05:巨人のはらわた(Process)

 猛烈な雨音。時折、砲雷が轟く。

 ヒィーンと風が唸り、直後に鈍い着弾音。

 数十キロの砲弾が、隣の戦友の頭を鉄帽ごと潰した。

 ――今回も、自分の番ではなかったらしい。


 生き残れたという喜びは、もう無い。

 見渡せば、手足をちぎり飛ばされた仲間が、訳の分からないことを喚きながら芋虫のようにもがいている。


 正真正銘の地獄だ。


 死体を埋葬する穴掘りの心配など、必要ない。

 この塹壕こそ、俺たちの墓穴そのものなのだから。


 日が沈み、敵の攻勢がやむと、泥水を啜る。

 配給の芋はとうに尽きた。

 手近なところでトカゲや蛇に齧り付いて飢えを誤魔化すが、それも限界に近い。


 そして――ある日、俺はとうとう諦めた。

 何を食べたのか、はっきりとは覚えていない。

 だが、あの味は――確かに、うまかった。


 ***


 《円滑なコミュニケーションのため、同期モードをONにします……》

 

 

 

「オレの名前はトーカ。あんたは?」

 

 男は先ほどの戦闘で見せたギラギラとした眼光とは打って変わり、

 ぼんやりと遠くを見つめていた。


「ん?ああ。」

 男は何か思いだしたかのようにこちらを見る。


「何と呼んで貰っても構わない。以前の名前はもう捨てた。」


「ふーん……あっそ。」

 

 オレは男の着古された“つなぎ”を指差した。

「じゃあツナギでいいか?」


「ああ、それでいい。」

 ”ツナギ”は満足そうに笑った。


 2Fのアーカイブフロアで、ロギエルの更新を済ませるとアナウンスがあった。

《報告:3F踏破報酬があります。》

《報酬:1000NIL、ならびに2F加工センターから 缶詰 20缶分が受け取り可能です。》


「報酬!」


 加工センターに案内されると、中は白い光に満たされていた。

 天井から伸びる太い配管。

 奥のコンベアには、銀色の缶詰が次々と流れていく。

 無人の施設。


《受給者識別完了。報酬:缶詰二十個。栄養素:十分。》


 オレはその内の一缶を手に取った。

 ラベルには何も書かれていない。


 隣で、ツナギがプルトップを開けた。

 指で掬って口に運ぶ。

 その瞬間、瞳が闇を見るような漆黒に染まった。


「トーカ。君はこれを食べなくていい。」

 穏やかだが、どこか強い声音だった。


「なんでだよ。美味そうじゃん。」

 自分の缶を開けると、制止も聞かずにスプーンで掬い取った。


「うまいから独り占めしようとしてるんだろ?」

 そのまま大きく一口、口に入れる。


 口の中に広がったのは、馴染みのない味だった。

 風味も自分の食べたことのあるどんな肉とも違っていた。


「ロギエル。これ、何の……?」


 《施設内で廃棄された有機成分を再利用しています。十分加熱殺菌されペースト状に加工しているため、消化しやすく栄養価も高いです。》


 スイーパーを思い出す。

 塵ひとつない施設の廊下を思い出す。

 オレ以外の人間はどうなった?

 ツナギのように自分の力で生き残れる人間もいるだろう。

 でもそうでない人たちは?

 怪我人や病人、戦うことを諦めた人達……


 悍ましい想像が、目の前に抱える肉へと向かった。

 

 次の瞬間、俺は胃の底からこみあげるように嘔吐する。

 喉を焼くような酸味が込み上げ、涙が溢れた。


「クソッ……クソぉ…ッ…なんだってこんな酷いことを……」

喉が痙攣し嗚咽が混ざる。涙が次々と頬を伝い、床を濡らした。


《有機資源は限られています。無駄にすることは不合理です。》


「大丈夫か?」

 ツナギはそっとオレの背を摩ってくれた。


「うるさいッ……なんでっ、アンタはっ、ヒック。平気、なんだよぉ……!」

 涙でぐしゃぐしゃの顔で、ツナギを怒鳴りつけた。

 誰かにこの感情をぶつける他に方法を知らなかった。


「そんなこと、君は分からなくていい。」


 ツナギは目を伏せて続けた。

「トーカ、君が感じた怒りや、流した涙は、決して不合理な物なんかじゃない。

 それは、きっと彼らにとっての弔いになる。」


「俺はもう泣けなくなってしまったからな。君が代わりに泣いてやってくれ。」


 部屋には、トーカの嗚咽だけが静かに響いていた。


 その間も、工場は止まらない。

 巨大なフードプロセッサーが唸り声を上げ、

 新たな缶詰を、冷たく吐き出し続けていた。

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