ア・シンメトリー

ハイライト

第1話

 男の家でシャワーを浴びて、それはもう鋼鉄みたいに冷たくて。いや冷水が出てるって話じゃないんだけど。まあ一応夏だけど。それでも熱いシャワーが浴びたいから、温度自体は温かい。冷たいのは、どことは言わせるもんじゃない。心って言ったって、そんなものどこに在るってんだよ。俺の心も、アイツの心も、錆びついた寒い夜の世界で、どうにも無機質になってしまった。それは氷よりも冷たい、というよりは、コンクリートを触った時、その時の感触。確かに冷たいかもしれないが、硬くて温度がない。そんな日常にも温度なんてない。夏で、暑い。そのはずなんだがこの男の家は季節感のない冷房の効き方をしている。俺も仕事なんてないから外に出る理由なんてなく、外出で暑いって言ったって、冷凍庫みたいな電車や商業施設の中にいるのだから、やはり、何も感じない。店のポップアップで夏らしいものを売っているのを見て、小学生の頃の夏祭りとか思い出したりする。そんなノスタルジーになんの感傷も、もう存在しない。

 あと俺が行くところといえばラブホテルぐらいなもんだ。男娼の名残でまだ繋がりのある客もいるし、俺はなんにも拒絶しないから、男も女も寄って来る。別に嬉しくはない。他人の言ってほしい言葉がわかる。他人の慰め方がわかる。俺はそれだけでジゴロみたいに生きてきた。最後に俺がホテル代を払ったのなんていつだ。レンタル彼氏、いや、ヒモ。それも相手にとって都合のいい。他人に対して都合よくしていれば勝手にお金はなんとかなる。元客なんかは現ナマでくれるけど、その分何がナマになるんだか知らないけど、他の人は基本は奢ってくれるだけだから、思ってるより金はない。財布に二千円入ってれば万々歳。この四半世紀、ここから先こんな生活で生きてゆける自信なんてない。せめて誰か俺を養ってくれ。いや、養われてるようなもんか。じゃあ、愛してくれ。

 誰も俺の心なんて見ていない。身体目当て。それかメンケア。付き合ってもないのに。相手は好きだなんて思い違いをしているのかもしれないけど、知ったこっちゃない。でも俺はそれでもいいと言い聞かせて。別に俺のことなんて知ってほしくない。俺が見せている俺だけを、都合のいい俺だけを見ていたらそれだけでいい。擦り切れたそれは心と呼べるのだろうか。

 だらだらシャワーを浴びてても意味がない。ぼーっと目の前の鏡を見て、それは曇り止めをしていないから自分の姿は見えない。 

 今日はセックスする予定じゃないから気が楽なんだけど、いや、楽と言えるのかも怪しいけど。だって男同士って準備しなきゃじゃん。本当なら抱かれて嬉しいはずなのに、アイツの心も俺と同じで、温度がなくて、俺のことなんて見ていない。俺はそれすらも、それでいいんだと思って、また心を擦り減らす。振り向いてほしいなんて言わない。

 まあそれはなんでもいいとして、とりあえずシャンプーを手に取って髪の毛で泡立てるとする。ギシギシして全然馴染まない。雑に洗うとすぐフケ出るからちゃんと洗わなきゃな。

 白んだ熱い空気を吸って、吐いて、鼻から喉が湿気て、鼻水を出したくなって、フンと噛む。お湯で洗って、排水溝まで流す。

 髪の毛洗ってる時も、身体洗ってる時も、シャワーを出しっぱなしにする癖がある。アイツは出しっぱなしにするなって言ってくるけど、こんだけ金持っててなんでそういうとこケチなんだよ。うざ、鬱陶しい。それを思い出したから、シャワーを止めた。なんで言う事聞いちゃうんだろう。俺のことなんて好きでもなんでもないくせに、こうやって家に呼びつけて。なんで俺も来ちゃうんだろう。

 行きつけの安いバーで時折恋バナをする。そんな奴やめときなよって陳腐な台詞を何度聞いたことか。シャンプーがちょっと目に入ったからまた蛇口を捻る。

 タワマンの洒落た家に住んでる弊害か知らないが、全体的に照明が暗い。黒っぽい。洗面所と風呂ぐらいもっと明るくていいんじゃね。あとでか過ぎな。風呂なんてでか過ぎても困るだろ。ラブホじゃあるまいし。誰が掃除してやってると思ってるんだ。でも悪い所だと思うんだけど、だからバーテンにもそこの友達にもやめとけって言われるんだけど「こっちおいで」って囁かれるだけで、俺はもう駄目なんです。

 男の家って言ったって、別に彼氏でもなんでもない。定期的に家事代行してやってるのに、そんな地位には就けなさそう。そんな素振りすら見せてくれない。セフレとかって言うより、性処理の道具として扱われてるだけ。それならいっそ売春って体裁にして、金とか貰った方が嬉しいんだけど。きっと一銭もくれやしない。だけどそうだな。ハッキリさせておこう。俺はあの男が好きです。惚れちゃって、いけない。俺は時代錯誤な乙女かなんかか。ふざけんじゃない。ああ、大好きだ。なんでだ。好きになるって、理由なんてないか。そういうことにしておいてくれ。

 この通り、アイツの家は広いし、なんなら俺が一緒に住んだっていいらしい。「俺が帰って来た時に家にいてくれ」って言われても、俺の気持ちなんて、きっと、考えちゃいない。そんな寂しいことを思って、俺を求めてくれるんだなんて認めてしまたら、俺はどうなるんだ。一緒に住んだところで、アンタは忙しくてあんまり帰って来ないんだろうが。腹立つなあ。ぽつんと、一人、残される。そんな身にもなれ。好きじゃないくせに。誰でもいいくせに。俺がいなくても代わりが大量にいることなんて、LINEの履歴を見りゃ一目瞭然だ。誰にでも甘い言葉を囁いてんだ。

 バスタオルで身体を拭いて、寝間着に着替える。寝室ではもうコイツは寝てる。俺もしれっとベッドの上に寝転がる。明日朝早いって言ってたからな。てかなんでジェラピケとか着てんだよ。元カノの趣味か。そもそも元カノとかいるのか、このゴリゴリのバリタチゲイに。でも女は抱いててつまらないって言ってた気がする。確かに受け身で当たり前、優遇されて当たり前ってツラして、つまんないと「早く終わらせて」って平気で言ってくるし。俺もやれって言われたからそうしてるだけなのに、女って生き物は、我儘でならない。これが主語がでかいってやつか。クソッタレマンコ。俺のはケツマンコ。同じ穴の貉。そりゃもちろんダブルペネトレーションの竿姉妹ってわけだ。穴兄弟じゃない人間を探す方が難しいんじゃねえか。俺もコイツも。

 だからって俺で楽しいのかよ。そもそもコイツにとって女は金にしか見えてないだろ。

「女の子に稼がせてあげないといけない」とか宣ってる。飽きるほど聞いたその言葉。店で男娼してた時も、やっぱり在籍キャストに稼がせないと内勤の立場が危ういみたいだった。女を売って金を稼ぐ。男も売れるっちゃ売れるけど。それでサラリーを得る。ケツモチがヤクザなのはどこでもそうだろうけど、それに加担して稼いでる内勤も、スカウトも、皆その欠如した倫理観を、女を売ることを正当化する根本的な人身売買的な人権侵害的なその気色悪さを、持て余している。働く側は金さえもらえりゃなんでもいいんだよ。ホストに沼ったとか借金に嵌められたとかそんなんはやっぱ定石だけど、自分を売ることにしか価値を見出せなくなってしまったバケモンがナンバーワンを搔っ攫っていく。そりゃもちろんその整形顔もバケモン級に醜いさ。

 俺はご想像の通り、男に身体を売ったことがあるだけで、女風セラピストにはなったことがない。あれもまあ辛い職だと聞く。

『お客様に満足してもらう。女の子が稼げる。それが店の利益になる。店に貢献してくれようとする女の子はじゃんじゃんバックアップする。そういう女の子だけ働いて欲しいって思うのが正直なところだけど、一筋縄じゃいかないのが経営で、それをどうにかするのが経営者の腕の見せ所…。俺の言う事さえ聞いてくれたら思い通りに稼げるんだけどな、それを理解せずに甘えてる子の多さよ』

 ツイッターを開くとコイツは三十分前にこんなツイートをしてた。こういうとこある。その数時間前はレベチで稼げる女の子の給料明細的な画面。的な、というのは、ただのLINEのトーク履歴を貼ってるだけだから。そうやって女の子を釣る。こんなに稼げるなら私もって思う女の子達を誘き寄せるのだ。通知センターも働いてる女の子からのメッセージばっかり。早く返事してやれよと思いつつも時刻は午前三時。

 俺のスマホも充電器に挿すと、ふぉんって、鳴る。もぞもぞ布団の中に入る。

 ベッドが少し、俺の方に沈んだ気がした。

「レイ」

 寝返りを打った男が、俺の男娼時代の名前を呼んでくる。ちょっとドキッとしてみたかった。鼻筋の通った、整った顔を見る。寝顔すら冷徹で感情が読み取れない。でも、そうだな。ああ、寝ぼけてるだけか。期待して損した。レイなんて源氏名の男、この世に何百人いるんだよ。コイツ俺の本名って知ってたっけ。知らないか。知る由もない。俺だってコイツの本名は知らない。リュウセイさんって呼ばれてるけど、俺はその名前で呼んだことがない。セックスするときも、何か用事があるときも名前を呼ばない。コイツは鬱陶しいぐらい「レイ」って呼んでくるけど、客の顔が思い浮かぶからやめろって。ってそれは照れ隠しなだけなんだけど。

コイツの長いまつ毛がしっかり上を向いていて、俺はそれをぼーっと眺めて、なんか見惚れてしまった。花みたいに咲いて、それは夜のシャンデリアに照らされて。アイラインを引かずとも一直線のカーブを描いて、規則正しい花弁のようにして。そう思っているとふわっと甘い果実のような香りがした。その匂いを嗅いで、やっぱり俺はこの人の事が好きなのだと思った。部屋の匂いや、香水ではなく、きっとシャンプーだろう。俺もさっき同じのを使った。俺は目に少し何かが溜まるのを感じて、堪えた。

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