スオイレ・チミス

「よろしければ、もう一つどうぞ」


「おう。ありがとな」


 ラロワは差し出された黒蜜を遠慮なくつかんだ。


「さっきは本当にありがとう。困ってるところ助けてくれて。ボク、スオイレ・チミスっていいます」


「俺は、クーア・ラロワ」


「よろしくね」


「おめぇもやられてばっかじゃなくてヨォ、少しはやり返せよ」


 ラロワは挨拶代わりに早速説教をし始めた。もらった黒蜜を頬張りながら。


「うん。まぁ……」


 無理か。ラロワはそう思った。悪い奴ではなさそうだが、気は弱そうだ。やり返すところを想像することすらできない。やっぱりこいつを見てると苛々する。ラロワは改めてそう思った。


「さっき、何があったんだよ?」


「廊下を歩いてたら、蹴つまずいて、前から歩いてきたあの人にぶつかってしまい……」


「そんだけのことで怒鳴られたんか。殴ってやれ。あんな下げチン」


「ぶつかったと同時にくしゃみが出て……」


「なんでそこでくしゃみが出んだよ」


「反射的に鼻をふいてしまいました」


「……あいつの服で?」


「はい」


「おめぇが悪いじゃねぇかよ!」


「すみません……」


「俺に謝ってもしょうがねぇだろ」


「はい……」


「あいつには謝ったんだろ?」


「はい」


「だったら、ちょっと言われ過ぎじゃねぇか? 自分がやった以上にひどいこと言われたら、少しは言い返してもいいんじゃねーかな?」


「すみません……」


「なんですぐ謝んだよ」


「すみま……、あ! ごめ……あ! すみ……あ! ごめ、ごめごめごめ……、うわっ!」


「いいよ、もう」


「おめでとうございます」


「なんだそりゃ!」


「いや、あの、もう、何と言っていいのやらわからなくなってしまい、その……」


「なんか言やあいいってもんじゃねぇんだよ」


 チミスは顔を真っ赤にして俯いたまま、黙ってしまった。もう本当にどうしてよいかわからず、思考回路が停止してしまったようだ。


「あのさぁ……、何でもそうだけど……、やられてばかりじゃダメだと思うぜ。あまりにひどいなと思ったら、抵抗してみなよ。自分で打開してみようとしてみなよ。そしたら、案外なんとかなるかもしれないし、誰かが助けてくれるかもしれない。始めから諦めたりしてちゃあ、その誰かが来る前にやれちまうぜ。だから……先ずは自分で粘ってみなよ」


 チミスにそう説教したラロワは、我ながら良いこと言った、と満足して黒蜜を一口齧った。チミスがくれた黒蜜を。


「うん……。君は、良い奴だなあ」


「あ、俺? まぁな」


 満足げに更にもう一口齧る。


「おまえ、このお菓子、いつも持ってるの?」


「うん。月に一度、父様とおさまが送ってくださるので」


「まだある?」


「うん。結構あるよ。一人じゃ食べきれなくて」


「ほう……。まぁおまえも、案外見所ある奴だとは思うよな。仲良くしようゼ」


「ホントに! ありがとう! ボク、ここでまだ友達できなくて……。ラロワくん、君って、ホントに良い人なんだね。……ホントにありがとう」


 最後の方はほとんど涙ぐんでいた。


「だろ?」


 ラロワは実においしそうに残りの黒蜜を口の中に押しこんだ。




「何言ってるのかわからないよ、ラロワくん」


 チミスがそう苦言を呈したのも無理はない。ラロワは黒蜜を口いっぱい頬張っているため、ものを言ったところで不明瞭となる。ラロワは無言で空の茶碗を差し出した。


「はい」


 チミスはその茶碗にお茶を注いであげた。口の中のものを流し込もうと、ラロワはそれを一息にあおろうとした。結果、しばし悶絶することとなる。


「そりゃ、淹れたてだからね。熱いよ」


 あの後、チミスの誘いもあり、二人はチミスの部屋へと移動した。そしてラロワは黒蜜を食い倒しているというわけである。


 しばらくチミスを睨みつけながらも口をもぐもぐさせた後、中のものを飲み込み、ラロワは言った。


「早く言え」


「で? 何を言いたかったの?」


「いつ来たんだよ?」


「え? ……あ、あぁ、僕が後宮に来たの、いつかって?」


 口の中が空でも、ラロワの言ってることはわかりにくかったようである。


「そう言ったろ」


「うん。ごめん。えーっとね、大体二ヶ月くらい前だね。十六になってすぐ試験受けたから。でも、もうそんなに経ったかぁ……」


「ふーん。じゃあ、俺と同じなんだな」


「ラロワくんも誕生日迎えてすぐ試験受けたんだ?」


「まぁな」


「じゃあ、僕の方が少しお兄さんなんだね」


「えばってんじゃねーぞ。ブッ飛ばしちゃうぞ」


 そう言いつつ、ラロワの手はまた黒蜜に伸びる。チミスの仕送りである。


「いや、そういう意味じゃ……。ブッ飛ばさないで……」


「ところでおまえ、どうやって試験通ったの?」


「え?」


「だって、試験だろ? それこそブッ飛ばされなかったのか?」


「あぁー……。ボク、気絶しちゃったんだよねー」


 チミスは照れ臭そうに笑いながら頭をかいた。


「やはりか……」


 異常な試験である。ラロワは改めてそう思った。


「よく受かったな」


「まぁ、ね。他の試験でなんとか挽回できたんだろうね」


 逆に言うと、体力(つまりは喧嘩)以外は優秀だったということか。意外にも頭は良いのかもな、とラロワは思った。「意外」と思うのは失礼ではあるが。あとは、やはり器量の良さもあったのだろう。


「ちなみに、採用試験担当者って、誰だった?」


「オジエさん」


「あぁー……」


 人の良さそうな笑顔が浮かぶ。こいつは特に驚いたろうな、いや、何が起こったのか分かんなかったろうな。黒蜜を齧りつつ、チミスの顔を見て、ラロワはそんなことを思った。


「ラロワくんは、どうして淑子しゅくしになろうとしたの?」

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