平和の最寄り駅

桜无庵紗樹

第1話 平和の最寄り駅――少年期――

 私が子どもの頃―――確か、小学4年生の時だ。当時の私は今と比べるとそれはもう純朴で、今と比べても同じくらい反抗的だった―――。親の仲が途端に悪くなった。私の予想でははたくさんあったに違いない。

 

 当時、父が経営していた診療所が経営難に陥っていた。

 

 そのことの経緯を説明するために知っていほしいことがいくつかある。

 私たちは自然豊かな町に移住した。「何があるのか?」と問われれば暫しの沈黙の後に「畑かな」としか答えられない程、特に何もない田舎だ。言うなれば、ド田舎だ。

 そこには公共交通機関は通ってなく、最も近くのスーパーでさえ十数km先にある始末だ。

 当然、医局なんてものはなかった。しかし、その町も少子高齢化のを受けて、いつしか老人たちの町となっていた。お盆頃には息子・娘夫婦たちが孫を連れてくるので、その時だけ子どものいる町となった。

 

 まあ、そう言っておきながら一応子どももいる。ほんの僅かだが。

 15歳以下、つまりは中学生以下の子どもが11人いた。ちょうど、サッカーチームを組める人数だ。まあ、相手はいないのだが。


 そんな状況の町に、働き盛りの男女二人とサッカーチームの補欠二人が来た。


 私の父と母、それに私と弟だ。


 ただ、それでも私たちはサッカーを出来なかった。子どもたちは大して気にしていなかったが。


 しかし、老人たちは大喜びだった。なんせ、父が診療所を立ち上げたからだ。


 私の父はこの町の出身らしい。だから、だろう。こんな辺鄙なところで診療所を開業したのは。


 町にようやくできた診療所。昼夜問わず多くの人が来た。父はほとんど帰ってこず、母も父の手伝いで居ないことがしばしばあった。

 その時、私が5歳で弟は2歳だった。しかし、特段「孤独だ」とか「寂しい」とかいう訳ではなかった。

 両親が居ない間は町人が良くしてくれていたし、診療所も家からそう遠くはなかったからだ。


 そこからしばらくは本当に幸せだった。誰に何を言われてもその頃は幸せだったのだ。

 

 しかし、だ。幸福はいつまでも続かない。世界は変化し続ける。しかも、不可逆性の変化だ。

 人は死ぬし、ものは壊れるし、思いは変わる。


 たった5年だった。父が診療所を開業してから。

 バスの路面が整備されこの街にも届き、バスで15分ほどの隣町に大学病院が建設されたのは。

 その病院は、若手から熟練まで多くの医師が揃っており、最新の機器も充実していた。さらにはバスで一本という利便性も拍車をかけた。


 今まで何十年と変わりもしなかった変化がこの地域に訪れた。


 多くの人にとってそれは「幸せ」以外の何者でもないだろう。ただ、私達にとっては必ずしもではなかった。


 まあ、お察しの通りだ。診療所訪れる人は一人、また一人と減っていった。


 それでもまだ来てくれる人はいたし、父も母も以前と同じ熱量で真摯に取り組んでいた。

 しかし、私や弟の目から見ても明らかなほどに両親疲弊していった。


 人間関係の崩壊とは、基本的に崩壊である。ある程度の時間をかけ、互いが互いに相手の許すことができない点―――社会的許容限界点とでしよう―――を踏み越え続けることで発生する。

 例えるなら地雷原の上でタップダンスを行うようなものだ。

 爆発したら、二度ともとに戻せない変化が起きる。それが良い方向に傾くか、悪い方向に傾くか。

 それは本人らの努力と、その場その場の運で決まるだろう。


 「なぜ唐突にこんな話をしたか?」


 答えは明白。私たち両親は互いに踏んでしまったのだ、心にある地雷を。

 互いの器は表面張力によってギリギリ保たれていた。ただ、当然のようにそれは酷く脆かったのだ。


 父は、母に「なぜ病床のシーツにシワがある!?これ以上患者が減ったらどうするつもりだ!」と言った。


 母は、父に「なぜ家に帰ってこない!?家事をやらない!?子どもたちはどうでも良いのか!」と言った。


 これは私が提唱している理論なのだが「人の生における幸福は赤の他人との比較ではなく、過去の自身との比較である」という理論。「個人内時系列比較的幸福多寡論」とでも呼ぼうか。

 

 この人らはと比べては不幸せだ、と感じているのだ。そして、原因は「大学病院の出現」どうしようもない現実だった。


 己を不幸と感じている人は、他人の悪点を血眼で探し出し、そこを親の仇と言わんばかりに突く。

 それが、少年の頃私が見出した一つの「法則」だった。


 私たちの親がだった。


 さらに2年後、母親はまだ幼い弟と私を置いて出て行った。発見者、というよりは気づいたのは私だった。しかし当時、私は「母は私たちを置いて出て行った」という発想には至らなかった。


 母が居なくなった、その朝。窓の外に見える空は、いつものように早朝特有の朝日に照らされ。雲は低く、風は生ぬるく、遠くの山は輪郭をぼやかしていた。田舎の朝は、季節の変わり目を喉で感じさせる。秋と冬の境目、まだ霜も降りないけれど、夏の残り香はもうどこにもなかった。


 私は、いつも通り五時過ぎに目を覚ました。母が立てる台所の音がしないことに気づいたのは、そのすぐ後だった。朝の音、というのは身体に染み込んでいる。包丁がまな板に当たる音、味噌汁の煮立つ匂い。だがその朝は、音も匂いも、何もなかった。


 布団をたたみながら、妙に軽くなった空気が背中を撫でていった。まるで何か大事な物、例えば財布だったり携帯だったりを落としたような。胸の奥が持ち上げられたような、得も言われぬ不快感があった。

 弟の部屋からは微かな寝息が聞こえる。私は階段をゆっくりと降りた。手すりに手を添える指先が、冷たい。


 リビングのドアを開けた瞬間、ふっと胸が空洞になるような感覚があった。そこには、誰もいなかった。


 台所には湯気の立たない鍋。朝刊は玄関に置かれたままで、母のスリッパはいつもの場所に脱ぎ捨てられていたが、その横にあるべきもの――母の姿が、なかった。


 嫌な予感がする、というより、「何かが違う」という違和感の方が先に立った。私は無意識のうちに家中を見て回った。洗面所、風呂場、寝室。全て、空っぽ。物音ひとつしない。家は、正確に言えば“いつも通り”整っていた。

 

 ただ、“母だけ”が、いなかった。


 その時、二階から足音がして、弟が降りてきた。目をこすりながら、開口一番「お母さんがいない」と言った。泣きそうな顔ではあった。

 私は「お母さんちょっと出て行ったよ!」とすぐにバレるような、軽薄で希望的な嘘で誤魔化した。弟は安心したのか、リビングにあるソファで二度寝を始めた。


 私は、ふと横目に玄関を見た。そこからは強烈な違和感があった。


「あれ?靴⋯⋯一足、足りない?」


 数を数えると、靴の数は3つ。いつもは4つだ。私のと、弟のと、母のと、共用のサンダルの4つ。あとの靴はすべて靴だなにしまってある。父は、この日も診療所にいた。


 それが何を意味するのか、私は正確にはわかっていなかった。ただ、胸の奥に、暗いものがじわりと広がるのを感じた。炭の粉のような、小さくて黒い粒が、心の表面を静かに曇らせていく。


 まったく理由のない、直感的なものだった。私は「母はきっと診療所にいる」と思い込んだ。


 そこからの行動は早かった。すぐに自転車で父の診療所に向かった。


 朝の冷気が顔を叩く。ペダルを踏むたび、心臓が痛んだ。道の脇に広がる田んぼは既に刈り終えられ、刈り株だけが茶色く、地面に残っていた。電柱が等間隔に並ぶその田舎道を、私は必死で進んだ。


 診療所が見えてきたのは、息が上がりきる少し手前だった。まだ午前6時頃、患者の影はない。だが、窓から漏れる淡い灯りが、そこに誰かがいることを示していた。


 私は、自転車を止め、そっと塀の影に身を寄せた。

 

 何かが、頭の中で鳴っていた。グルグルと、ざわざわと。頭の奥で「行ってはいけない」と誰かが囁いた。


 言葉にならないざわめき。小鳥のさえずり、風が木々を揺らす音、足元の砂利を踏む自分の靴音。

 すべてが遠ざかっていくような、奇妙な感覚がした。

 地面に伏しているような、宙に浮いているような、水に沈んでいるような、そんな感覚。


 ふと、カーテンの隙間から、部屋の中が見えた。


 父がいた。そして、その隣にはがいた。


 ふたりは笑っていた。小さな声で何かを話し合いながら、父は書類に目を落としていた。その女性―――白衣の下にピンク色のタートルネックを着た長い髪の女の人―――は、父の腰に手を置いていた。

 親密という言葉では言い表せない、柔らかな距離感。


 喉が詰まり、呼吸がうまくできない。「コヒュッ。コヒュッ」と音が漏れていた。どこからかは分からない。しかし、父に見つかってはいけない。


 しかし、私は動けなかった。


 鼓動だけが異常に早く、胸の中で空回りしていた。心臓が捻れてしまったのだろうか?心臓は千切れてしまったのだろうか?


 ドクドク。ドクドク


 手足の先から血が引いていくような感覚。風が吹いても、それが寒さなのか、自分の震えなのか、わからなかった。


 数秒だったと思う。けれど、永遠に感じた。


 その時、私は初めて、世界が「崩れる音」を聞いた。



 パリン、と音がした。



 音がしたという気がした。


 いや、本当に音がしたわけではない。ただ、何かが心の奥で壊れた。それは確かだった。母がなぜいないのか。どうして靴がなかったのか。すべてが繋がる。私は目を背けた。見てはならないものを見たのだ、そう思った。


 ああ、母もを見てしまったのか。

 

 足がもつれながらも、自転車を停めたに戻った。

 手が震えてうまくブレーキを握れない。もう泣いていたかもしれない。覚えていない。

 強烈な吐き気だけが、胸の奥でずっと渦を巻いていた。


 


 私自身、その後私がどんな行動をしたかは覚えていない。

 いつの間にか、私と弟は父方の祖父母―――現在は別の人が引き継いでいるが、とある大企業の設立者兼元社長だ。そして、当然ながら資産家だ。―――――に引き取られ、埼玉の山奥の田舎町から、大阪の大都市に引っ越した。


 父は相変わらずあの田舎町で他所の女うつつを抜かしているのだろう、母は未だに連絡がつかない。


 あの朝のことは、今でも鮮明に覚えている。


 誰も死んでいない。誰も暴力を振るったわけでもない、振るわれたわけでもない。


 そこからはひどいものだった。


 あの日のこと、逃げられない絶望の日、忌まわしき「仮初の平和」が破られた日を。


 毎日、毎日毎日。毎日、毎日、毎日。


 毎日、夢に見た。


 夢から覚めるたびに私は思う。私は最善を尽くせていただろうか?

 もし、母が消える前に目覚めていたら。もし、父の不倫を事前に止められていたら。


 所詮、夢だ。結局、起きたことは変わらない。ただそれでも、夢の中だけでも「幸せ」に「平和」に生きられたらよかった。




 

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