第5話  売れない声優は同郷者と出会う

但馬環たじまたまき

与えられた部屋で環は休んでいた。

自身が身に付けていた服は綺麗に畳んで箪笥たんすに入れ、代わりに入っていた男物の装いを身に纏っていた。


おそらく浅葱あさぎが気を利かして手配してくれたのであろうが、男性の中でも小柄な環には衣服はやや緩く感じるのだった。

しかし、文句をいうのは筋違いだろう。


彼は小さなものを選び、布団に身を投げ出していたのである。

(———どこに来ちゃったんだろう?  それにこの世界にある歌術って一体……?)


あてどない考えに耽る思考を、扉を叩く音が中断させた。

「環、いるんでしょ?」

舛花ますはなと呼ばれていた少女の鈴のような声が、扉越しに環に呼びかけたのであある。


「は、はい。今開けます」

そうして現れたのは、彼を見上げる来訪者の不機嫌そうな顔である。


「これからあんたを詠官府に連れていく。そこの官令である桔梗ききょうに後のことは聞いて」

「う、うん」


「ふんっ、それにしても本当に白群様にそっくりだなんて忌々しい」

「え、えーと……」

舛花の刺々しい不満に、環は返答に窮してしまう。


そんな環の様子などお構いなしに、舛花は狐面を差し出した。

「それと、白群様のご尊顔で歩き回られたら困るから。常日頃はこれを着けておいて」

それは目元をのみ覆う狐面であった。面を被り頭の後ろで紐を結ぶと、視界は思いのほか悪くない。


「本当は顔を全部隠した方が良いのだけれど、口元まで覆われていたら詠唱に障りがあるでしょ。それと付けている理由を尋ねられたら、大きな火傷を隠すためとか適当なことを言って」

「わかった、そうするよ」


「じゃあ、案内するからついて来て。ふんっ」

鼻を鳴らして歩き始めてしまう小さな背中、環はそれを慌てて追いかけた。






城内の奥の奥、まるで忘れらたかのように佇むたたず離れの建物が目的地であった。

いっそ物置といった方が正しそうな場所には、巻物や書物が所狭しと押し込まれ、年季の入った紙特有の匂いが環の体を包む。


見回した室内は古色蒼然とした資料に埋もれ、どこか時代に取り残された場所という印象しか抱けない。大きな書斎、いや書庫のような所だろうか?


燭台の灯りが、一人机に向かう眼鏡の女性を柔らかく照らし出していた。

この静謐な場の主は来訪者に気づき顔を上げた。

「あら、どうかしたのかしら?」


「桔梗、新しく詠官府に配属になった者を連れてきたよ。こいつの名は但馬環、歌術の詠唱実践は彼に任せると良いと思う」

「ほう」

桔梗の興味深そうな視線が眼鏡越しに環を捉える。


「桔梗、後は任せていい?」

「分かった。わざわざ悪いわね」

「別にいいよ。それじゃ」

環を置いてさっさと出て行ってしまう舛花。


(と、とりあえず挨拶だ!)

何事においても挨拶は重要。声優の業界でも物事は常に挨拶に始まり、挨拶に終わるのである。

「但馬環です。よろしくお願いします!」

大きな声でハキハキと話す環に、桔梗は少しだけ目を大きくした。


「私はここで長をやっている、桔梗よ。よろしくね。あともう一人いるのだけれど、彼女は今使いに出しているから不在ね。帰ってきたらまた紹介するわ」

そして桔梗は眼鏡を押し上げながら質すのだった。

「それと環君。君は以前は何をやっていたのかな? ここに推薦されるということは何か歌術に関する研究でも?」


「いえ、俺の場合は声の研究をみたいなことをやっていました。えぇと、物語の登場人物に声を吹き込んだり——」

声優業の説明はどうしても環の歯切れが悪くさせてしまう。

なぜなら、この世に存在しないものを端的に言い表すことほど難しいことは無い。そういう意味で環の説明は苦心の結果であったが、その努力はあえなく桔梗の一言で意味を失うのだった。


「なるほど声優なのね?」

「あ、はい……って、あれ?  え、どうして知っているんですか⁉」

環は目を丸くする。


彼はこの異世界において声優なんて職業が存在しようのないことを、浅葱や白群たちとやり取りで認識していたからである。

環の反応を面白がるように女は小さく笑う。


「それは私も君と同じ境遇だから。つまりは現代日本から迷い込んでしまった異邦人だからよ」

「……」

その場に沈黙が舞い降りた。


「えぇぇぇぇぇぇぇー⁉」

やおら静寂を裂いたのは環が上げた叫び声、ややあって彼は意味を理解したのである。






桔梗の語る内容は明瞭であった。

いや、彼女は事物を取捨選択しシンプルにするのが巧みなのであった。

桔梗によれば、彼女は地理学について研究する博士課程の学生。纏っている学者然とした雰囲気に環は納得するのだった。


彼女は研究室からの帰路、環同様気が付くとこの世界にいたらしい。

〝異世界は不便なことは多い。でも思いのほか悪くないわ〟と、うそぶいて眼鏡越しに微笑んだ。


「日本に帰ろうとしないんですか?」

「その質問には二通りかの答え方があるわね。まず、方法から言うと帰り方がわからないわね。調べても出てこない。そして次に意思の問題、私そもそも積極的に帰りたいとも思っていないわね」


「そうなんですか?  心配しているご家族もいるんじゃ……」

「それはそうでしょう。だけどお互いの幸福を認め合えてこその家族でもある。私はね、可愛い女の子が好きなのよ、つまりはレズビアン。現代日本ではまだまだ肩身が狭いの。だけど、この世界ではそれはむしろ褒められることになっているのよ」


愉快そうな桔梗の告白に、環はやんわりと相槌を打つことしか出来ない。

「……そ、そうなんですね」

「それと、これはこの国の価値観に直結する事でもあるけど——ここはある意味で日本よ」


「は?」

さらに思ってもみない彼女の言葉は環の思考が停止させる。

歌により物理現象の根本を捻じ曲げる世界、それはどう考えても環の知っている日本であるはずが無い。


「私は職業柄、といっても向こうの話でだけど、文献などを紐解ひもとくレファレンスワークは得意なの。それで、この城内に収められている創世の物語や初期の記録などを調べると見えてきたのよ」

茫然ぼうぜんと黙する環に、桔梗は得意げに話続ける。


「ここは間違いなくもう一つの日本。いえ、かつて日本であった場所と言ってもいいかも知れないわ」

「ど、どういうことですか?」

彼女は立ち上がって背後の棚から巻物を取り出して広げた。巻物に描かれているのは絵で描かれた地図である。


「ここは大きな大陸なのよ、そして今我々のいる国がここ。らんよ」

桔梗の指がトントンと大陸の一角を指し示す。


「重要なのがこの大陸は南北に長くない。そして砂漠や大きな山脈、地峡といった人の流れを分断する要素がないの。むしろ、複数の河川が東西を流れることにより、作物や技術の交換を容易にしている」

地図南端の不完全な部分が気になり、思わず環は尋ねてしまう。


「何か途切れてますけど……」

「話がややこしくなるから、この長城については今は置いておいて」

「は、はあ」


「そのため、地理学的にみると文化的・政治的な統一が比較的容易に行われる場所。つまり、これらを勘案するとこの大陸はかなり中国に近い特徴と言えるわね」

「中国ですか?」


「その中でも三国志をイメージしてくれると分かりやすいと思う」

環は三国志と聞いても、関羽や張飛、孔明などは聞いたことがある程度の知識しかない。彼の顔色を見て桔梗は息を吐く。


「まあ三国志を知らなくてもこの際構わないわ。そういう地政的状況から、中国では統一政権が誕生しては、またどこかでほころびが生まれ、それが急速に広がって乱世に突入する、という歴史を繰り返してきた。そして、この大陸も今や群雄が割拠する乱世に移行しつつあるということよ」


桔梗の唱える予想は現実感を伴っているように環には思えた。いずれにしろ、これは自身の命運に関わると彼は直感したのだった。

これから戦乱の世の中になるということですか?」

「そうよ。今の政権は既に斜陽。帝が崩御したら各地で覇を唱える諸侯が動き出すわね。そして、その中の一人が藤原白群——私たちの白群様よ」


ふいに風が扉を軋ませて、隙間から環たちの元に吹き込んだ。


砂塵を孕んだ風だった。

ふいに環の脳裏に光景が浮かぶ、それは吹き抜ける風に髪を揺らしながら彼方に不敵な視線を送る藤原白群の姿だった。


環はその眼差しに共にこの世界を駆けると誓ったのである。




「話が逸れてしまったわね。この世界がもう一つの日本であることの説明をしようかしら。こちら側の歴史書によると、日本の奈良時代くらいの出来事よ。京都に大きな時空の裂け目が見つかったそうなの。


そしてそこを通った者が目に焼き付けたのは新天地だったというわけね。

朝廷はこの新たな土地を公領として、そこを開墾する人員、それらを指揮する官吏を大勢向かわせたのよ。


これがこの世界の人たちの祖先。だけどその時空の裂け目はいつの間にか閉じ、開拓団は取り残されてしまった。時が経つにつれ、人数が増えて現在の国家の礎を築いたのよ。


特筆すべき点としては、開拓団にはそもそも女性が少なくて希少価値が高かったの。そして、この新世界には女性が振るうことが出来る歌術という武力があった。それにより、現代日本と異なる女系社会が発達し、女性優位の文化が発展してきたと私は考えているわ」


「な、なるほど」

「だから私も綺麗な格好をしているでしょう」

桔梗は環に見せるように袖を摘まんで持ち上げる。美しい刺繍が施されている袖口からは、ふわりと上品な甘い香が広がった。


「女性が身を飾るための物は現代日本とほとんど遜色ない水準で発展しているわ。その一方で、男性用のものや彼らが雑用で使用するものは技術的に驚くほど停滞したままよ」

桔梗は大きく息を吐いて、傍らの茶を啜る。


「何か質問あるかしら、環君」

さながら教師と生徒である。先生役に促され、環はふとした疑問を口にする。


「俺たちの他にも、日本からの来訪者はどれくらいいるのでしょうか?」

「分からないわね。少なくとも君を除いて私は会ったことないわ。来ているかも知れないし、そうじゃないかも知れない。仮に他国にいた場合には、その現代の知識ゆえに重宝されてるんじゃないかしら」


どうやら桔梗はその知識と頭脳が買われたようだと、環は納得したのである。

ふいに、扉越しに桔梗を呼ぶ少女の声がする。


「桔梗様、開けてくださぁい、両手がふさがっちゃって~」

「ああ、例のもう一人よ。環君、開けてあげて」

環が扉を押し開けると、そこには書簡類の山を抱えた可憐な少女の姿があった。


髪留めの大きな布飾りが目を引く少女は、大きな瞳でぽかんと環を見上げる。

「ほわっ、どなたですぅ?」

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