喪失
他者からの侮蔑による絶望は、まるでシリカゲルで構成された蟻地獄のよう。それは底なし沼に沈没して身体を攫い、すなわち脅威と変化する。いつの日か、瑠璃は作詞中にそう説いていた。普段とは異なる、硬派な口調だった。
僕は酔ってもいないのに千鳥足で会場を出る。真っ黒いスーツのポケットからスマートフォンを取り出すと、不在着信が掛かっていたが、あからさまに詐欺の電話番号だった。
横断歩道の信号が変わるのを待機しつつ、メモアプリを開く。ダークモードの画面に「理解できない」とだけ記した。瑠璃に死を促進した奴らの心情など。
これから先、瑠璃は……話題沸騰中のアーティスト「Laruli」は、二十四歳という若さで自殺したと報道される。それは絶対だ。ただ、どうか自殺と表記しないでほしい。瑠璃の死は殺害によるものであり、別の漢字二文字に置き換えるなら「他殺」だ。
人々のせいで、環境のせいで死に追いやられた彼女を、これは酒の肴にできると謳うのか? 死は逃げで甘えだと説くのか? もしもそれが全てだったら、僕は世界を抹殺したくなってしまう。
信号が緑色の青に変わる。小鳥の鳴くような電子音がやけに煩い。有線イヤホンを装着し、Laruliの中では比較的マイナーな曲を再生してから歩き出す。
Laruliの代表曲である「晴天にロリポップ」はSNSで話題を呼び、爆発的な大ヒットを記録。僕が大学を卒業するより先に、その代表曲はミリオン再生を突破した。
有名な某事務所に所属し、飛ぶ鳥を落とす勢いでメジャーアーティストへの道を駆け上がる瑠璃の生活を、少しでも支援できたなら。僕は会社に就職してからも、瑠璃からの暇電にはとことん付き合った。愚痴は全部聞くよと約束した僕へ、瑠璃はちょっとした事務所の闇を散弾銃のように食らわせた。
それもそれで、瑠璃の負担が減るのなら、僕は好きな時間だった。好きなはずだった。
『じゃあ、また明日』
『宙都』
『どうした?』
『その……やっぱり何でもない。またね』
いつも通り電話を切る直前、瑠璃はしどろもどろになっていたが、僕は特に気に留めなかった。本人が何でもないと断言したなら、何でもなかったのだろう。それくらいに考えていた。
だけれども、翌日の会社のお昼休みに瑠璃からメールが来ていた。
『これは私なりに沈んだ末路 遺書さえも深海に還っていく』
これまた、Laruliの歌詞の雰囲気とは違う表現の詩だった。一抹の不安が、ぐるるると渦巻いて止まない。思い切って瑠璃に電話をかけようとした矢先、着信音が響く。Laruliの曲に設定していたのが余計に恐怖を駆り立てた。
瑠璃と似て非なる声が「もしもし?」と言った。僕のそれ以降の記憶はあやふやで、出来事はトントン拍子に進み、葬式に至る。
誰かの悲鳴がイヤホンを貫通する。右に首を回すと、視界が白飛びするほどのスポットライトを浴びる。それが自動車のライトだと気づくまでに、時間はそれほど要さなかった。自動車の方は赤信号のサインが出ている。
「……瑠璃」
呆気ない。僕は軽々と吹っ飛び、全身を打ち付けられた。幸いにも手足から着地したが、激痛で動けるわけはない。激痛。でも、瑠璃よりはきっとマシな激痛だ。
僕は数メートル先まで滑っていったスマートフォンを眺めながら、遂に意識を失った。まさしく深海に沈没するように、視界が延々と続く漆黒に成り果てた。
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