第18話 鳥待ち岩の由来

「君、最低だね」と陽菜は蔑むように言った。「それで、そのまま今日までほったらかしだったの?」


「父が村中に電話をして回ったんだけど、志乃という女の子を知っている人はどこにもいなかった。炭鉱の中も探してくれたらしいんだけど、どこにもいなかったらしい。父は、志乃という少女は僕が見た幻覚だと言った。そういうことなんて、世の中にいくらでもあると。

 当時は僕も、きっとそうなんだと思い込んでいた。いや、違うかな。自分の罪悪感を打ち消すために必死にそう思い込んで、志乃のことをいなかったことにしようとしたんだ。

 だけど、それから数年して、僕にもいろいろなことがわかるようになった。それで気づいたことがある。志乃のことを誰も知らないと言ったのは、志乃が島の子じゃあなかったということだ。当時観光客なんてほとんどいなかったこの島で出会った女の子だから、僕が勝手に島の女の子だと思いこんでいたに過ぎない。それに、島の住民が炭鉱の奥を捜してくれたっていうけれど、島の住人のすべてがあの奥の通路を知っていたんだろうかという疑問。あの入り口を閉めた人物と、探してくれた住民とが別の人物であれば、あの狭い奥の方までは探すどころか気づかない可能性だってある。だから僕は、志乃はまだあの通路の奥にずっと閉じ込められたままなのかもしれないと考えたんだ。この島に来て志乃と再会するまで、僕はずっと志乃を殺してしまったと思い込んでいた」


 現に志乃は、この島の住民ではないらしい。この島の大地主である細川家の娘であり、細川家の本宅はすでにこの島にはなく、本土に移り住んでいるらしい。


 その話を聞いても志乃は自ら何も語ろうとはしない。僕に対し、ひたすらに懺悔を求めているのだろうか。


「今更、許してほしいだなんて無責任なことは言えない。でも、ひとことあやまらせてせてほしいんだ。志乃、あの時はすまない」


 志乃に向かい頭を下げる、志乃は眉ひとつゆがめることなく淡々と答えた。


「達哉君は、なにを謝っているの? 達哉君は何も悪くないじゃない。わたしが、手を握っていることができずに、はぐれてしまっただけのことでしょ?」


「でも、僕が――」――そうだ。現に志乃はこうしてここにいる。僕は確かに志乃を置き去りにしたけれど、殺してしまったわけではない。


「志乃は、あの後どうやってあの炭鉱から抜け出したんだ?」


「あの通路にはね。秘密の抜け道があったのよ。これはとても大事なこと。ちゃんと覚えておいてね」


「抜け道が、あったのか……」


「偶然それを見つけたわたしは、そこから外に出たのよ」


「そうだったのか……でもやっぱりごめん。僕はもっと早く君に会いに来るべきだったんだ」


「でも、こうして会いに来てくれたのでしょう? わたしも、達哉君と話たいこと、たくさんあるんだ。だから、まだしばらくはこの島にいてね」


「ああ、そうするよ。もう少し、この島で調べなきゃいけないことがあるから」


「蛍のことね」


「そう」


「応援しているわ。わたしに手伝えることがあったら何でも言ってね」


「ああ」


「それじゃあ、わたしはそろそろ……」


 志乃は立ち上がり、海に背を向けた。夜は白々と明け始め、いつの間にか潮が引き、港へと続く陸地が見えるようになっていた。

 歩き始める志乃の背中を見送りながら、「それじゃあ僕たちも――」と言おうとしたところで陽菜が僕の手を引っ張った。


「あたし達はもうしばらくここにいるから。それじゃあね、バイバイ」


 陽菜が志乃の背中に向けて手を振ったが、志乃は振り返ることもなく歩き続けた。見る相手のいない手はゆっくりと動きを止め、再び志乃に背を向けて海を見た。

 僕の手を引く陽菜の手のひらが汗で滲み、僕はその生ぬるい不快感を共有した。


「ねえ、達哉はもしかして、今でも志乃ちゃんのことを好きなの?」


「いや、好きとかそういうんじゃないよ。たしかに当時は初恋だったかもしれないけれど、その想いでの大半は罪悪感にさいなまれていたんだ」


「でも、それはもう解消したじゃない」


「まあ」


「じゃあ、今。もう一度彼女に好きって言われたらどう?」


「どうって、もしかして陽菜は僕を志乃をくっつけたいのか?」


「どうしてそう思うわけ?」


「いや、なんとなくだけど」


「じゃあ、教えてあげる。そんな気持ちはさらさらないから。君が勝手に舞い上がって、変な想像をしているだけなんじゃないの?」


「陽菜……」


「それよりさ。あたし思ったんだけどね。さっきの話の中に、炭鉱の中で追ってくる青白い光があったでしょ?」


「ああ」


「確かに見たのよね」


「ずいぶん昔の記憶で、あてにはならないけど、僕の記憶の中ではそれは割としっかりと覚えている。でも、なにかの勘違いだとか、創り出した記憶なのかもしれない。あのくらいの年頃の子供は、よくそういうことがあるらしい」


「でも、達哉の記憶は正しかったじゃない。創り出した記憶なんかじゃなくて、ちゃんと志乃ちゃんと冒険をしていたみたいなんだから」


「まあ、そうだけど」


「でさ。その光って、件の都市伝説のホタルなんじゃない?」


「ああ、そういえば……ゆらゆらと揺れる光は、蛍に近いかもしれない」


「その時の達哉は暗い洞穴の中でビビっていたから、それを勝手に怖い何かだと思い込んでいたみたいだけど、わたしが聞く限り、幸運をもたらすホタルなんじゃないかな?」


「幸運をもたらす、というのは納得できないな。もう少しで死にそうだったんですよ」


「そうかしら。達哉たちは、ホタルに助けられたんじゃないかしら?」


「助けられた?」


「だってそうでしょ。達哉はその光から走って逃げた結果、ギリギリのところで閉じられる通路を通過できたんでしょ? もし、あの光がなければきっと達哉は閉じ込められていたと思うわ。それは、ホタルがもたらした幸運だとは考えられないかしら?」


「結果論からすればそうかもしれないけれど」


 腑に落ちない気持ちを引きずりつつ、僕たちも港のほうへ帰ることにした。


 朝日はすっかり昇り、あたりはすっかり明るくなっていた。上空には海鳥たちが戯れるように旋回している。


「さあ、ひとまず帰ってひと眠りしよう。受験勉強でもないのに夜を明かすなんて、本当にどうにかしてる」


 すっかり陸地になった港へと続く道を歩き、港の付近で島の住人だと思しき老齢の男性が通りすがりにこちらをじっと見ていた。


「おはようございます」陽菜が笑顔で挨拶をした。不審な人物ではないことをアピールしたかったのかもしれない。


 老齢の男性は僕たちに向かって言った。


「あんたら、もしかしてあの鳥待ち岩で夜を明かしたんか?」


「はい。潮が満ちて帰れなくなったものですから」


「そりゃあ、そりゃあ……なんぞへんなことやこーおきんかったか?」


「いえ、特には。あの、何かよくないことが?」


「あんたら島のもんじゃねえけえ知らんのじゃろうけえ仕方ねえけどな。あの島は夜には近づかん方がええんじゃ。なんせあの岩は、元々死体処理するところじゃけえな」


「え、死体、処理ですか?」


「そうじゃあ。昔はな、この島はそれこそぎょーさんの人がおった。元々炭鉱の島じゃけえ単身の出稼ぎみたいな男がほとんどじゃったけどな。まあ、身寄りのないもんばかりじゃし、炭鉱なんかじゃあ人が死ぬこともまあまあようあることじゃ。そいでな。炭鉱で死んだ身寄りのないもんの遺体はあの鳥待ち岩に置いて帰るんじゃ。そうしたらな、その遺体は海鳥が全部食べよるんじゃ。残った骨は軽いけえな、潮風にさらわれて自然に海に消えるんじゃ」


「知らなかったとはいえ、今から思い返せばぞっとするような話だな」


「そんな因習があったなんて全然知らなかったわ」


「因習ちゅうほどのもんでもねえわ。この辺の海やこうそんな話はどこにでもあるわ。だいたい、いちいち墓なんて立てとったら島は墓場だらけになるじゃろう。そんだけこの島では人が死んどるんじゃ。なにせ単身者がほとんどじゃけえこの島で生まれる子供やこうほとんどおらんけどな。言うてしまえばこの島自体が大きな墓みてえなもんじゃろ。あの鳥待ち岩のとこ、ウミホタルがようけえ見えるじゃろう」


「はい、あたし達もそれを見るのが目的で」


「わしらがまだ子供の頃はな、あのウミホタルは死んだ炭鉱夫たちの魂じゃって聞かされとったんじゃ。だってそうじゃろ? 海鳥に食われて骨になった後は、あの岩の周りの海底に沈むんじゃ。それが夜になると光りだすちゅうんじゃから、魂じゃ言われても違和感やこうねえわな」




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