第10話 悪夢

「だいじょうぶ? 随分うなされていたみたいだけど」


「うん、ちょっと油断していたら、思いのほか部屋が暑くなったみたいで。もうエアコンつけたから大丈夫だよ」


「なんだったら一緒に寝てあげようか?」


「子供じゃない」


「そう言う意味じゃなくってさ、なんていうのかな。遠慮しているみたいで」


「遠慮?」


「ほら、別々の部屋で寝るから、ふたつの部屋にエアコンをつけることになるでしょう? 達哉ってさ、そういうこと気にするタイプじゃん」


「もしかして、あの時のことを言っているのか?」


「覚えてたんだ」


「まあ」


 あの時、というのは去年の夏のことだ。旧校舎にはずっとエアコンがついていなかったのだけど、去年の夏にとうとうエアコンがついた。部活棟としてしか使われていなかった旧校舎には、文芸部とオカルト研究部以外にも、軽音楽部の部室があった。その軽音楽部の部員が練習中に熱中症で倒れ、病院に運ばれた。エアコンがついていないことを問題視する声が上がり、学校側はすぐにエアコンを設置することになったのだが、真相はヘッドバンキングをしすぎたことが原因らしい。そのとき君臨していた、やたらと変なところばかりに頭の切れる歌姫が、その原因を熱中症だと偽り、問題視する形で友人の生徒会長をそそのかして見事にエアコンを設置させたのだ。

 その恩恵にあずかり、文芸部やオカルト研究部にも同様に設置されたわけだが、基本僕は部室のエアコンをつけてはいなかった。時折オカルト研究部の陽菜が文芸部の部室に立ち寄ることがあり、その時にはエアコンをつけるようにしていた。


「倹約家だったよね。どうせ学校のお金なんだし、授業料も払っているわけだから遠慮なんてする必要もないのに」


「別にそういうことじゃないよ。エアコンの風邪がそんなに好きじゃないだけさ。窓を開けて時折そよぎこむ風が風情があって好きなだけだよ。でも、そんなのは平均的な意見ではないことを知っているから、他人に合わせるようにしていただけだよ」


 これは、嘘偽りのない本当の話だ。


「でもさ、それだけでもないでしょ。だってあたしがオカ研の部室に戻ろうとした時、よく言ってたじゃん。『今からオカ研の部室に帰ってエアコンをつけるのって無駄じゃない? 別に、このままうち(文芸部の部室)にいても構わないよ』ってさ」


 見事に痛いところをつかれた。それを言ったのは一度ではない。何度かにわたりそれを言うようになって、陽菜は貧乏くさいとよく茶化していたものだ。


「いや、なんというか、あれは……違うんだよ」


「わかってたわよ。そんなことくらい」


 その言葉に、少しばかりの恥ずかしさを感じる。


「ほんとは、何か理由をつけてあたしと一緒にいたかっただけなんでしょ」


 確かに、陽菜の言う通りではある。だが、きっと陽菜は僕の考えている本心とは違う意味で言っているのだろう。真実を告げるべきなのか、それともそういうことにしておいた方がいいのか、それが問題だ。


 陽菜がわざわざ文芸部の部室までやってきて僕に語る話は、決まってとっておきの怪談話を仕入れた時だった。陽菜はオカルトをこよなく愛するだけでなく,その話術においても一線を画すものがあった。抑揚のついた話し方と適切な擬音。それに話を聞きいらせるための物語の構成も完璧で、聞いている方としては実に怖くなるのだ。

 補足するのであれば、あの学校の旧校舎は以前より有名な心霊スポットでもあり、その怪異談は後を絶たない。噂によると先輩の中には学校の裏山から本当に複数の人骨を発見したことがあるのだとか。

 そんなこともある中で、飛び切りの怪談を聞かされれば、ひとりになりたくないというの頷いてくれるとは思う。


 だが、そのことを正直に話せば、きっと陽菜は僕をからかうに決まっている。それならば、いっそ陽菜のことが好きで、一緒にいたかったからだという、どうせ本気にされない理由にしていたほうがマシな気にも感じる。


「まあ、あの時は先輩のこと、まあまあ魅力的な女性だとは思っていましたからね」


「なによそれは。今じゃあそう思っていないみたい」


「えーっと、言葉を選ぶ必要があるのかな?」


「文芸部員なんでしょ?」


「それは僕に対するプレッシャーだよ。つか、今はお互い恋人同士(設定)なわけだし、魅力的かどうかではなく、もっとかけがえのない存在になったんですよ。魅力とか、そういう見識ではなく、安心というか、信頼というべきか」


「なるほど。まあまあ及第点ということにしようかしら。でもね、それならそれで、二人が別々の部屋で寝ているというのはおかしな話じゃない?」


「それを、今言いますか?」


「あーごめんね。ほんとのこと言うとさ、さっきからあたしもあーだこーだと言ってってるわけだけど、正直に言うとさ、一緒に寝てほしいって思ってるんだ」


「え?」


 どう反応してよいのかわからない。一緒に寝てほしいというのは、どういう意味で言っているのだろうかと、それをあえて相手に聞くということほど無粋な真似はさすがにできない。


 陽菜にしては珍しく、うつむいたままもじもじとしながら、目を合わせず恥ずかしそうに言った。




「あのね、実はさっき怖い夢を見たのよ。それで、ひとりで寝るのが怖いというか……」



 まったく。つくづく僕は馬鹿なやつだと思った。オカルト好きの陽菜が、怖い夢を見てひとりで寝るのが心細くなったというのは、彼女的には恥ずかしい事なのだろう。


「わかたったよ。そういうことなら一緒に寝よう。そのほうが、エアコンの電気代を節約できるからね」


 これは、我ながらに気の利いたジョークだと思ったんだが、陽菜のリアクションは何もなかった。


「うん、ありがと」と言いながら布団を僕と同じ部屋に移動させ、ぴたりと寄り添うように並べた」



「ところでさ、オカルト研究部の部長が怖いと感じる夢って、いったいどんな夢なの?」


電気を消してから、眠りに落ちるまでの気まずさを紛らわせるために、ついくだらない質問をしてしまったことを僕は後悔することになる。陽菜は、本来怪談話の達人なわけだが、今回に限っては抑揚もなく、擬音も使わず、淡々と夢の出来事の概要だけを告げる。


「あのね、あたしはどこかくらい細道を歩いているの。小さな女の子の手を引いているのよ。そのおんなのこは、お父さんを捜していて、わたしは一緒に探すけど、それでも見つからなくて、出口を見つけたの。とりあえずそこから出ようと思って振り返ったらね。その女の子がね……」


 陽菜はそこでいったん会話を止めた。僕はすでにこれ以上は聞きたくないと耳をふさぎたかったのだが、陽菜はやがてゆっくりとその続きを話し始めた。


「出口はふさがれ、あたしはたくさんの手に掴まれ、逃げられないままに炎で焼かれるの。夢なのに、本当に皮膚がちりちりといたくて、肉の焦げたにおいがするのよ。

 そのときね。聞こえたの『やめてくれ!』っていう声が、この部屋から。達哉のその言葉でわたしは夢から醒めることができた気がするのよ。

 もし、あの時達哉の声が聞こえなかったら、あたし、本当に夢の中であの炎に焼かれて目が覚めることはなかったんじゃないかって気がするのよ。だから、達哉はあたしの恩人……」


 

 そんなことが果たしてあるのだろうか?


 隣の部屋で、陽菜は俺と全く同じ夢を見ていたのだ。彼女が見た夢のあらましを、彼女は詳しく語ろうともしなかったが、その光景ははっきりとわかる。彼女が口にしなかった少女の表情までも、くっきりを頭に思い浮かべることができる。


 僕はそっと手を伸ばし、彼女の布団の中に滑り込ませ、そっと手を握った。


「だいじょうぶだよ。僕がちゃんとここにいるから」


「うん、ありがとう。こころづよいよ」


 本当は手をつないでほしいと思ったのは僕の方だ。陽菜がいてくれることが、その悪夢から逃れる唯一の救済法だと思った。


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