第3話


「行こうか」


 それぞれの馬を連れ出して、庵を出発する。


「おっと、」

 すぐに、斜面を少し滑った馬を落ち着かせながら、趙雲ちょううんは苦笑する。

「全く、こんな道を平然としている涼州の馬には恐れ入る」

「いや。俺達は単に慣れているだけだ。地の利がないのに、涼州騎馬隊に遅れずついて行ったお前達の方が驚きだ」


 晴れていたら馬超ばちょうの先導の方が早かったが、雨だと先を行く馬の足跡に、慣れていない馬は足を取られたりするので、趙雲が先に行くことになった。

 それでも時折、馬超は走りやすい道が分かるようで後ろから声を掛けてくれる。


「涼州騎馬隊の動きを見たよ。本当に我々とは全く違う動きをするんだな。なにか……乱戦状態になった時でも数人でまとまって動いてるように見えた」


「涼州騎馬隊は基本、三人一組で行動するよう、訓練を受けているんだよ」


 趙雲が馬上から軽く振り返る。

「そうなのか?」


「ああ。それぞれが役割があるんだ。

 一番目が先陣を切り、

 二番目が敵を挟撃する。

 三番目が弓で敵に留めを刺す。

 尤も……蜀の趙雲将軍は一人の敵を三人で攻撃するなんて卑怯だとでも思うのかもしれんが」


 趙雲が笑った。


「とんでもない。涼州騎馬隊は一人一人が役目を負って、敵に恐れること無く向かって行った。力の弱い敵を嬲るための戦法じゃないことくらい分かってるよ。

 でもそうか。知らなかったが、そう聞けば腑に落ちた」


「先陣を駆る一番手が槍の上手、

 二番手がどこからでも敵に襲いかかれる馬術使い。

 三番目が弓の名手だ。武器でも選別されてる」


「そうなのか。すごいな。軍隊のようだ。

 じゃあ……貴方も涼州騎馬隊ではそのように戦っていたのか?」


 この話には本当に興味を引かれたらしく、趙雲は少しだけ馬を緩めた。

 馬超ばちょうがほとんど並びかけられる。

 そういえば成都では涼州のこういう話をまだあまりしたことがなかった。

 趙雲からも聞かなかった。

 恐らく故郷を離れて来た自分が、すぐに涼州のことを蜀の人間に話すことには抵抗があるだろうと思って、気を遣って聞かないでいてくれたのだと思う。

 その証拠に今は馬超から喋ったので、それを聞いた趙雲の表情が明るかった。


 成都せいとに無事に戻れたらこういう話も、もっとしてやりたいと馬超は思った。

 劉備が涼州騎馬隊や涼州を敵視しないでいてくれるのであれば、共闘はきっと出来る。


「うん。俺には二人の弟がいたからな。

 丁度兄弟で組めた」


「そうか……そうだったんだな。すまない」


 父親の馬騰ばとうが殺された時、二人の弟も捕まって処刑されたと聞いていたのに。

 趙雲ちょううんの顔に出た感情を、馬超は小さく笑んで首を振った。

「そんなに俺に気を遣うな。いいんだ」

「うん……」

「遅れてると追い抜かすぞ」


「ああ……。その……馬超殿こう言ってはなんだが、私は殿にも騎馬将としてはなかなか信頼して頂いてる」

「? ああ。知ってる。敵の包囲の中に取り残された劉禅りゅうぜん殿を救った長坂ちょうはんでのお前の働きも、噂に聞いてちゃんと知ってるぞ」


 何を今更という感じである。


「そうか……それは、山岳地帯ではさすがに貴方たちのようにとまではいかないかもしれないが。平地なら。貴方さえ良かったら私が、亡くなった弟君たちの代わりをさせてもらってもいいだろうか?」


 馬超は血が混じっていることを感じさせる薄い色の瞳を見開いて、声を出して笑った。

 それは趙雲も初めて見る馬超の、少年のような笑い方だった。


「いやすまん……お前を笑ったんじゃないんだ。

 思いがけない申し出を受けたが。

 悪いが、断るよ。

 お前が力不足だからじゃない。

 蜀軍におけるお前の働きは多岐に渡る。

 俺の相棒などに収めてしまったら、それこそ劉備りゅうび殿に申し訳が無い。

 お前にはお前の馬の駆らせ方がある。

 それは俺にも引けを取らないものだ。 

 約束事など必要ない。

 俺とお前で、蜀を興された劉備殿のために共に戦場を駆ろう」


 趙雲は安堵したように笑い、少し額のあたりを擦った。


「すまない。つまらないことを言ったんだな、私は」

「いや。お前の気遣いは嬉しいよ」

「私も小さい頃は兄がいたんだが、病で亡くなってしまってからは祖母と二人きりだった。

 兄弟がいなくなる寂しさは分かるから、つい余計なことを言ってしまった」


「人を斬りすぎると、優しさをどこかで忘れていくことがある。

 その点お前は不思議な奴だな。子龍しりゅう

 一騎当千の働きを劉備殿の流浪時代から見せて来たというのに、そういう心がまだ残っている。

 涼州騎馬隊の人間は技を極めれば極めるほど、もっと人間としても鋭さを帯びていく感じがある。

 俺自身も人として殺伐としていて、馬以外にはあまり好かれん」


「そんなことはない。貴方は親切だよ、馬超殿。蜀の兵にもよく稽古を付けてくれて面倒を見てくれている。

 ただ家族を失って一人になってしまったと聞くと、こっちに入れとは言いにくくて。

 私から入ると言ってしまった」


 馬超が笑っている。

 きっと家族達と生きていた時の馬超はこういう顔で笑っていた青年だったのだと、その時初めて趙雲は気付いた。


「ありがとう。だが心配しないでくれ。

 確かに父も弟達も、妻も一族も失ってしまったんだが、

 一人っきりになったわけじゃないんだ」


「? だが、確か……」


「一人だけ、生き残った身内がいる。従弟いとこだ」


「そうなのか? 知らなかった。成都せいとには来ていなかったから」


「いや……昔から勇猛な一族の中では、特別大らかな性格をしていてな。

 戦にあまり向いていない従弟だったから……。

 九年前の潼関とうかんの戦いで唯一生き残ったんだが、それ以上は戦わせたくなくて北の故郷の方に残して来た。

 今は涼州騎馬隊にも関わらず、村で妻帯でもして穏やかに暮らしているはずなんだ」


「そうか。貴方にはまだそういう人がいたんだな。良かった」


 安堵の表情を浮かべた趙雲を、少し優しい目で馬超が見た。


「ああ。戦いの道を選んだ俺とは、道を別ったが――、あいつだけでも涼州で家族を持って暮らしてくれているというだけで、俺は嬉しいんだ」


「連絡とかは取っていないのか?」


「いや。それはいいんだ。俺は今こんな状態で、連絡を取った方が心配をさせる。

 俺の事は忘れて、家族と仲良く過ごして欲しいんだ」


「そうか……龐徳ほうとく殿の話では北の金城きんじょうが落とされたというが……」


「ああ。あいつがいるのはもっと北の方だ。勿論だからといって安心というわけでは無いんだが……」


 ふ、と少し馬超が笑ったように見えた。


「いや。勿論心配だが、どこかで大丈夫だろうと思ってもいる。

 そういう奴なんだよ。戦を嫌うような大らかな性格はしていたが……」


 思い出すように、馬超がどこか遠くを見遣った。


「涼州の男は馬に乗れるようになると、すぐに集められて涼州武芸を教えられると話しただろ?」

「ああ」

「弟達も決して才能が無いわけでは無かったし、他の一族にも優れた者は何人もいたが」


 少しの間、静かになっていた空がまた光り始めた。


 ……遠雷が鳴り始めている。


 この季節涼州は西から、次々とああいう雷雲が流れ込んでくる時期がある。


 



「――正直、純粋な才能だけで言えば、こいつが突出していた」




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