第2話

「もお~う、マオちゃんったら、まぁたそんなに飲んで、リュウちゃんに怒られたりしないの?」

 リュウちゃんとは例のアイツ、リュウセイのことである。

「知ったこっちゃねえよ。なんも言ってくるわけないだろ」

「またまた、そんなこと言って、実は心配してるんじゃないのお?」

 バーテンのオカマ、アゲハはそう言って俺が入れたドリンクを飲んだ。オカマってのは自分で言ってる。最強可愛いオカマちゃん。別に性自認が女なわけでは一切ないけど、未成年の頃は女装子でやってたらしい。アゲハはコロナビールが好きだから、俺はいつもそれを注文してアゲハに飲ませてる。そうするとアゲハにドリンクバックとして給料が入る。目の前で突っ立ってられるよりも、一緒に飲んだ方が楽しいのはこういう店じゃ当然だ。バー・ピエロ。ゲイバーではない。この店は安いから、なけなしの俺の金でもなんとか通える。何といっても今日はアイツの財布から諭吉を一枚抜いてきた。

 この店はアゲハが店長としてほぼ毎日店番している。定休日は水曜日。アゲハが店に出られない時は超美人と噂の女性オーナーが店番してくれる。俺は会ったことないんだけど。そのオーナーはコンカフェの新規オープンで忙しい。こんな場末のバーに構ってる暇なんかないだろうと思うが、ここはオーナーの地元で、残しておきたい場所らしい。カウンター十席程の狭いバーだが、人の出入りはある。一応儲かってると聞く。家賃交渉でかなりの割安で契約できたとかなんとか。まあそれはオーナーの手腕だ。縁もゆかりもあるんだから多少優遇されても不思議じゃないだろう。と外部の人間の俺は思う。

 今日は俺しか客がいないから、アゲハとサシ飲みだ。男娼してた時、一瞬だけ在籍期間が被った。その縁で俺はここに通っている。ここ一年程はカウンター越しでしか話してないが、なんだかんだ仲の良い友達だ。去年の誕生日プレゼントにはブラックラグーンのバラライカのジッポをくれた。俺はアゲハの誕生日にオリシャンを開けた。なんでもアゲハがどうしてもオリシャンを作りたいとオーナーに我儘を言って、小ロットで作ってもらったという。一応まだ二、三本残ってるそのオリシャン、アゲハのアー写みたいなパネルみたいなキメてる写真がラベリングされたそれは、カウンターの後ろの棚に飾ってある。

「マオちゃん、今日はもう帰った方がいいんじゃない? いくら何でも飲みすぎよ。ウイスキーダブルで、ロックで、何杯目だと思ってるのよ。もお、折角美味しいお酒もそんなんじゃもったいないわ。アタシ馬鹿だけど、お酒の美味しさはわかってるつもりよお」

 アタシは無敵の肝臓だからいいんだけど、と付け加える。

 店内はアゲハのスポティファイで洋楽の、それもハードロックばかり流れている。KISSの何かが流れているような気がするが、酔っ払いにはそこまで考える脳がない。おかしいな、俺もそこそこ音楽は聴くはずなんだが。デトロイト・ロック・シティではないということしかわからない。

「今日の会計は七千円! 飲みすぎ! うちの平均会計は三千円から四千円よ」

 アゲハはロンググラスに水を入れてくれる。

「ちゃんと自分の足で帰るのよお。ゲロ吐くならトイレでね」

 アゲハはカウンターに肘を付いて物憂げに俺のことを見る。濃い赤色に暗く照らされた店内でアゲハの厚化粧が、アイシャドウのラメがよく光っている。

「リュウちゃん呼んだげよっか」

「余計なお世話だ」

 アゲハはにひひと笑って、右手の瓶に残ってるビールをぐいっと飲み干した。

「なんでアンタがそんなにリュウちゃんのこと好きなのかわかんないけど、やっぱやめといた方がいいわよお。リュウちゃんの裏社会の繋がりとか、知ってるでしょ? まあそんなことアンタにはどうだっていいわよね。アンタのお父さん元ヤクザだし。リュウちゃんは多分アンタのこと好きだけど、そりゃアンタ、都合がいいだけよお。アタシなら、ナシね」

 俺はそう喋ってくれるアゲハの顔を見ながら、わざわざロンググラスに注いでくれた水を一気に飲んだ。

「ま、恋って何があるかわかんないしね。なんで好きなのかも、わかんないものよね。アタシだって元カレ全員殺したし!」

 殺したってのは流石に冗談だ。

 店の扉が開いてカランコロンと鳴る。「あらケンちゃんじゃな~い! いらっしゃぁい」とアゲハが言ったところで、俺は財布から一万円札を出す。俺の身長からしたらカウンターの椅子は少し高い。酔っぱらってるんだから慎重に降りる。ケンちゃんとやらに「ちょっと待ってね」と言って、アゲハは一万円を受け取る。三千円が返ってくる。そして覚束ない足取りの俺を支えて、階段を一階分降りて見送ってくれる。俺の厚底スニーカーが、軸を見失って足首からぐにゃりと曲がって転びそうになる。俺より身長の高いアゲハの腕に俺はすっぽり収まってしまう。

「気を付けてねえ、アンタのこと、心配なんだからあ」

 俺は振り向かずに手を振って、どっちともわからない道を歩く。

 酔っ払い。酔っ払いだ。頭がぐわんぐわんして、右も左も上も下もわかったもんじゃない。でもなんか街がゲロ臭い。もらいゲロしそう。

家はここから歩いて十五分程。だからすぐ帰れるはずだ。でも俺はどこを歩いてるんだろう。千鳥足、というよりゾンビ歩行。電柱に寄りかかり、おえってするけど、元ホストの無駄に強いこの胃腸と肝臓は、ゲロらせてくれないらしかった。ホストやってたっていっても半年で辞めたけど。未成年バーテン、というかアフターバーの黒服半年、成人してホスト半年、半年続いて偉かったかもしれないけど、当欠しまくり飛びまくりで不真面目の極みで月給なんて雀の涙だった。無職期間を経て、男娼は二年ぐらい。男娼はなんか続いた。なんか楽だった。俺の親父の名前を出したら優遇してくれた。ケツモチが同じ組だったのか、なんか関係あるのか知らないけど。

 そこでラスト半年ぐらいで、アイツ、リュウセイと出会った。だからフェードアウトして辞めた。そして今も無職透明。たまに財布が限界になったら、ぼちぼち日雇いバイトに行くだけ。酒を飲む金なんてあるわけない。

 俺はあと一か月、この三千円で生きていかなきゃいけないのか。アイツの財布から勝手にくすねてもアイツは怒らない。それどころか、盗まれたのに気が付いたらもう更に二万ぐらいくれることもある。気まぐれだけど。でも俺はそれをあんまり受け取りたくない。

 あれ、どこだここ。知らないファミマが見える。おかしいな、俺の家の近くはセブンイレブンなんだけど。ああでも、そういえば、ゆうちょで引き出す時にファミマ行くな。そこのファミマか。いや、見覚えのない景色だ。じゃあ違う。だってここには信号がない。現に俺は車に轢かれそうになって、そのブーってクラクションで意識が戻って来たんだ。軽トラの窓からジジイが首を出してきて「おいゴラ、危ねえだろ」ってなんか言ってる気がするけど俺には全く聞こえないね。

 ふらふら歩いてるから、また何かぶつかった気がする。俺はとりあえずコンビニに入って酒を買おうとした。店に入ろうとするその導線を誰かが邪魔してきやがった。誰だ、てめえ。ガン飛ばしてみて、見上げると二人組の男がいた。金髪とサングラス。やべ、殴られる。金髪の方が右手の拳を振り上げる。それは俺の頬を強打する。泥濘の中、痛みを感じることはない。だが俺はそのまま倒れこんで頭を打ってしまった。明日起きたら痛むだろうな。

 そんでまた金髪野郎に首根っこ掴まれて、もう一発殴られそうになる。

「お前どこ見て歩いとんじゃボケ。俺の顔知らんとは言わせへんぞ」

 あーはいはい知り合いにヤクザかなんかがいるだけのイキっただけのみみっちい奴ね。それか半グレの下っ端とか。意味わかんねえ。

 男の振り上げた拳が止まった。男の視線の先はファミマの入り口にあった。俺もそっちを見た。愛瑠だった。愛瑠は夜間警備の制服のままで、この夏場に暑苦しい長袖の青いワイシャツを着て、きっちり紺のネクタイをして、太い腰にはきっちりベルトが締められていた。腕章とかは外してるっぽい。百八十センチ以上の大男。このチンピラ共はその制服の下の筋肉は想像したくないだろう。しかもそれが俺をめがけてやって来るってんだから。

 サングラスが「おい、行こうぜ」と言って、金髪は舌打ちをして俺を突き放してどっか行った。

「マオさん、大丈夫ですか」

 愛瑠が俺に手を伸ばしてくる。愛瑠なんて可愛い名前に似つかわしくない太眉の下がり眉をこちらに向けてくる。

「立てますか」

 肩に手を回されて、俺は振り払った。

「一人で立てる。ガキ扱いすんな」

 とは言ったものの、立ち上がると厚底ごとぐにゃりと曲がってもう一度転んでしまった。愛瑠は溜息一つつかずに俺の腕を肩に回した。

「ちょっと休憩で、コンビニに寄っていただけなんですが……」

 愛瑠の持ってるコンビニ袋が彼の左手に見える。おにぎりが二個、水が一本入ってるだけだった。愛瑠は辺りを見渡して少し困ったようにこう言った。

「多分、家と逆方向に歩いてますよ。一駅分ぐらい。送ります」

「はあ、アンタ、仕事中じゃ」

「大丈夫。会社にはなんとでも説明する。マオさんの家は多分ここから三十分ぐらいかな。タクシーもいなさそうですし、歩いたほうが早いかと」

 愛瑠はそう言って俺を抱えながら歩いた。「水飲みますか」と言って、買ったばかりのキンキンに冷えた水を無理矢理口に含まされた。

「あんま無茶な飲み方はしないでくださいよ」

 遠のく意識の中、愛瑠の声だけが聞こえて、でも何喋ってんのかは全くわからなかった。

 気付いたら家のベッドで寝てて、ご丁寧に布団までかけてくれてやがる。愛瑠はいない。起き上がろうとすると猛烈な頭痛と吐き気に襲われた。全身筋肉痛だし。多分力が入らないまま歩き続けたせいだろう。頭打ったところ痛いし、足首に捻挫もある。しばらく普通のスニーカー履くしかねえか。厚底履いても百七十行かねえのに。

 とりあえずスマホを見ると、十時間前にアイツから「今日は来ないのか」とLINEが来てた。

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