女に刺されて死んだ俺、異世界では最強魔術師。でもトラウマで女性恐怖症になり、求婚してくるワガママ王女から全力で逃げたい。
Gaku
第1話 女好きの末路
***
神という存在は、その始まりから終わりまで、徹頭徹尾、不公平な絶対者としてこの世界に君臨している。
もし仮に、この広大にして緑豊かな大学のキャンパスに
「警告:当該人物は神からの寵愛を過剰に一身に受けし存在なり。よって、半径五メートル以内に存在するあらゆる男子生徒の自尊心を著しく、かつ回復不可能なレベルまで損なう危険性あり」
といった、前代未聞の警告看板を設置する条例が制定される運びとなったならば。
その看板の中央に描かれるべき肖像が、他の誰でもない、この俺、神宮寺レンのものであることに異を唱える者は、ただの一人として現れまい。
それはきっと、全会一致の賛同と、万雷の拍手喝采をもって、歴史的な速度で可決されるに違いないのだ。
何を隠そう、俺はモテる。
それも、街角のショーウィンドウに映る自分の姿を見つけては、執拗に前髪の角度をいじくり回しているような、その辺に掃いて捨てるほどいる自称イケメンたちが、たとえ徒党を組んでかかってきたところで、まるで塵芥のように一息で吹き飛ばしてしまうほどの、圧倒的なレベルで、だ。
天賦の才としか言いようのない、相手の心の臓を的確に射抜く話術。
意識せずとも全身から溢れ出し、周囲の人間を否応なく惹きつける特別なオーラ。
そして何よりも、創造主である神が己の持てる技術と情熱のすべてを注ぎ込み、精魂込めて創り上げたとしか思えない、この完璧なまでの容姿。
それらは物心ついた頃には既に、俺という存在に標準装備されていた、いわばデフォルトの機能だったらしい。
まだ真新しいランドセルを揺らしながら通学路を歩いていた小学生の頃には、放課後の公園でクラスの女子と砂場の領有権を巡って幼稚な争いを繰り広げる代わりに、週替わりで将来の結婚を約束させられるという、甘美な契約に追われる日々を送っていた。
純真無垢な瞳で「レンくんのおよめさんになる!」と高らかに宣言する彼女たちの頬は、茜色に染まる夕焼けの空よりも、なお一層赤く染まっていたものだ。
俺はその光景を、少しばかりの優越感と、大いなる退屈さをもって眺めていた。
中学の門をくぐれば、その抗いがたい現象はさらに加速度を増していった。
俺が三年間袖を通した制服の、胸元で輝くはずだった第二ボタンは、厳かで感動的な卒業式の日を待つまでもなく、同学年の女子生徒たちによる熾烈極まる争奪戦の末、いつしか非公式のオークションにかけられるという異常事態にまで発展した。
最終的に、一体誰がどれほどの対価を支払い、その小さなプラスチック片を手にしたのか、俺は知らない。
そして、知りたいとも思わなかった。
ただ、俺の知らないところで、俺の身体の一部であったものが絶対的な価値を持つというその事実だけが、麻薬のように心地よかっただけなのだ。
そして高校時代。
それはもはや、単なる思い出話ではなく、後世に語り継がれるべき伝説と呼ぶにふさわしい三年間だったと言えよう。
俺が教室を移動する、ただそれだけの日常的な行為が、いつしか一つの壮大なイベントとしてキャンパスライフに定着した。
俺が長い廊下を歩けば、左右の教室から、あるいは前方から、後方から、無数の熱を帯びた視線が、まるで無数の矢のように突き刺さる。
俺の姿を少しでも長く、一秒でも長くその視界に収めようと願う女子生徒たちによって、目には見えない強力なスクラムが自然発生的に形成されるのが、もはや日常の風景だった。
彼女たちは、友人との他愛もない談笑をぴたりと中断し、退屈な数式が並んだ教科書から顔を上げ、あたかも絶滅危惧種の渡り鳥が奇跡的に飛来したのを観察するかのように、息を殺して俺の優雅な通過を見守るのだ。
その視線の渦の中心を、俺はさながらパリコレのランウェイを闊歩するトップモデルのような気分で、悠然と歩いたものだ。
そんな俺が、大学生になった今。
八月の粘りつくような蒸し暑い空気が、素肌にじっとりと不快に纏わりつくこの広大なキャンパスは、俺にとって狩り放題の最高級ビュッフェ会場と何ら変わりない。
いや、むしろそれ以上かもしれない。
ここは、若さと美しさというものが、他のどんな価値よりも優先される特別な場所なのだから。
そして俺は、その食物連鎖の頂点に君臨する、絶対的な捕食者なのである。
これまでに深い関係を持った女性の数など、とうの昔に数えるのをやめた。
それは、先週の月曜日に学食で食べたAランチのメニューを思い出そうと試みるくらい、無意味でどうでもいい行為だ。
そんな些末な情報を記憶のメモリに保存しておくほど、俺の脳のストレージは暇ではないのだ。
彼女たちは、俺という絶対的な存在をより一層輝かせるための、煌びやかな勲章であり、俺の市場価値を証明するためだけに存在する、生きたステータスに過ぎなかった。
時折、友人たちに最近手に入れたばかりの「戦利品」の話を、まるで戦場から生還した英雄の武勇伝のように語ってやれば、彼らは決まって腹を抱えて笑いながらも、その目の奥には、どうしようもない嫉妬と羨望の炎がメラメラと激しく燃え盛っているのが手に取るようにわかる。
その黒く濁った焔の揺らめきを眺めるのは、実に愉快な瞬間だった。
彼らは俺のようにはなれない。
それが、残酷なまでに揺るぎない事実だからこそ、彼らは乾いた笑いを浮かべるしかないのだ。
俺は、彼らが決して手の届かない遥かなる高みから、その滑稽で哀れな姿を見下ろすのが、何よりも好きだった。
そんなある日の、気怠い昼下がりだった。
生協のテラス席は、昼食のピークをとうに過ぎた学生たちの、弛緩しきった空気で満たされている。
俺はレポートという名が付けられた、しかし実際には一文字もインクが置かれていない白紙のキャンバスを前に、芸術的な憂鬱に深く浸っていた。
燦々と降り注ぐ真夏の太陽が、まるで計算され尽くした舞台照明のように俺の完璧な横顔を照らし出し、彫りの深い陰影を描き出す。
不意に乾いた風が吹き抜けると、行きつけの美容院で「あとは適当に、無造作な感じで」と一言告げただけで完璧に仕上がった髪が、一枚の絵画のようにふわりと揺れた。
ああ、今日も俺は完璧だ。
完璧すぎて、漏れるため息すら芸術の域に達しているのではないだろうか。
そんな自己満足という名の静かな海を優雅に泳いでいると、ポケットに入れていたスマートフォンが、ブルブルと控えめに、しかし執拗に震え出した。
テーブルの上に無造作に置くと、その液晶画面には、記憶の片隅にかろうじて引っかかっている程度の、見覚えのある名前が映し出されていた。
『佐藤アユミ』
ああ、いたな、そんな女も。
脳内に構築された巨大なデータベースを高速で検索し、該当するファイルを瞬時に引っ張り出す。
確か数ヶ月前、俺の方から一方的に、そして情け容赦なく別れを告げた、数多いる元カノの一人に過ぎない。
顔立ちはそこそこ整っており、スタイルも決して悪くはなかったと記憶している。
だが、いかんせん、趣味が壊滅的に合わなかった。
それはもう、修復不可能という言葉すら生ぬるい、致命的と言っていいレベルで。
例えば、俺が休日の午後に、自宅の洗練されたリビングで、ミニマルで知的なフレンチジャズのアナログレコードに針を落とし、その繊細な音の粒に静かに耳を澄ませているとしよう。
彼女は、その隣でヘッドホンから漏れ出す音も一切構わずに、ツーバスをドコドコと猛烈な勢いで連打させるデスメタルを爆音で聴いているような、そんな女だった。
俺が静寂に包まれた美術館の荘厳な空間で、人類の叡智と美の歴史に思いを馳せ、深遠なる思索に耽ることこそが至高の喜びなのだと熱弁すれば、彼女は「ふーん」と気の抜けたコーラのような返事を寄越した後、週末になるたびに泥だらけの作業着に着替え、近所の河原でひたすら奇妙な形をした石を拾い集めることが、何よりの趣味なのだと屈託なく目を輝かせるのである。
もはや限界だった。
俺という、神宮寺レンという、完璧に構築されたブランドイメージ。
そのイメージをほんの僅かでも損なう恐れのある不快なノイズは、俺の人生という名のサウンドトラックにはまったくもって不要なのだ。
彼女は、俺の隣に立つにはあまりにも不協和音を奏ですぎた。
やれやれ、と心の中で呟きながら、ディスプレイに鮮やかに表示された緑色の通話ボタンを、面倒臭そうに指でスワイプする。
その瞬間、鼓膜を劈くような、ヒステリックな泣き声がスマートフォンから勢いよく飛び出してきた。
『レ、レンくぅぅぅん……! うわぁぁぁん!』
「はいはい、もしもし。今、ちょっと地球の未来と人類の行く末について真剣な考察を巡らせている最中だから、手短にお願いできるかな」
俺はわざとらしく、周囲のテーブルにまで聞こえるくらいの声量でそう言った。
案の定、近くのテーブルに座っていた女子学生たちが、くすくすと楽しそうに笑いながら、こちらに媚びるような視線を送ってくるのがわかる。
これもまた、計算のうちだ。
俺の日常は、すべてが計算され尽くした舞台なのである。
『ひどい……! なんで、なんで別れなきゃいけなかったのぉ? 私、レン君のこと、こんなに、こぉんなに好きなのにぃ……! お願い、もう一度だけでいいから、よりを戻したいの……!』
よりを戻す? 笑止千万。
片腹痛いとはこのことだ。
この俺が? 一度飽きて捨てた玩具を、わざわざ汚れたゴミ箱の底から、手を汚してまで拾い上げるような真似をするとでも?
冗談じゃない。
俺の周りには、常に最新モデルの、磨き上げられた美女たちが、まるで入荷したての限定スイーツに群がるアリのように、途切れることのない長蛇の列をなしているというのに。
「ごめんごめん、ちょっと電波の調子が悪いみたいでね。なんか、遠くの方で野良犬が切なそうに鳴いてるみたいに聞こえるんだけど。気のせいかな。じゃ、そういうことだから」
『え、ちょ、待っ――』
ツー、ツー、ツー。
無機質な電子音が、彼女の最後の言葉を無慈悲に、そして完全に遮る。
俺は通話を切り、ふう、と一つ大きなため息をついた。
まったく、別れ際の作法というものを、一体どこで学んでくるのだろうか。
美しく去る、という崇高な概念が、彼女たちの辞書には存在しないらしい。
その夜、この些細だが不愉快極まりない出来事を、いつものように行きつけの隠れ家的なダイニングバーで友人たちに話してやると、案の定、彼らは大いに盛り上がった。
重厚なマホガニーの一枚板で作られたカウンター。
琥珀色の液体が満たされたジョッキを片手に、友人グループの中でも特に騒がしい一人が、げらげらと下品な笑い声をあげながら言った。
「お前、マジでそのうち刺されるぞ。マジで。明日の朝刊とか、夜のニュースで『自称イケメン大学生、痴情のもつれで惨殺』みたいなテロップが流れちゃうんじゃねえの?」
他の連中も「違いないな」「いや、自称じゃなくてガチイケメンなのがまた腹立つところなんだよな」「レンの場合、被害者の会が結成されて、原告団が数千人規模になってもおかしくない」などと、口々に囃し立てる。
彼らの言葉は、嫉妬という名のスパイスが効きすぎていて、もはやただの悪態にしか聞こえない。
俺はバーテンダーに特別に作らせた、一杯数千円はする高級そうなカクテルを一口舐め、その複雑で芳醇な香りを鼻腔で楽しんでから、彼らを憐れむように鼻で笑ってやった。
「馬鹿を言え。ここは法治国家、日本だぞ? 揺るぎない常識と、盤石な秩序によって統べられた、世界でも有数の安全な国だ。そんなB級バイオレンス映画みたいな、陳腐で使い古された展開があるわけないだろうが」
俺は本気で、心の底の底からそう信じきっていた。
この国では、鉄壁の法律と、人々が暗黙のうちに共有する常識が、俺という選ばれた特別な存在を、常に、そして永遠に守ってくれるのだと。
何の疑いも抱いていなかった。
その時の俺は、自分が築き上げた砂上の楼閣の頂点で、永遠に続くと思っていた王政を心から謳歌していたのだ。
◇
その数日後の夜。
運命の夜は、まるで何事もなかったかのように、驚くほど静かに訪れた。
俺は、昼間の喧騒がまるで遠い世界の出来事であったかのように静まり返った公園を、一人で歩いていた。
例の忌々しいレポートの参考文献を探すために、閉館時間ぎりぎりまで大学の図書館に籠っていたら、いつの間にか終電の時間をとうに過ぎてしまっていたのだ。
タクシーを拾うのも癪に障り、仕方なく、三十分ほどかけて自宅まで歩いて帰ることにしたのである。
八月の夜は、昼間の灼熱をまだ微かに残しながらも、湿った空気が草木の濃い匂いを運び、肌にねっとりとまとわりつく。
古びた街灯が、まるで燃え尽きる寸前の蝋燭のように、ぼんやりとした頼りない光でアスファルトの道を照らしている。
人通りは全くなく、この広大な世界に存在するのは俺一人だけではないかと錯覚するほどの、完璧な静寂が支配していた。
聞こえてくるのは、自分の履いている高級な革靴が、地面の砂利をリズミカルに踏みしめる乾いた音と、道の脇の草むらの奥深くで鳴いている、名前も知らない虫の声だけ。
まあ、悪くない。
この絶対的な静寂と孤独は、俺のような特別な男にこそふさわしい舞台だ。
凡百の人間には、この静けさの中に潜む美しさの価値はわかるまい。
そんな、相も変わらず自己陶酔に満ちた感傷に浸っていた、まさにその時だった。
背中に、ドン、という鈍く、それでいてずしりと重い衝撃が走った。
「っと……」
何だ? 誰かぶつかってきたのか?
こんな真夜中に、こんな寂れた公園で?
スマートフォンでも見ながら歩いていた、うっかり者の馬鹿か。
俺は沸き上がる苛立ちと共に、文句の一つでも言ってやろうと、ゆっくりと振り返ろうとした。
しかし、その直後。
背中に、じわり、と広がる、今までの人生で一度も経験したことのない灼けるような熱さに、思考が完全に停止した。
熱い。なんだこれは。
まるで、真っ赤に熱した鉄の棒を、背骨に沿ってゆっくりと、執拗に押し付けられたかのような、内側から燃え上がり、細胞の一つ一つを容赦なく破壊していくような、強烈な熱さだ。
何が、起きた。
パニックに陥りかけた脳が、目の前で起きている現実の理解を拒む。
恐る恐る、震える右手を背中にやると、指先に、ぬるりとした生暖かい、形容しがたい不快な感触が伝わった。
その感触に、全身の鳥肌が総立ちになる。
ゆっくりと、自分の指を目の前に持ってくる。
視界が急速にぼやけていく中、街灯の頼りないオレンジ色の光に照らし出された俺の指は、べったりと、およそ現実感のない、鮮やかすぎるほどの赤色に染まっていた。
血だ。
俺の、血だ。
刺されたのだ。
ありえない。嘘だ。そんな馬鹿な。
そんな否定の言葉だけが、壊れたレコードのように頭の中を空回りする。
信じられない、信じたくないという一心で、まるで油の切れたブリキの人形のようにギシギシと軋む首を、ゆっくりと、本当にゆっくりと振り向かせた。
そこに立っていたのは、数日前に電話でヒステリックに泣き喚いていた、あの元カノ――佐藤アユミだった。
彼女は、その華奢な両手に、近所のスーパーで売っているような安物の果物ナイフ、その銀色の刃を俺の血で真っ赤に濡らしたものを、まるで何か神聖な儀式の道具のように、固く、固く握りしめていた。
その顔は、涙と鼻水と、そしておそらくは俺の返り血でぐしゃぐしゃになっており、もはや元の顔立ちを窺い知ることはできない。
そして、壊れたスピーカーのように、ひび割れた声で何かを絶叫していた。
「なんで……! なんで振り向いてくれないの……! こんなに、こんなに、こんなに好きなのにぃぃい!!」
ああ、やっぱり、そんなことか。
朦朧とする意識の中、不思議なことに、俺は妙に冷静にそう思った。
女の愛憎というものは、かくも滑稽で、陳腐なものか。
だが、そんなことはもう、どうでもよかった。
背中に感じた熱は、今や全身を駆け巡る激痛へと姿を変え、自分の足で立っていることすらままならない。
足から全ての力が抜け、膝ががくりと無様に折れる。
死ぬのか?
俺が?
この神宮寺レンが?
嫌だ。冗談じゃない。そんな結末があっていいはずがない。
俺の人生はこれからだ。
今よりもっといい女を抱き、今よりもっといい車に乗り、都心にそびえ立つタワーマンションの最上階から、眼下に広がる愚かな大衆を見下ろすはずだったんだ。
まだ何も成し遂げていない。
まだ、俺の伝説は、壮大な物語の序章に過ぎないはずだった。
パニックに陥った頭が、過去の記憶を猛烈なスピードで巻き戻し始める。
それは、都合の悪い記憶ばかりを丁寧に集めた、悪夢のような走馬灯だった。
――大学で一番の親友が、涙ながらに「付き合っていた彼女に振られた。もう立ち直れない。話を聞いてくれ。お前だけが頼りだ」と、その広い肩を惨めに震わせて相談してきた。俺は親身な表情を完璧に作り上げ、彼の背中を優しくさすり、ありきたりの励ましの言葉をかけた。その、わずか数日後には、俺はその彼女と高級ホテルのキングサイズのベッドの中にいた。親友が決して目にすることのない彼女の顔を、俺だけが知っているという歪んだ優越感に浸りながら。
――サークルの気弱で純朴な後輩が、頬を林檎のように真っ赤に染めて「神宮寺さん、相談があるんです。ずっと、ずっと好きな子がいるんです」と、はにかみながら打ち明けてきた。俺は「そうか、頑張れよ。お前なら大丈夫だ」と、爽やかな笑顔で力強く応援した。その想い人の名前が誰であるかをさりげなく聞き出した後、俺は巧みな言葉と、抗いがたい雰囲気で、その日のうちに彼女を自分のものにした。後輩の、穢れを知らない純粋な恋心を踏み躙る快感は、格別の味がした。
数えきれないほどの人々の心を、何の躊躇もなく、虫けらを潰すように踏みつけ、裏切り、癒えることのない深い傷をつけてきた自分の姿が、次から次へと思い出される。
あの時の彼らの顔、彼女たちの顔。
絶望、悲しみ、怒り。
今まで気にも留めなかったそれらの負の感情が、今になって、鋭い刃となって俺の胸に突き刺さる。
――『レン。いいかい。自分のやったことはね、良いことも、悪いことも、巡り巡って、ぜーんぶ自分に返ってくるんだよ』
ふと、まだ俺が幼かった頃に、病気でこの世を去った祖母の、温かく優しい声が脳裏に鮮明に響いた。
陽だまりのような穏やかな笑顔で、いつも俺の頭を優しく撫でてくれた、大好きな祖母。
いつの間にか、すっかり忘れてしまっていた、大切な言葉だった。
そうだ。
その通りだ。
確かに、冷静に、客観的に己の人生を振り返ってみれば、俺の性格はゴミみたいな、救いようのないクズ人間だったな。
これは、罰なのだ。
神様とやらの気まぐれでも、単なる不運な事故でもない。
俺がこれまでに積み重ねてきた悪行の数々が招いた、なるべくしてなった、当然の報いだったのだ。
そう妙に、すとんと、腑に落ちてしまった瞬間、あれほど激しかった背中の熱さも、死に対する原始的な恐怖も、なんだか全部、本当にどうでもよくなってくるのを感じた。
視界の端で、アユミがまだ何かを泣き喚いているのが見える。
だが、その金切り声は、まるで分厚い防音ガラスを隔てた向こう側から聞こえるように、くぐもって遠い。
俺の意識は、真夏の夜の公園の、ひんやりと湿った地面に吸い込まれるように、静かに、ただ静かに、深い闇の底へと遠のいていった。
ああ、これが、神に愛されすぎた男の、あまりにも滑稽で、惨めな、結末か。
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