第2章 あの日見た星空

~お人好しな君~

桜は散り、菜の花も枯れてきて、春も少しずつ終わろうとしていた。

少し汗ばむような朝の光の中、ユウキは通学路を歩いていた。

眩しい空を見上げながら、ぼんやりと考えごとをしていたそのとき――。


「なに深刻そうな顔して歩いてるの?」


不意に背後から声がして、思わず肩が跳ねる。


振り返ると、そこに立っていたのは――綾瀬沙羅。

整えられた黒髪が肩を越えて、朝の光を受けてきらりと揺れる。

吸い込まれるような瞳、どこか余裕のある微笑み。

名家の令嬢で、そして小学校時代からの憧れの人。


名門・光星学園で再会してから、もう何度目の朝だろう。

思い出の桜の下で想いを伝えたあの日から、

沙羅に触れたこと、あの言葉――全部がまだ胸に残っている。


「大丈夫、幸せだよ」


……あれは、どういう意味だったんだろう。

受け入れてくれた? それとも、やんわり断られた?

結局いまだにわからない。


「私のこと考えてたでしょ?」


突然の直球に、思考が一瞬で止まった。


「えっ……な、なにを言ってるのさ? そんなこと――」

「ほんとに~? 嘘ついてもバレバレなんだから」


沙羅は口元に指を当てて、いつもながらに無邪気に笑う。

朝の光が彼女の横顔を照らし、ちょっとだけ眩しい。


「い、いやいや、考えてなんかないよ!」

「ふ~ん。じゃあその赤い耳、どう説明するの?」

「……暑いだけ!」

「ふふっ、言い訳下手~。かわいいね、ユウキくん」


彼女の笑い声が風に溶けていく。

相変わらずの小悪魔っぷり。

こんなふうに話しかけられたら、誰だってうろたえるに決まってる。


ユウキはため息をつきながらも、どこか嬉しかった。

彼女と並んで歩ける朝がある。

ただそれだけで世界が明るく見えた。


*


「ねえ、あそこ……人が倒れてない?」


沙羅の声に、ユウキは顔を上げた。

通学路の先、歩道の脇にひとりの女性がしゃがみ込んでいる。


「あっ、本当だ。どうしたんだろう」


二人は慌てて駆け寄った。


「大丈夫ですか!?」


声をかけると、その女性――年配のおばあさんが、膝を押さえながらゆっくり顔を上げた。


「ごめんなさいね……膝が痛くて、ついうずくまっちゃって」

「起き上がれますか?」


ユウキがそっと手を差し出すと、おばあさんは遠慮がちにその手を取った。


「ありがとう……でも、ちょっと足が思うように動かなくてね」


立ち上がったものの、足取りはまだおぼつかない。


「どちらへ行かれるんですか?」

「西の森病院に行こうと思ってたの。いい先生がいるって聞いてね。でも道に迷って……」

「ああ、あそこ初めてだと分かりにくいですよね」


ユウキは小さくうなずき、迷わず言った。

「僕が病院まで付き添います」

「ちょっと……ほんとに行くの?」


沙羅が制服の肩口をつまんで、耳元でささやく。

「学校に間に合わなくなっちゃうよ~」

「そうも言ってられないよ」


ユウキは穏やかな笑みを浮かべ、おばあさんに向き直った。

「大丈夫です。行きましょう」

「まあ……ありがとうねぇ。助かるわ」


ゆっくりと歩き出すおばあさんの歩調に合わせて、ユウキも隣を歩く。

「もうっ、どこまでお人よしなの!?」


朝の光の中、ユウキとおばあさんの背中が並んで遠ざかっていく。

その姿を見送りながら、沙羅の胸の奥に、言葉にならないざわめきが残っていた。

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