第6話


 朝、目を覚ますと、香澄はすでに起きていた。


 ――いや、正確には“起きていた”というより、ベッドの端に腰掛けて、俺を見下ろしていた。


 肩紐の落ちかけたブラトップにショーツ一枚。

 白い肌が朝の光にさらされ、無防備すぎる姿に、反射的に視線を逸らす。


「おはよ、真尋」


 昨日の“なんで”の嵐が、まるで最初から存在しなかったかのような、柔らかい声。


「あ、……おはよう」


 声が少し掠れている。

 ほとんど眠れなかったせいだ。

 けれど香澄は、そんなこと気にも留めずキッチンへ向かった。


 


◆ ◆ ◆


 


 数分後、テーブルに湯気の立つ味噌汁、焼き鮭、卵焼きが並ぶ。


「食べよ」


 促されるまま席につき、箸を動かす。

 空腹の胃に、温かいご飯がじんわり沁みていく。


「おいしい?」


「……うん」


 短く答えると、香澄は満足げに微笑んだ。

 それは、俺の知っている“優しい彼女”の顔だった。


 (……やっぱり、香澄は俺のためを思ってくれてる)


 そう思うと、昨日のことだって、自分の落ち度にしか思えなくなる。

 返事が遅れたのも、断ったチョコを捨てずにいたのも――全部、俺が悪かった。

 香澄を不安にさせたのは、俺だ。


 だから、こうして優しくしてくれるだけで、救われたような気がしてしまう。


 


◆ ◆ ◆


 


 食後、食器を片付け終えた香澄がスマホを片手に戻ってきた。


「ねえ、ちょっとこれ入れといて?」


 差し出された画面には、見慣れないアプリ。

 位置情報を常時共有するサービスだった。


「……これ、なんで?」


 思わず口をついた疑問は、すぐに喉の奥に押し戻された。

 香澄の目が、ほんの一瞬だけ細くなったから。


「だって……真尋の居場所がわかれば、安心できるでしょ?」


 その“安心”は、俺が与えなきゃいけないもの。

 昨日みたいなことを二度と起こさないために。

 そう考えた瞬間、抵抗する理由は消えていた。


「……わかった」


 自分から差し出すようにスマホを手渡すと、香澄は満足そうに設定を終え、笑った。


「うん、これで安心だね」


 ――安心。

 それはつまり、俺が彼女を不安にさせない限り、すべてはうまくいくということだ。


 もしまた、彼女を疑わせるようなことがあったら……。

 そう思うだけで、胸が重くなる。


 


◆ ◆ ◆


 


 出かけようと玄関に向かった時、不意に腕を掴まれた。

 振り返ると、香澄が下着姿のまま、俺を抱きしめてくる。


「……か、香澄。服……」


「いいの。真尋しか見ないんだから」


 耳元で囁く声は甘い。

 けれど、その温もりは、妙に逃げ場を塞がれているみたいだった。


「ね? 真尋は私だけ見てればいいよ。……わかるよね?」


「……うん」


 そう答えながらも、心の奥に小さなざらつきが残った。

 でもそれを言葉にしたら――また彼女を不安にさせてしまう。

 そして、その原因はきっと……俺の方にあるのだ。

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