第3話 痛恨の一撃

 リックがラグナとの戦いを選ばず、言葉での対話に持ち込んだことで、闘技場には一時的な静けさが訪れていた。だが、その沈黙も長くは続かなかった。


「なんだよ、もう終わりか!?」

「ちゃんと戦えーっ!」

「ふざけてんのか、お前!」


 最初はまばらだった観客たちの苛立ちの声が、徐々に大きく、そして鋭くなっていく。戦いを期待して集まった群衆が、ただの語らいに変わった状況を受け入れられるはずもなかった。


 それに気づいたリックは、ラグナの方に向き直ると、真剣な眼差しで提案した。


「……ラグナさん。このまま話し合いを続けてたら、観客が怒り出す。」


「……だからどうするんだ?」


 ラグナの声は落ち着いていたが、内心ではリックの次の言葉を警戒していた。彼の目には恐怖と覚悟が同時に宿っていた。


「その斧……面の部分で、僕を思いきりぶっ飛ばして。とにかく“試合としての決着”をつけよう。それなら皆も納得するはずだよ。」


 ラグナの表情が歪んだ。困惑と戸惑い、そしてほんの少しの敬意が混じっている。


「マジかよ……お前、本気で言ってんのか?」


「うん、これ以上ここで怒られながら話し合うより、ずっとマシだと思う。」


 ラグナはしばし黙った後、わずかに息を吐いて斧を持ち直した。戦意とは違う、どこか痛みを伴う覚悟がその構えに表れていた。


「あ、ああ……言い出したのはお前だからな? この一撃、加減はするけど……くたばるなよ?」


 リックは小さく笑った。怖くてたまらなかったが、それでも逃げるよりマシだった。斧が振りかぶられ、次の瞬間――。


「おらぁっ!」


 ラグナが斧の平らな部分でリックの腹を勢いよく叩いた。鈍い音とともに、リックの体が宙を舞い、数メートル先まで吹き飛ばされ、闘技場の端の鉄製フェンスに激突した。


「がっ……あああ……」

 転がりながらうめき声を上げるリック。全身に走る痛みで、まるで骨が軋むようだった。


「なんてことなの……!」


 観客席から少し離れたところで見守っていたメアリーが、悲痛な声を漏らす。手を口に当て、今にも駆け寄りたい衝動を必死に抑えているようだった。


 観客たちは一瞬静まり返ったが、その後すぐに熱狂的な歓声が上がった。


「決着ぅ!」

「やっぱラグナ様、最高だぜ!」

「あのへなちょこ、意外とやるじゃねえか!」


 こうして、形だけの勝敗はついた。リックとラグナの試合は終わった。


 リックは地面に横たわったまま、なんとか呼吸を整えながら、二人の方を見やった。メアリーとラグナが心配そうに駆け寄ってくる。


「僕は……リック……いたたた……えーと……家で寝てたはずなのに……気づいたらここに……くっ……」


 リックは途切れ途切れに言葉を紡ぎながら、身体を起こそうとする。ラグナがそっと彼の肩を支えた。


「無茶しやがって……でも、その気合は……認めてやるよ。」


 ラグナの口元に浮かんだのは、照れ隠しのような微笑だった。先ほどの攻撃をした張本人である彼女の手は、思いのほか優しかった。


 メアリーもリックの傍に膝をつき、彼の顔をじっと見つめた。

「リック……本当に信じられない話だけど、君の目を見ていると、嘘をついているようには見えないわ。」


 彼女の瞳は、まるで彼の心の奥まで見通しているようだった。疑うことなく、ただ信じようとしている。それがリックには嬉しかった。


 気づけば、観客たちの怒号は完全に消え、代わりに興味深そうな視線が三人に集中していた。


「私たちもね、異世界から戦士じゃない人が来るなんて、実は初めてのことなのよ。」

 メアリーが静かに語る。

「あなたがなぜ選ばれたのか、今はまだ分からない。でも、いつかきっと答えを見つけられると思う。」


 リックは頷いた。痛みは残っていたが、心は少し軽くなっていた。


「ありがとう、二人とも。もし君たちがいなかったら……本当にどうなっていたかわからない。まずはこの世界に慣れたい。そして、元の世界に帰る方法を見つけたいんだ。」


 ラグナはその言葉に力強く頷いた。


「ああ。だけど、まずは体を休めろ。無理したら元も子もないからな。それに――お前がここに飛ばされた理由、必ずあるはずだ。そいつを探そうぜ。」


「……うん。」


 こうしてリックは、ラグナとメアリーという頼れる仲間と共に、異世界での第一歩を踏み出した。傷つきながらも、彼の中には確かな決意が宿っていた。


 この世界で、ただ生き残るだけじゃない。自分の居場所を見つけ、真実にたどり着き、そして――いつか必ず、元の世界へ帰るために。

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