第7話  売れない声優は町で買い物をする

但馬環たじまたまき

環は自室で深刻な状況に頭を抱えていた。

これまで用意されていた中から着れそうなサイズの服を身に付けていたが、いよいよもって着る服に窮していたのである。


成人男性の寸法は明らかに彼には大き過ぎた。試しに身に付けて鏡で見たそれは、子供が背伸びしている情けない姿を彷彿ほうふつとさせる。

(——このままでじゃ、マズイ)


自身の体に合う服を用意する必要に迫られるも、服を用立てに外出するための服が無い。まさかこんな冗談のような事が起こりうるのか、と頭を痛めていたのである。


仕方がないので合わない服に袖を通すも、丈も袖も長すぎてどうにも落ち着かないのであった。


その時、間の悪いことに扉が叩かれ、少女たちの声が環を呼ぶ。

「お兄さぁん、いますかぁー?」

「環さん、いらっしゃいますか?」


扉の向こうの来訪者は、仲良く手を繋ぐ金春こんぱる千草ちぐさであった。

「おはようございま……あっはっははははは」

「おはようござい……ふふふふ」

和やかな朝の挨拶もどこへやら、二人は環の姿を認めて吹き出したのだった。


環も自身が不釣り合いな格好をしていることは重々自覚している。だが、こうも正面から笑われると、思わず狐面の下に渋面を作ってしまう。


「すみません、環さん。着る服がないだろうと思って桔梗ききょう様からお預かりしてきました」

目尻を拭い、千草が畳まれた布を差し出す。


「これからぁ、一緒に城下にお買い物に行きましょ~。そこでお兄さんの服を買うように桔梗様に言われてますぅ」

絶好のタイミングで訪れた救いの手だった。


「ありがとう。困っていたから助かるよ」

外で二人を待たせて、彼は着替えてまた顔をしかめる。なぜならば、その新しい衣服は美しい女物の装いであったのである。


(わざとだろうな……)

脳裏に桔梗の意地の悪い笑みが浮かび、それに環は嘆息するのだった。







城下に向かって歩く環の左右の手には、それぞれ金春と千草の指が絡んでいた。

端的に言えば、三人並んで手を繋いでいるのである。


さながら姉が二人の妹の面倒を見ているようなほのぼのとする絵面に、すれ違う官吏たちが微笑ましい視線を送っていた。


「——ねえ、聞いていいかな?」

「何ですか?」

「まず、俺の恰好なんだけど、なんで女の子が着る服なのかな?」


「すごく似合ってますよぉ」

金春の無邪気な賞賛にげんなりしてしまう。

これはそういう問題ではなく男としての尊厳の問題である。やや長めのスカートの下を吹き抜ける風に、今も彼の矜持きょうじもてあそばれていた。


「桔梗様が提案されたからですね。普通は歌術の加護を許されるのは女性なので、女装させることで環さんが使える不自然さを隠匿しておきたいそうです。それを聞いて、浅葱様が急遽こちらをご用意されました。よく似合っていますので、私も問題ないと思いますよ」

笑みを浮かべて千草が語る。その経緯に環は大きなため息を吐いてしまう。


「もう一つ聞きたいんだけど、どうして手を繋いでるの?」

「お兄さんと手を繋ぎたかったからですぅ」


「手を繋いでないと金春はどこかへふらふらと行ってしまいます」

そちらにも事情があったようで環も頷いて握り返すが、はてと疑問を抱く。


千草と金春が手を繋ぐだけで良かったのではないだろうか。

そう思うも、はにかんだようにこちらを見上げる千草に彼は何も言えないのであった。








城門を抜けた途端に視界が開け、市井の人々が織りなす喧騒に包まれる。

「うわぁ! ……すごい」


環は周囲を見渡し、行き交う人々の量に圧倒される。勿論彼が知る東京の街と比べると、この城下は規模や洗練さでは当然のごとく劣る。しかし、それを補って余りあるほどにらん国の都、青藍せいらんの街は活気に溢れていた。


藤原白群の統治が、桔梗が予期するような動乱の陰を人々から拭っていたのである。

環の感嘆に金春が誇らしげに胸を張る。


「そうなのですぅ。白群様が治められているからこその豊かさなのですぅ」

民衆が作り出す活気に、金春の言葉も自然と納得できた。


だが歩きながら、周囲を眺める環は、行く当てもなさそうに襤褸ぼろきれ切れをまとった者たちの姿を捉えていた。


環の視線に気づき千草が口を開く。

「活気があるのは良いことですが、お気づきの通り最近では流入人口の増加が問題です。白群様の統治は素晴らしいものですが、どんどん増えていく人たちに適切な暮らす術を与えられないと、犯罪などの厄介ごとも増える一方です」

〝どうしたものですかね〟と千草は目を伏せる。


統治が行き渡る市街自体がこの時世では珍しいのである。

安心して暮らせる、仕事があって飢える心配のない場所に住みたいと思うのは、人間にとって当然の欲求。


そのため、この大きな青藍の街には他国からも決して少なくない数の貧しい人々が流れ込んでいた。そしてそれは、この国の頭脳とも言える、舛花ますはな、浅葱、桔梗といった知恵者の頭を悩ませていたのである。


環は自身の日本での生活を振り返える。

確かにアルバイトで僅かばかりでも収入を得なければ、住はおろか衣食すらままならない。そう考えると、新しい流入者が働ける場所の必要性に思い当たる。

「新しくやってきた人々にも仕事があると良いと思うんだけど……」


「そうですね。ですが、それがやはり難しいのです。今は舛花ちゃんが指揮をして街の外に耕作地を用意しています。そこで働いてもらうことで食料を増やそうとしていますが、これは一朝一夕で何とかなるものではありませんし、やってくる人もバラバラなのでなかなか効率よく進みません。浅葱あさぎ様も警備隊として街の治安維持に充てるように登用していますが、やはり全員に職を与えるというのは困難みたいで」


「難しいんだね。ちなみに桔梗さんは何て言っているの?」

「桔梗様はそもそも気にしなくて良いという考えです。戦乱が始まれば、そんなことに気を回している余裕も無くなるだろうし、新たに占有する大きな町を第二第三の青藍のように開発を進めれば、自ずと解決するとおっしゃられています」


同じ現代日本を故郷に持つ環は、桔梗が歴史的な事実を勘案して述べていることを知っている。長期的な視座に立てば彼女の提案は合理的だろう。


だが、眼前の困窮者を放置するのは、環にはどうしても人間味を欠いた考え方に映ってしまうのだった。しかしながら、そういう考え方をする人間も必要と考え、白群は桔梗を重用していることもまた事実である。


「それにしても千草はしっかりしているね。いろいろなことを知っているのに驚いたよ」

「千草は金春よりずっとしっかり者なのですぅ」

「ふふ、褒めても何も出てきませんよ」

千草ははにかんだようにそううそぶく。


「千草じゃないと萌葱もえぎ様の副官は務まらないのですぅ」

「うん?  どういうこと?」


「萌葱様はあんな方なのですぐに暴走してしまいますぅ。それを千草なら手綱を上手く取れるのですよぉ」

「ああ。萌葱って、人の話聞かなそうだもんな」

思い込みで突っ走る萌葱を思い浮かべて、環は頷いてしまうのだった。


「そうなのですぅ。理屈っぽい桔梗様とは相性バツですぅ。よく桔梗様が、〝お前では説明したところで無駄だ、話にならん〟って言って、それに萌葱様が腹を立てて二人は喧嘩になっちゃいますぅ」

萌葱相手に桔梗が匙を投げる光景が目にありありと浮かぶ。


ぞんざいな対応をする桔梗に萌葱が突っかかって、売り言葉に買い言葉になるのであろう。二人の上司にそれぞれ二人の部下。いつの時代も上司に振り回される部下の苦労が偲ばれるのであった。


「萌葱様はそれでもよいのです。武勇に優れた方なので」

上官を弁護するように、彼女の美点を千草は語る。

「萌葱様の隊に入られる方は皆あの武勇に憧れるものです。六歌仙に匹敵するとうたわれる程の武は人呼んで『怪力乱神』、まさに万婦不当。それにちょっと足りないくらいの方が萌葱様は可愛いのです!」


部下の少女が語る熱量は、環にも十分に伝わってくる。

部下から人望があるのは良い上司である。おそらくおつむの方はちょっと残念なのであるが、それすらも愛せてしまうということであった。


「あのぉ……千草? 通り過ぎてますよ」

金春の声に千草は足を止め、照れ隠しに頬を掻いた。


「あ……あそこがお勧めの服屋です」

どうやら熱弁を振るうあまり目的地を通過してしまったようである。









「——これ全部女性用の商品なの⁉」

「そうですよぉ」

さも当前だという顔の金春。


店内を見回して環はあまりに膨大な商品の量におののき、一歩を踏み出した途端に、花々の芳香に包まれたことに驚いてしまう。

「ここはお化粧品ですね、あとで寄りましょう」


茫然ぼうぜんとしている環の手を千草と金春が引く。

(でたらめだ……これじゃあ大きなデパートじゃないか……)


環の感想ももっともであるが、実際の売り場面積は遥かに大きい。

いくつもの売り場が連なり、化粧品、女性用服、女性用下着などの売り場ごとに並々ならぬ充実具合。


もし現代日本を知るものがいれば、百貨店を彷彿とさせる品揃えに異議はないだろう。


男なんて眼中にないと言わんばかりに男性用の商品など全く見当たらない。

桔梗の指摘した女系社会の一端を環は今垣間見たのであった。


服飾コーナーの文化レベルの乖離かいりは環をさらに驚嘆させる。勿論造りは粗いが、意匠は現代日本でも通用する水準である。


ふと、環はとある服に目を止めた。

コスプレ衣装もかくや見紛うばかりに、ふりふりのレースがついた可憐なメイド服。

(——ん?  なぜメイド服がここに?)


桔梗が語ったような成り立ちを経たとしても、ヨーロッパがこの世界にはない以上は、そこに由来する文化の存在が甚だ奇妙であった。


「あ、冥土服を気に入るとはぁ。お兄さんもなかなか見る目がありますねぇ。それは桔梗様が考案されたものですぅ。可愛すぎて冥土にまで着ていきたいということで、冥土服と名付けられた装いなのですよぉ」

「……そ、そうなんだ」


桔梗はどうやら、現代の知識を縦横無尽に活用して異世界ライフを満喫しているらしい。思わず環は歯切れ悪く答えてしまうのであった。


「桔梗様は物語作家としても有名です。女性同士が細やかにむつむ愛を描いた百合小説という新しい文化を作られました。彼女のような人物こそ、万能の天才と評されるのも納得です。部署は違がえど、桔梗様と同じ城内で働けて千草は幸せです」

うっとりとした眼差しで桔梗を賛美する千草。


「千草は桔梗様の本の熱烈な愛好者なのですよぉ」

桔梗が現代日本の知識から自分好みのものを生み出すことを自体は、決して咎めだてるようなことではない。


しかし、無垢なる少女たちが桔梗の魔の手によって染め上げられつつある事実に環は目を覆いたくなるのであった。そして、そのことに彼女が手を叩きながら高笑いしている様子が環の脳裏に浮かぶ。


ひょっとして現代でも知られる万能の天才は、桔梗のように異世界からの来訪者なのではと邪推したくなる。だが、流石にそれは過去の偉人たちに失礼極まりないと思い直す環であった。


肌着のコーナーに差し掛かり、環はより一層の居心地悪さを感じてしまう。彼としてもいち早く通過したい思いに駆られていたが、そうは問屋が卸さない。


「お兄さんはどういうのが好みですぅ?」

無邪気に尋ねる金春に、俯いてしまいそうになる。


「こらこら、金春」

金春を窘めに回った千草。

だが、その次の一言に環は嫌な予感を感じさせるものであった。

「金春、意匠の前に寸法を測る必要が——」


「「あ」」

二人の少女が思い至った事実に顔を見合わせる。


女性服、サイズと思い浮かべて、ひどく不安に駆られる。服を選ぶためには身丈や肩幅、袖丈といった各部分のサイズが合っていないと当たり前であるが身にそぐわないものになる。


そして、環は今の今まで失念していたが、女性用を身に付けることは即ちバストサイズが影響する。二人の少女もそれに思い至ったのである。


二人に手を引かれて連れてこられた環が目にしたのは陳列された胸パッド。環は自身が見舞われる悪夢のような事態に眩暈めまいを覚えていた。


まさか男である自身が、女性がバストアップのために用いる胸パッドを買い付ける羽目になるとは……


「まずはお胸の大きさを決めましょうか?」

「お兄さんはどんなのがいいですかぁ? ちなみに金春は大きなお胸が好きですぅ」

意気揚々とした二人に挟まれて、言葉を詰まらせる環。


「え、えぇと」

〝自身が身に付けるならどんな胸か〟なんて考えたことも無かった。環の困惑を見透かして千草が小声で耳打ちする。


「白群様と同じくらいの方がいいですよね」

「そ、そうだね」

どうやら、千草は環が授かった代役という役割を把握しているようで、環は彼女の案を即座に受け入れた。


「金春、環さんはご自身で戦いもするのです。その大きなものは戻して、動きやすい小振りなものを探しましょう」

「あー、確かにそうなのですぅ」


そうして、ブラジャーのような物と詰め物を渡され、〝環さん試着してみてください〟と試着室に押し込まれる。

男としてのプライドを手中の物が嘲笑っているかのように感じ、環は目を背けるように脇に置く。


(……やるしかないか)

そして思い切って、上着を脱ぎ去り上半身を露わにした。鏡に映る自身は、確かに胸が乏しいだけの女性と見紛うばかりの痩躯。


大きく深呼吸をして決死の覚悟でブラを胸に当ててみが、はたと疑問が彼の胸中に湧き上がる。

(これ、どう着けるんだろう?)

 

完全なる未知との遭遇。今までの人生で、つけたことなど環にはない。

ブラの角度を変えつつ眺め回すも、今一つ判然としない。


「環さんどうですか? 一人で付けられますか?」

試着室の幕越しに千草の声が届いた。

「えっと。それが、よくわからなくて……」


「なるほど、じゃあ入りますね」

「え、ちょっと⁉」

言い終わらないうちに、千早と金春がするりと中に体を滑り込ませてきた。


「金春たちがぁ、つけてあげますよぉ」

金春は環の胸を寄せようと彼の体に手を這わす。しかし貧相な胸板は薄い脂肪の層を持つばかりで、金春が試したところでブラジャーの中に納まるようなバストになりえない。


「あれ、おかしいですねぇ」

「ちょっと見せてみてください」

金春と交代して今度は千草がブラをつけようと動き、たまたま彼女の指が環の乳首を掻いた。


「ふあっ⁉」

体にぴりりと電流が走ったように、環は思わず肩が跳ねさせる。

「す、すみません、環さん」


「おやぁ? どうしたんですかぁ、お兄さぁん」

頬を赤らめながら謝罪する千草。対して金春はニヤニヤと悪戯っぽい笑みを浮かべるのだった。


この日、彼の人生の中で屈辱に彩られる一日を送った。


年下の少女たちに、良いように手玉に取られながら着替えされるという経験に、およそ男の尊厳なんてあったものではない。

彼は終生この日を忘れないだろう。


勿論悪いことばかりではない。お蔭でしばらくは着るものに不自由することはなくなったのである。


そして、彼にとって最も衝撃的だったのが、結果として少女ふたりの玩具になっただけだったが、その記憶が思いのほか自身を責め立てて来ない。むしろ、どこか陶酔感を覚えている自分に紙袋を抱きながら愕然としていた。


(——何なんだ、この気持ちは)

こうして、環は異世界で己の知らない、いや知りたくなかった、一面を垣間見てしまったのだった。

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