第4話 見えざる手腕
吉法師の改革は、
驚くほどの速さで、
尾張に、
確かな成果をもたらしていた。
城下には、
活気が戻り、
領民たちの顔には、
希望の光が宿り始めていた。
商人たちも、
吉法師の公平な取引に、
信頼を寄せ、
尾張の経済は、
目覚ましい回復を見せていた。
しかし、
その成功の裏で、
新たな影が、
静かに、
しかし、
確実に、
忍び寄っていた。
城内では、
吉法師を快く思わない、
一部の老臣たちが、
密かに、
不穏な噂を流し始めていた。
「あのうつけは、
美濃の蝮と通じている」
「尾張を乗っ取るための、
内通者に違いない」
そんな囁きが、
まるで、
毒のように、
じわりじわりと、
城内に広まっていく。
濃姫の耳にも、
その噂は、
届いていた。
彼女は、
その噂を聞くたびに、
胸の奥に、
冷たいものが、
広がるのを感じた。
せっかく、
吉法師との間に、
信頼が芽生え始めたばかりだというのに。
家臣たちの視線が、
再び、
濃姫に突き刺さる。
それは、
かつての侮蔑とは、
少し違う。
疑念と、
そして、
警戒の色を帯びていた。
濃姫は、
再び、
深い孤独感に苛まれた。
まるで、
広大な荒野に、
一人、
取り残されたような感覚だった。
吉法師の隣に立ち、
共に尾張を救うという、
確かな希望を抱いたばかりだというのに。
この孤独感が、
彼女の心に、
微かな「違和感」を生じさせた。
本当に、
このまま、
吉法師を信じて、
良いのだろうか。
そんな疑念が、
彼女の心の奥底で、
小さく、
しかし、
確実に、
芽生え始めていた。
ある日、
濃姫は、
偶然、
吉法師の部屋の近くを通りかかった。
部屋の中から、
激しい口論の声が聞こえてくる。
濃姫は、
思わず足を止めた。
中を覗き込むと、
そこには、
吉法師と、
数人の家臣たちがいた。
彼らは、
激しく罵り合っている。
その内容は、
金銭の不正についてだった。
吉法師は、
静かに、
しかし、
有無を言わさぬ口調で、
彼らの不正を暴いていた。
家臣たちは、
顔を真っ赤にして、
言い訳を重ねるが、
吉法師の言葉は、
彼らの言い分を、
次々と論破していく。
その光景は、
濃姫にとって、
衝撃的だった。
吉法師は、
家臣たちの不満や弱点を、
密かに利用し、
彼らを内部から分断する策略を、
具体的に実行していたのだ。
彼は、
彼らの不正を、
事前に把握しており、
この機会を、
虎視眈々と狙っていたのだろう。
その冷酷な手腕に、
濃姫の心は、
震えた。
彼の「うつけ」の仮面の下には、
これほどまでに、
恐ろしい知略が、
隠されていたのか。
彼女の心に、
大きな「感情の膨張」が起こる。
それは、
恐怖と、
そして、
彼への、
新たな認識が入り混じった、
複雑な感情だった。
吉法師は、
家臣たちを、
一人ずつ、
追い詰めていく。
彼らの顔は、
絶望と、
そして、
怒りで、
歪んでいた。
吉法師の表情は、
相変わらず、
泰然自若としていたが、
その瞳の奥には、
冷たい光が宿っていた。
それは、
まるで、
獲物を仕留める、
猛禽のような、
研ぎ澄まされた輝きだった。
濃姫は、
その光景を、
息を呑んで見つめていた。
彼の行動は、
尾張を救うため。
その目的は、
理解できる。
しかし、
その手段は、
あまりにも、
冷酷だった。
彼女の心は、
激しく揺れ動いた。
この男を、
本当に、
信じて良いのだろうか。
そんな疑念が、
再び、
彼女の心に、
影を落とす。
しかし、
その冷酷な手腕の裏に、
濃姫は、
ある真意を悟った。
吉法師は、
家臣たちの不正を暴くことで、
織田家内部の腐敗を一掃し、
尾張を、
より強固なものにしようとしている。
そして、
その目的のためならば、
彼は、
どんな汚れ役も、
厭わない。
さらに、
彼は、
濃姫が、
家臣たちの反発に、
苦しむことを、
事前に察知していたのだろう。
だからこそ、
彼自身が、
矢面に立ち、
濃姫を、
守ろうとしているのだ。
そのことに気づいた瞬間、
濃姫の心に、
温かいものが、
じんわりと、
広がっていくのを感じた。
不信感が、
まるで、
氷のように、
溶けていく。
吉法師の冷酷な手腕は、
決して、
私利私欲のためではない。
それは、
尾張と、
そして、
「私を守る」という、
彼の強い意志の表れだった。
この真意を悟った濃姫の心の中で、
「彼を信じる」という、
揺るぎない「価値観」が、
強く、
強く、
発動した。
それは、
彼女のプライドを乗り越え、
彼を全面的に、
信頼するという、
確固たる決意だった。
この決意が、
彼女の心に、
新たな光を灯した。
彼女は、
もう、
孤独ではない。
この男が、
隣にいる限り、
どんな困難も、
乗り越えられる。
そんな確信が、
彼女の心に、
満ちていく。
夜が更け、
濃姫は、
吉法師の部屋を訪れた。
部屋の中は、
静寂に包まれ、
机の上には、
蝋燭の火が、
ゆらゆらと揺らめいていた。
吉法師は、
いつものように、
机に向かい、
何かを書き記しているようだった。
濃姫は、
彼の背中に、
そっと、
声をかけた。
「吉法師様…」
吉法師は、
筆を置き、
ゆっくりと顔を上げた。
その瞳は、
やはり、
どこか遠くを見つめているようだったが、
その奥には、
濃姫への、
深い信頼と、
そして、
温かい光が、
宿っていた。
濃姫は、
彼の前に進み出て、
深々と頭を下げた。
「…感謝いたします」
濃姫の声は、
静かでありながら、
確かな響きを持っていた。
その言葉には、
彼女の心からの、
感謝と、
そして、
彼への、
揺るぎない信頼が、
込められていた。
吉法師は、
濃姫の言葉に、
何も言わなかった。
ただ、
じっと、
彼女の顔を見つめている。
その沈黙が、
濃姫の心を、
温かく包み込んだ。
「あなたを信じます」
濃姫は、
顔を上げ、
吉法師の瞳を、
まっすぐに見つめた。
その言葉は、
二人の間にあった、
最後の壁を、
音を立てて、
消し去った。
吉法師の顔に、
初めて、
心からの微笑みが、
浮かんだ。
その微笑みは、
彼の「うつけ」の仮面の下に隠されていた、
真の感情の表れだった。
それは、
安堵と、
そして、
濃姫の決意を、
深く受け止めた、
満足の笑みだった。
彼の瞳には、
濃姫への、
深い愛情が、
宿っていた。
部屋の中は、
蝋燭の光に照らされ、
二人の影が、
壁に長く伸びる。
その夜の空気は、
温かく、
そして、
確かな信頼が、
芽生えたことを示していた。
濃姫の心は、
希望に満ちていた。
この男と、
共に歩むならば、
きっと、
尾張を救える。
そして、
この乱世に、
新たな光を、
もたらせるだろう。
彼女の心には、
これまで感じたことのない、
満たされた感情が、
ゆっくりと、
膨らんでいくのを感じた。
それは、
彼女の人生における、
新たな始まりだった。
二人の絆は、
もはや、
何者にも壊せぬ、
強固なものとなっていた。
静かで、
温かい描写で、
この夜は、
締めくくられた。
彼らの物語は、
ここから、
さらに、
加速していく。
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