90話 ~崖の涙~

同じ頃、砦の中。

空腹と緊張で、騎士たちの士気は底を尽きかけていた。


晴れていた空が嘘のように、突然大雨が砦を打ちつける。

空腹に加えて雨で体温を奪われ、ますます気力が削がれていく。

綾菜はそんな状況に、苛立ちすら覚えていた。


「まま? 最近あまりお話してくれないね。」

甘えるようにミルフィーユが体にまとわりつく。

小さな温もりが雨の冷たさを和らげ、綾菜は少しだけ心をほぐされた。


自分の食事を少しずつ分け与え、ミルフィーユだけは満足させていた。

体の小さな彼女にとって、大人の半人前と綾菜の分け前で空腹はしのげる。

だが、綾菜自身は日に日に衰弱していく。


「こんな砦、もううんざり……。」

ぼそりと呟き、綾菜は裏手の崖を見上げた。


――ミルだけなら脱出できるかもしれない。

けれど、この崖の上に何があるのかは分からない。


雨に打たれながら、必死に生き残る方法を探す。

だが、どうしても妙案は浮かばない。


――ゆう君なら、どうするだろう。


自然と優人の顔が脳裏に浮かぶ。

どうしようもない時ほど、会いたくなる存在。

地上界でも、最後の最後で一番頼りになった彼。


綾菜は隣のミルフィーユをぎゅっと抱きしめ、不安を押し込めた。


* * *


その時――。


ドォン、と遠くで大きな音が響いた。

続けざまに砦のすぐ近くで轟音が鳴り響き、地面が揺れる。


綾菜はミルフィーユを連れて音の方へ駆け出した。

そこには人だかりができており、中心には粉々になった木箱と、大きな袋が転がっている。


「綾菜!」

シリアとシノが駆け寄ってきた。


「シリア、何があったの?」


「分かりません。あの袋が撃ち込まれたみたいです。」


「……なんだろう、あれ。」


その時、ミルフィーユが鼻をひくつかせた。


「おばあちゃんの匂いがします。」


「え?」

綾菜が目を瞬かせる。


「砦の近くでママが助けたおばあちゃんの匂いです。」

ミルフィーユはふわりと飛び上がり、袋に近づいた。


「ミル! 危ないから!」

制止も聞かず、彼女は袋を開け、中からプラムを取り出す。


「……プラム?」

綾菜が駆け寄り、その実を手に取る。

間違いない。村で売られていたあのプラムだ。


ミルフィーユは匂いで勘違いしたのだろう。


「おい、綾菜! それは何だ!?」

クルーガーとアレスが訝しげに叫ぶ。


綾菜は不安げな騎士たちを見て、クスリと笑うと、何の迷いもなくそのプラムをかぶりついた。


「お、おいっ!」

慌てるクルーガーをよそに、甘酸っぱい香りが口いっぱいに広がる。

砦近くで食べたのと同じ味。


もう一つ取り、ミルフィーユに渡す。

「ちょっと酸っぱいよ。」


ミルフィーユがかぶりつくと、顔をくしゃくしゃにした。

それを見て、綾菜はふっと笑う。


さらにもう一つ手に取り、今度はクルーガーへ放る。

「バーン!」


爆発音を真似る綾菜に、クルーガーは思わず掴みそこねそうになりながらキャッチした。


「お前なぁ……。」

恨めしげに睨みながらも、一口かじる。


「……これは、お袋のプラムだ……。」

呟きながら、彼は夢中で食べ始めた。

それを見た騎士たちも次々と手を伸ばしていく。


ドォン、ドォン――!


その後も、大砲の音と共にプラムが次々と降り注いだ。


状況を見たアレスが綾菜に近づき、問う。


「どういうことだと思う?」


「さあ……誰かが食料を送ってくれてるんでしょうね。」

綾菜は肩をすくめる。


「援軍か? ならば、戦に備えねばならんな。」


「そうだね。今日明日中には動きがあるかも。準備はしておいた方がいいかも。」

綾菜の言葉に、アレスも頷く。


「よし、倉庫の食料を全員腹いっぱい食え!」


久々の満腹に、騎士たちの士気が少しずつ戻っていく。


* * *


食事を終えた後、綾菜はミルフィーユと裏の崖を見に行った。

特に理由はない。ただ、最近ここに立つと落ち着くのだ。


その時、ミルフィーユが小さな指を崖の岩肌に向けた。


「……崖が、泣いてます。」


「え?」

視線を向けると、雨に打たれた岩肌から、無数の雫が静かに流れ落ちている。


その光景を見つめながら、綾菜の胸に、不安が広がっていった。


――決戦の時は近い。


優人と綾菜の距離――残り10キロ。

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