創作と箱庭とナイフ
「ついでに、瑠璃のこと思い出していた」
ひとときの回想から戻ると、カクレメは「それならよかった、僕」と笑い返してくれた。彼はフードを被り直して俯く。
「この世界は、人類の創造により出現したアナザーワールド。箱庭は、創作者のためのコミュニティ。ここは作詞作曲を嗜む人が集うグループの一つだ」
ファンタジーな話が繰り広げられているはずなのに、僕は妙に頷いてしまう。カクレメの語りが真実なら、Laruliの歌声以外が聴こえたわけも腑に落ちるからか。
「人々は、肉体からわずかな意識のみが分裂した『もう一人』を持つ。現実世界では、創作意欲は前触れもなく込み上げるものだろう。そんなときは、もう一人がこの世界で創作を行っている。それに連動して閃きが起こるんだ」
「もう一人は『創作力の擬人化』ってところか」
「まあ、そういうこと」
カクレメは目線の先に生えている枯れ木を一瞥した。火の手はこちらまで来ていないから、炭化した跡は過去の苦々しい記録だろうか。
「……創作者らが創造した世界がここなのに、何らかの原因で創作の消費者やどちらにも属さない者も現れた。その者らは、姿形の見分けがつきにくい人影のような何かになる」
「それはカクレメもじゃなくて? 僕、音楽は聴く専門のはずだ」
「そこがややこしいんだよね」
カクレメが溜め息をついて唸る。その間に、僕ら二人以外の足音がして、僕の肩が跳ねた。足音はタッタッタッと小気味よく接近してきて、息を殺す。
しかし、足音はすぐに彼方へ去っていった。僕は伏せていた顔を前に向ける。人の輪郭だけが、透明人間よろしく走っていた。目を凝らすと、他にも大量の「もう一人」が炎から遠ざかるように避難していた。そうか、見えていないだけで大勢いたのか。
「……宙都は意識を失う直前に、Laruliの曲、要するに創作物に強い想いを持って接触していた。その感情は主に悲壮、怨念、憤怒。マイナスな成分が含まれている」
カクレメは慎重に言い回しを取捨選択しているようで、悩みながらそう言った。
「それと箱庭に何の因果関係が?」
「箱庭に来た理由の一番が、それによって、急激に創作物への意識が向いたのと、創作者であったLaruliの関連人物だったことだよ。今まで人影の一員だったボクが急に形成されて、宙都の意識を受け止めるクッションがこの箱庭で……」
「僕がここに来た原因を一文に纏めると?」
「様々な事象が絡まって発生してしまった、アナザーワールドのバグ」
カクレメはポケットから取り出したものを僕に投げてきた。また反射的にキャッチすると、それは鞘で覆われていたが、明らかにナイフだった。鞘を抜けば、先端が光を反射する。
「単刀直入に言うと、宙都は事故に遭った。多分、その衝撃で記憶の一部が抜け落ちていたんじゃないかな。命に別条はないけれど、ここから帰るには箱庭がこのバグを認知しなければいけない。……そこでボクは思いついた。僕がボクを殺せばいい」
何度目かの爆発音が轟く。突然の情報量に「へ?」と呟いたが、カクレメには届いていなかったに違いない。事故に遭った? 僕がボクを殺す? どうして? 脳内がはてなマークで支配される僕に反して、カクレメは説明を続ける。
「ボクが消えても、現実世界に大きな影響はない。ただ、創作者には二度となれないけど、僕はサポート側にしか回ったことないし、大丈夫だよね」
「そんなことより、刺す理由は」
「もう一人が死ぬのはあり得ない状況だから、世界がバグに気づいて修正してくれる。そんな一縷の望みに賭けるため。正確には人影に戻るだけだけど、これがボクなりに生み出した宙都を帰還させる方法」
カクレメの淀んだ瞳が僕の鼓動を急かす。燃えているのは遠方のはずなのに、皮膚が熱されている感覚がして、痛い。ナイフの刃は金属臭く錆びていて、なおかつ荒かった。痛いに決まっている。
「それは言葉のナイフと呼ばれる代物。本来この箱庭にあってはならないものだから、処分ついでにやってよ」
僕らは立ち上がる。カクレメは磔刑台に拘束されているかのように、腕を横に広げて見せる。僕の動悸は留まることを知らず、震える両足でどうにか踏ん張る。
「嫌です」
「早くして」
汗でナイフが滑り落ちそうで、箱庭を傷つけてしまいそうで必死に握る。事故とか記憶喪失とか、今さらどうでもよい。大事なのは。
「言葉のナイフを他人に向けてはいけないのは、僕がよくわかるはずだ。だって――」
脳天に落雷したような衝撃が、僕を貫く。点滴が最終的には石を穿つように、徐々に思い出した記憶が、最も忘れたくなかった記憶を呼び起こす。僕は地面にうずくまり、駆け寄るカクレメに安心感を覚える。
カクレメは僕だ。最悪の事態が起こってからではないと実行できない点が、憎たらしいほどに類似している。僕は、事故に遭う数分前の記憶を覚醒させ、言葉にして吐いた。
「瑠璃が、その被害者として死んだから」
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