義理であるよ

 椅子の背にもたれながら、ラロワは一枚の写真を見ていた。正確に言うと新聞の切り抜きである。そこには帝国仮面が写っていた。


「この近くだったのかな……」


「ラロワくん、いる?」


 部屋の外からチミスの声がした。


「いないよー」


 ラロワはそう言うと、慌てて写真を缶箱の中へ入れ、その箱を懐の奥へ押し込んだ。その瞬間、チミスが入ってきた。


「いないよー、って……。いるじゃん。居留守使うんなら、もうちょっとやる気出してよ」


「俺じゃないかもしんないだろ?」


「声でわかるよ。ホント、意地悪なんだから」


「で? なんか用があんだろ?」


「あ、そうそう! ラロワくん、明日なんだって?」


「何が?」


「あの、帝妃様の……」


「あぁ。……って、え? 知らなかったのか? ……そういや、おめぇ、気ィ失ってたよな」


「誰のせいだよ」


 あの後、チミスは医務室に連れて行かれた。幸いにも大事には至らなかったが、ラロワはレビドにこんこんと説教を食らった。


 レビドがチミスの部屋を訪れたのは、ラロワに用があったからだ。帝妃への謁見の日取りが決まったのである。


 それを伝えにラロワの部屋を訪れたところ不在だった。そこでラロワの行きそうな場所を考え、至った結論がチミスの部屋だった。ラロワが後宮で唯一心を許しているのはチミスだ、と見立てていたからだ。


「おまえが弱すぎンだよ。もうちょっと強くなれ」


「君が強すぎるんだよ。よくそんな細い体であんな力が出るよ」


「よし。じゃあ、訓練の続きといくか」


「嫌だよ。もうあんな目に遭うのはごめんだ」


「じゃあ、何しに来たんだよ」


「いや……、特に何があって来たわけじゃないんだけどさ……」


 ラロワはチミスの、そんな困ったような顔をちょっと眺めた後、笑顔になった。


「心配で来たのか?」


「うん」


 予想に反して素直にそう即答され、今度は逆にラロワが困ったような顔になった。


「ば、バーカ……。おまえに心配されるほど、俺は落ちぶれちゃいねーよ」


「わかってるよ、そんなことは……。でも、なんか……、居ても立ってもいられなくなっちゃったんだ……」


 ラロワは改めてチミスの顔を眺めた。


「……よぉし。そんな居ても立ってもいられないおまえには護身術だ。特訓を施してやろう」


「え? いや、だからいいよ、もう……」


「うるせー! いいから特訓だ! 今夜は眠れないと思え」


「だって君、明日帝妃様に謁見するんでしょ? 徹夜なんてしたら……」


「さて、先ずは相手が足をこう、出して来たら……」


「ねぇ、会話しようよ」


 その後、特訓は深夜まで続いた。




「晴れましたな」


「都合が良い」


 レビドと、弟のルバデが連れ立って帝城内の公園を歩いている。二人とも胸には何やら正方形の箱を大事そうに抱えている。弁当である。


「今宵は月が綺麗ですな。それによく晴れております。宝石をばら撒いたような夜空になりましたなぁ」


「安いたとえだな」


「これはまた手厳しい」


 言いつつ、ルバデは笑った。


「昨日の御用は如何でしたか?」


「うむ。特に問題もなく済んだ」


「問題もなく……、ですか?」


「そうだ」


「結構な、騒ぎになっておりましたようですが?」


「些事に過ぎん」


「老人たちがまた、とやかく言ってくると思いますが……」


「いつものことだ」


「はぁ……。あ、ここらにしますか」


「ちょうど良いな」


 二人は池を眼下に望む、やや小高くなった、開けた芝の上に腰をおろした。明かりがところどころ灯され、夜の公園を浮かび上がらせているが、二人が選んだ場所はそんな明かりがちょうど届かない場所でもあった。座るなり二人は早速弁当の蓋を開けた。


 しばらくは二人、無言で弁当に箸をつけていたが、おもむろにレビドが口を開いた。


「帝妃様をすげ替えようという動きがあると耳にした」


 ルバデの箸が一瞬止まった。


「ご冗談を」


 しかし笑って、再び箸を動かした。


「もしそうなら、多忙であるおまえをわざわざ食事に誘ったりはせん」


「……確かなのですか?」


「話が出るだけでも問題だ。枢密院の方はどうだ?」


「特に、そのような兆候は見られておりませんが……」


「そうか……」


「やはり、『三十問題』でしょうか」


「理由があるとすればそれだろうな。あとはエノフェ家の転覆か」


「まぁ、それは今に始まったことではありませぬが」


 と、ルバデは笑いながら一口頬張った。


「年齢を問題にしたところで代わりはいるはずなかろう。後宮もご活用くださらないのだから」


「ご活用していただかないと、帝国だけでなく、それこそエノフェ家の存続にも関わってきますからな」


「……まぁ、そうだな」


 レビドは弁当箱に備え付けてある水筒のお茶を一口飲んだ。


「お眼鏡に叶いそうな淑子はいないのですか?」


「叶うかどうかは、帝妃様がお決めになることだ。第三者が詮索する必要はない」


 弟は、お嬉しそうですね、という言葉を飲み込んだ。


「現実的には、目前に迫った『三十』の後の国防をこそ問題にすべきなのに、すげ替えなどと……」


「全くです」


 レビドはふと、箸の動きを止めた。そしてややあった後、独り言のようにつぶやいた。


「『脈』の代わりとなる術でもあるのか……?」


「このような話が出てくるのですから、そのような可能性もあるやもしれませぬが、さすがに『脈』の代わりとなると……」


「考えにくくはあるか……。いずれにしろ、そういう話がある以上、捨て置くことはできん。というわけで、こうしておまえの耳にも入れておいた」


「承知致しました」


「すまんなぁ……。おまえには迷惑をかけてばかりだ。本来なら、私が枢密院の席に座らねばならぬものを……」


「滅相もございません。兄様の苦しみに比べれば……」


「からかうでない」


「そのようなことはございませぬ。人の情の問題ほど、この世に苦しいことはありますまい」


「……情などではない」


「情ではない……? と、申しますと?」


「義理であるよ」


「また……。そのような御戯れを」


 ルバデは笑って箸を進めた。一方レビドは箸を止め、ふと眼下の池を眺めた。そのおもては、明るい月と、それこそ宝石をばら撒いたような空を映していたが、一部、そこだけ切り取られたように黒に染まっていた。


 何か、と見ると天守閣の影であった。

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