外伝:「RAIN MAKER」

空は赤く燃えていた。

大地は黒く焦げ、風は硝煙と血の匂いを運ぶ。

互いの国が、互いの喉笛を食い破らんと牙を剥くこの戦争は、もはや理由を失って久しかった。


資源を奪うため、領土を守るため――

そうした大義はとうに色褪せ、残ったのは報復の連鎖だけ。

日ごと夜ごと、地平線の向こうで爆光が咲き、死者は雪崩のように積み重なっていく。


ハル・ブライアは、その光景を黙って見つめていた。

男とも女ともつかぬ容貌の天才エンジニア。

しかし今、その双眸は疲れ果て、静かな怒りを湛えている。


「――終わらせなければ」


戦火に呑まれた街で、あの日、彼はすべてを失った。

守れなかった者たちの顔が、焼け跡の煙の向こうに見える気がした。


当時、戦場の主役は空だった。

航空機群が制空権を握り、敵地に火と鋼を撒き散らす。

だが、それも撃墜されれば終わる。


ハルは考えた――撃墜不能な浮沈の要塞があれば、この戦争は終わる、と。


こうして浮上式全方位戦略要塞《RAIN MAKER》の設計は始まった。

二十基の揚力装置が巨躯を持ち上げ、常温核融合炉が果てしない力を注ぎ込む。

内部には弾薬や建築資材の生産工場が無人で稼働し続け、材料が続く限り供給は尽きない。

外殻装甲は破損すれば切り離され、数トンの質量弾として敵陣に降り注ぐ。

百を超える下部砲塔は雨雲のように沈黙し、やがて地獄の雨を呼ぶ。

可変ミラー群は陽光を掴み、大気を裂く収束レーザーへと変える。


しかし、この兵器は危険すぎた。

使い方を誤れば、人類そのものを滅ぼしかねない。

だからこそ、誰よりも責任を背負える者が必要だった。


ハルは、答えを出した。

「意志なき意思……それなら、僕でいい」


自分の貧弱な肉体では戦場に立つことはできなかった。

先に戦死していった同期への負い目が、決意を押し固めた。


手術室は静かだった。

麻酔の甘い匂いの中で、ハルの脳髄は慎重に切除され、神経線維が冷たい金属端子へと接続されていく。

視界は闇に溶け、次の瞬間、彼は機械の内部で目覚めた。

感覚は曖昧で、時間は遅く、しかし巨大な鋼鉄の肉体を得たという実感は確かにあった。

これが、ハルが《RAIN MAKER》の中枢となった瞬間だった。


出撃の日、敵の主力航空打撃群は空を埋め尽くしていた。

空に浮かぶ要塞を視認した瞬間、パイロットたちは互いに目を見開く。


「なんだあのデカブツは……」

「敵の新型兵器か……?」

「動きは鈍いぞ!撃ち落としちまえ!!」


空対空ミサイルが矢のように飛ぶ。

着弾の衝撃で装甲表面が轟音をたてて振動するが、要塞は微動だにしない。


「どんな装甲してやがるッ!」

「ミサイルを一か所に集めろ!!」


辛うじて集中攻撃で剥がれ落ちた装甲。

しかし、その下から新たな装甲がせり上がる。

まるで生き物が脱皮するかのように。


「化け物め…」

「装甲の薄い箇所を探すんだ」

「上部は砲門が少ないぞ!上から狙え!」


編隊は旋回しながら飛行要塞の上部を目指す。

本体内部のハルの脳髄は冷静に分析する。


(確かに君たちの見立ては正しい)

(この兵器は地上制圧を重視して設計されている)

(だが……)


要塞の中心付近に据えられた可変ミラーがパタパタと角度を変え、太陽光を反射・収束させていく。

細く絞った熱線が空を舐めるように走り、敵編隊は紙細工のように崩れ落ちた。

恐怖と絶望が空を覆う。


ハルの内部に、熱い高揚が湧き上がった。

敵の戦闘員たちが正確に計算された兵器によって、次々と撃墜されていく。


(これが……力だ。この空は僕のものだ……!)


自分の意思で空に秩序を与え、周囲一帯を我が物とする全能感は、愉悦そのものだった。


防衛線は直ちに突破され、ハルは敵国本土に迫る。

都市の人々は、最初、大きな黒雲が迫ってきているものかと錯覚した。


やがて静かに雨が降る。

その瞬間、百の砲口から、終末の雨が降り注いだ。

抵抗は数分で途絶え、戦争はその夜で終わった。


だが、勝利の中で、ハルの心は沈黙していた。

炎に包まれる街の中には、戦わぬ者たち――子どもも老人もいた。

彼の頭脳は、その悲しみを背負うには理性的すぎた。


(……soRRy##soRRY……$$SORry……%%%soRRy&&&sorrY……!!soRRY……sorrY####……SORry%%%sorRy……foRgivEme###SORry……)


ハルはもはや感情を手放した。

その心に残ったのは、ただひとつ。

――自由な空への憧憬。


《RAIN MAKER》はゆるやかに旋回し、上昇を始めた。

雲の層に飲まれ、やがてその巨体は空の彼方へと消えていく。

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