15:桜散る。椿落つ、さて人は(Fragment)

 樹間に葉擦れの音と湿った土の匂いが漂い、空気は静まり返る。


 ぴしっ――


 頭上の枝に仕掛けられた針金罠が弾ける音。

 ツナギは跳躍し、足元を狙う毒矢をかわす。

 背後から空気を切る音が迫り、振り下ろされるナイフを咄嗟に受け止めた。


 姿を現したのはシヴだった。


「初めましてだな、“ツナギさん”。いやぁ、鮮やかな手際に痺れたよ。

 スキズムの旦那、ほとんど一方的だったしなぁ」


 いつの間にか派手なアロハシャツから密林に紛れる迷彩服へと着替えている。


 シヴは音もなく動き、罠が張り巡らされた足場へと誘う。


「トーカ!君はこっちに来るな!」

 棒切れを構えてシヴに飛び掛からんとしているトーカを牽制する。


「なんでだよ!オレが足手まといだってのか?!」



「そうじゃない!ここはあの男の狩場だ……」


 光るピアノ線が木漏れ日に怪しく煌めいた。


「まあ準備万端ってわけだ、悪く思わないでくれよ」


 シヴが手元の線をたぐると、折り曲げられていた枝が弾かれる。

 くくり罠のようなロープがトーカの手足を空中に縫い付けた。


「ぐッ……」


「多対1は苦手なんでねぇ、まずは一人。」


「チクショウ!離せよ!」

 トーカはジタバタともがいているが、おそらく繊維の束を逃れるのは不可能だろう。


「おっと、よそ見する暇はないさね?」


 シヴが空かさずナイフを繰り出す。


 火花と血が散る。

 突き、払い――最小限の攻防が続いた。


 ツナギの猛攻を、シヴは何度も愉快そうに凌ぐ。


「焦ってるなぁ、そうだろう?」


 均衡しているように見えるが、次第にシヴの傷は増えていった。


「本当に強ぇなあ、久しぶりにゾクゾクするぜ」


 一瞬の隙。


 ツナギの刃がシヴの肩を貫いた。

 シヴは一瞬顔をしかめるが、同時に突き出されたツナギの腕を取って投げる。


(関節を取られている……抵抗すると手首が外れるな……)

 ツナギは抗わず、転がって勢いを殺した。


 ナイフが肩に突き立ったまま、シヴは痛みを楽しむように笑う。


「まあ“仕事”だからな。そろそろ遊びは終わりだ。悪く思わないでくれよ」

 視線はツナギを越え、拘束されているトーカへ向けられる。


「大事なんだろ?ずっと後ろを気にしてたな」


 ツナギは沈黙を保つ。

 シヴの瞳が細まり、鋭さを増す。


 茂みが揺れるとドミナの配下である痩せた女が現れた。

 汚れた包帯を引きずりながら、重たい足取りで近づく。

 真っ赤に充血した目から涙が溢れ、恐怖と苦痛に引きつった顔は老人のように見えた。


 包帯の隙間から先ほどの男と同じ爆発物。


「……ごめんなさい……ごめんなさい……許して……」

 誰かにすがるように、あるいは罪を贖うように、声を漏らす。


 シヴの指先が無線機のスイッチを静かに押す。


「ッ……!」


 ツナギは自らの身を盾にするように女とトーカの間に割って入った。


 その瞬間、閃光とともに激烈な爆風が辺りを飲み込む。

 地響きとともに濃い煙と刺激臭が充満し、視界は真っ白に染まる。


 その中で、誰の声も姿も見えなかった。


 ***


 強い衝撃で一瞬意識が飛んだが、オレは目をひらいた。

 爆風で木々ごと薙ぎ倒され、手足の拘束は解かれたようだ。


「ツナギ…?」


 自分に覆いかぶさっているものの正体に気づいた。


 ツナギの苦しそうな荒い息遣い……


 彼の背中に手を回すと手に感触がある。

 手のひらを確認するとべったりと血がついていた。


「え……?」


 状況が呑み込めない……


「良かった……今度は……」

 ツナギは嬉しそうに、何か感謝するように、息も絶え絶えに呟く。


「な、なんで……?」


 慌てて彼を押しのけ飛び起きると、ツナギの背中は服が破け、焼けただれていた。

 何かの破片がいくつも突き刺さり、そこから血がとめどなく溢れている。


(そんな……待てって!)


 オレは必死に両手でツナギの傷口を押さえる。

 だが血は止まらなかった。

 まるで命そのものが、指の隙間からこぼれ落ちていく……

 手の平から伝わるツナギの鼓動はみるみる弱まっていった。


「イヤだ……止まれよ!!止まってよ。」


 ゴホゴホとせき込むツナギの口からもどす黒い血が溢れた。


「トーカ…いきろッ…。いきて、ッお前は……幸せな……未来を…」


 トーカの手を取り、最後の言葉を伝える。

 彼の強い意志や、優しさの籠もった眼差しは、永久に失われてしまった。

 ツナギはもう動かない。


  「あ……あ、あああああああああああ——ッ!!!!!」


 ”オレ”の心の中の大切な何かが、粉々に砕けてしまった。

 ”わたし”は、地面に横たわるツナギの身体にすがりついて泣いた。


 ***


「私は弱らせろと命じたはずでしょ……殺したら意味ないじゃないの!」

 ドミナは苛立ちを隠さず、シヴを睨みつける。


「生かしておいたって無駄だ。あいつは絶対に精神を明け渡さない」

 ……どれだけ弱ってもな」


 いつにないシヴの真剣な声にドミナは一瞬言葉を失う。

 だがやがて、小さく息を吐いて納得したように頷いた。


「……まあ、いいわ」


 ドミナはつまらなそうにトーカを指差す。


「もう用はないし。殺しちゃって、ね?」


 気乗りしない表情で、シヴはため息をつく。

 静かにハンドガンを抜き、トーカへと歩き出す。


 トーカは動けない。

 ツナギの体が温もりを失っていく現実に、心が追いついていなかった。


「無駄だったのよ、その男の死に様。犬死だったの……ねぇ、わかる?」

 ドミナの言葉が、トーカを刺す。


「…………」


 動けない。

 もうこのまま終わってしまってもいいとすら、思っていた。


 カチリと引き金が冷酷に鳴った。


 弾丸が放たれる。

 それは、まっすぐトーカへ――


 ┏━━━━━━━━┓


 ――その瞬間。

 世界が軋むように引き延ばされた。


 音が止む。

 全てが引き延ばされる。


 その中で、誰かの足音が空気を割った。


 宙を飛ぶ弾丸に割り込むように、

 その男の“指先”が届いた。


 ┗━━━━━━━━┛


 男の名はロクショウ。

 鉛會の二代目組長。


「……間に合ったか。死んだ甲斐はあったな、ツナギ」


 目の前で、弾けるように火花が散った。

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