の真ん中にある岩に立っていたこともあり、体中は塩でべとべとだった。せめてシャワーで体を流してからにしようという話となり、陽菜が先に風呂場へと向かう。
確かに鳥待ち岩の由来には肝を冷やされたけど、僕としては志乃があの後無事に帰ったことが聞けて一安心だった。滑稽に思えるかもしれないけれど、僕は最初に志乃にあった時、幽霊なんじゃないかと疑っていたくらいだ。
陽菜がシャワーから出てくるまでの間、僕はスマホを開き、この数日で撮った写真を確認していた。順々に写真をスワイプしていく。
昨晩撮った写真、あの鳥待ち岩の上から海を撮った写真だ。中央ではしゃぐ陽菜。その向こうの海にはウミホタルの発光する鮮やかな光が写されて……
今初めて気づいたことだ。青白い光が写っているのは一面の海面だけではない。
はしゃぐ陽菜の周りも、ぼんやりとした小さな青白い光が六、七点ほど浮かんでいる。これはもしかして都市伝説のホタルなんだろうか?
空中に浮かぶ光源をピンチアウトしていく。そして、限界まで大きくしたその光の中心に、うっすらと中年の男性の顔のようなものが写り込んでいることに気が付いた。あまりにもぼんやりとしたもので、単にそう見えるだけと言えばそれまでだが、やはり少し気になり、他の光源に関しても同じように拡大していく。と、その時、スマホの画面が急にブラックアウトした、と同時に居間の照明が面滅しながら消え、完全な沈黙と暗闇が訪れた。
慌てて立ち上がろうとするが、どういうわけか身動きが取れない。
その時、何者かの手が俺の両足首をぐっと掴んだ。ごつごつとしたたくましい手だ。ただでさえ筋肉質とは言い難い僕なんかの力で抵抗するのはむずかしいと感じられるほどの手だ。陽菜のものであるはずがない。
その手は炎に焼けただれているかのように熱気を帯びている。僕の両足を強く引き、そのまま僕は畳の上を数メートルにわたり引きずられていく。爪を立てて畳を掴もうとするがむなしくなすがままに引きずられ、手のひらがこすれて火傷をしたように熱い。脚をバタバタと足掻き、何者かの手首を足で蹴りつける。しかし靴すら履いていない素足の蹴りで怯むようなやわな手ではなかった。
さらに手はぐっと足を引き、更に僕は畳の上を数メートル引きずられる。Tシャツがめくれて地肌が畳の表面とこすれて熱い。どうすることも出来ない無力感にさいなまれる中、暗闇から声がする。
「達哉、起きなよ。シャワー浴びてきた方がいいよ」
目を開けるとそこにはパジャマに着替えた陽菜がいた。
「汗もかいてるし、塩も浴びてるんだから、寝るのは流してからにした方がいいよ」
「ああ、ごめん」
どうやら夢を見ていたようだ。僕はこの島に来てからいつも悪い夢ばかりを見ているような気がする。窓から差し込む朝日がまぶしく、よくよく考えてみれば部屋には初めから照明さえつけていなかったはず。それなのに照明が消えることなんてあるはずもなく、消えたところで部屋は明るいはずなのだ。まあ、夢なんて大概そういったもので、見ている途中にはそういった不自然に気づかないものだ。
「それよりも陽菜、ちょっとこれを見て」
スマホの写真を開き、鳥待ち岩で笑う陽菜の写真を出す」
「これが、どうかしたの?」
「ほら、この地上でもひか――」
言おうとして気づく。さっき見た時は地上で陽菜の周りに映っていたはずのホタルのような光源が消えている。いや、そもそもあれを見たところもすでに夢だったのか。
「だから、この写真がどうしたの?」
「……いや、よく撮れているなって思ったから」
「被写体がいいからね」
「僕の撮り方が上手いんだよ」
いいながら、ぱらぱらと撮った写真を見ていくときにふと気づいたことがある。
志乃の写真が一枚もない。確かに意図して撮った記憶もないのだが、あの狭い岩の上で三人でいたはずの志乃が、どの写真にも写っていないのはなかなかことだおおもと思う。どこかで隅にでも写り込みそうなものだ。
「それよりもシャワー、浴びてきなよ」
「そうだな」
浴室で熱いシャワーを浴びる。疲れている体を覚醒したかったのだ。しかし、熱いシャワーで足首がひりひりと痛みを感じる。よく見れば足首の皮膚がうっすらやけどをしているようだった。こんな場所が火傷する理由なんて……記憶にはない。
心当たりはあるが、それを認めたくはないというのが正直な気持ちだ。
シャワーを浴びて居間に戻ると、居間の隅には二人分の布団が並べられていて、なんだかんだと言っても陽菜がひとりで眠るのは怖いのだと物語っていた。自分から話すのは忍びないことだが、そうしてくれていることに安堵する。
陽菜はその淵にちょこんと座り、古びた写真を見ている。
「それ何の写真?」
「たまたま見つけたのよ。さっきグラスをとろうと思って食器棚を開けたら、奥に箱があって、その中に入っていたの」
テーブルの上には缶ビールと二つのグラスがあり、片方は空のままで、もう片方ににだけ注がれている。その隣によくあるキャラクターのイラストのついたクッキーの缶があり、そこに数枚の写真がある。どれも古ぼけていて随分色褪せている。
「この写真、見てくれる?」
そこに写っているのは、まだ少年少女。一人は志乃で、もう一人は……
「これ、達哉よね」
「そう、だな……」
写真を撮っている場所はあきらかに今陽菜と僕が座っているこの家の居間で、二人でならんでスイカを食べている写真だ。ほかの写真もだいたい同じ、僕と志乃が一緒に写っている写真ばかりだ。
「ずいぶんと仲がよさそうね」
「ここ、だよな」
「そうだと思う」
「記憶にないんだよな。僕が昔に寝泊まりした民家はこの家じゃなかったし、こんなふうに家の中で一緒に過ごした記憶もないんだ」
「忘れているだけなんじゃない?」
「そうかもしれないけど……」
フェイクの可能性も考えてみた。八年前くらいだと、今ほどAI技術も進んでいなくて、誰でも簡単に作ることはできなかったと思うし、そもそもこんなものをわざわざ作る必要も感じられない。それよりも、随分と古びた写真だとは思う。そもそも、八年前の写真をプリントアウトしていること自体に古さを感じてしまうのだが、確かに志乃はどこかこう風な感じがあるし、そういう懐古趣味的なものがあるんかっも知れない。
「少なくとも、志乃ちゃんからすれば達哉との思い出は大事だったんじゃないのかな? わざわざこんな箱に入れて大事にとっておいたんだから」
正直に言えば、あまり悪い気はしない。女の子が自分との思い出を大切にしてくれていたという話を嫌がる理由なんてないし、それが僕にとっても初恋の相手だというのならなおさらだ。
「そのわりにはこの家に置いて行ったままじゃないか」
「思い出を断ち切るために、あえてじゃない?」
「もうどうでもよくなった過去の話だからだろ?」
「志乃ちゃんを見るからには、まんざら過去の話でもなさそうなんだけどな」
「もうよしてくれよ、その話題。さすがに何年も前の話で、今の僕にはそういう感情はないよ。ずっと気にしていたのは過去の出来事に対する罪悪感があったからだ。
それも昨晩ようやく解消できて、前に進めるような気がしているんだから」
「じゃあ、もし今志乃ちゃんに告白されたとしても断る?」
「断るよ」
「おっ、言い切ったね。もしかして、既にほかに好きな子がいるとか?」
「……いるよ」
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