第4話  売れない声優は就職する

【 藤原白群びゃくぐん

浅葱あさぎから内々に、有用な人材推挙の申し出を告げられたのが先程のことである。

そのため藤原白群は衛兵を退け、己の横に信頼を寄せる軍師一人を置くのみであった。


万が一の可能性を考慮すると戦力としては心もとないが、彼女はその危険を杞憂と断じていた。自身が信を置く二人の姉妹が、刺客の可能性のある人物を己に近づけるはずがないからである。


件の人材は、萌葱もえぎ千草ちぐさが影距討伐の折に見出した者であるらしい。そしてどうやら歌術の腕が相当立つようだが、それ以外の情報は主である自身にも伏せられていた。


「白群様であれば一目見れば、その者の有用性にお気づきなられるかと」

「なるほど。今僕がここでその人物の人となりや容姿については知ると、後々の楽しみが無くなってしまうということかな?」

「恐れながら」


「ふふ、じゃあ楽しみに待つとしよう」

「はっ」

先の浅葱との会話を思い起こし、〝はてさてどのような人物だろう〟と白群は心を躍らせていた。


二人の眼鏡に適う人間など滅多にいないだろう。

否が応にも期待が高まっていた。


武官である萌葱や千草がまずもって見出したことからすると、その人物は武に優れた者であろうか。だが、いくら優秀な武人であろうとも、浅葱をして一目で有用性が分かると言わしめるのが釈然としない。


白群は自身の隣に控える軍師の少女に視線を向ける。

舛花ますはな、君はどんな人物だと思うかい?」

舛花と呼ばれた少女は、目をすがめ顎に細い手を当てる。


「優れた武人かと。浅葱の言に加えて、秘密裏に推挙されることを考えると、特殊な事情を抱える者かと愚考します。例えばですが、神憑かみつきとなって変じた容姿を一兵士に見せるのがはばかられる、とかでしょうか……」


「ふむ、神憑きか。確かにそれはありそうだね」

軍師の受け答えに満足した白群は、舛花の頭に手を乗せ優しく撫でるように髪を漉く。その手の感触に少女はくすぐったそうに顔を赤らめるのであった。


(神憑きか……)

この世界に存在する万物に宿りし様々な八百万の神。

神々はただ歌を聞き届けて、その持ちうる権能を顕現させるだけではない。稀にではあるが、神に愛されて生まれてくる人間も存在する。彼女の部下では、その代表格となるのが藤原萌葱であろう。


萌葱の人並み外れた膂力はそれ自体が神力である。神憑きは場合によれば、一人で一軍に匹敵することもある。仮に件の人物が神憑きであれば、是非とも陣営に取り込みたいところであった。






浅葱の声に、入室を許可した白群はその身を凍らせた。

「っ⁉———」


その人物を視界に収めたとき、普段は崩さない微笑が驚愕に染る。

あまりの驚きに目を見開き、思わず立ち上がってしまっていた。


その人物は左右に浅葱と萌葱を従えて、超然とした微笑みで悠々と歩みを進める。


白群と舛花、二人の予想は大きく裏切られたことになった、なぜならば神憑きではなく白群本人の姿がそこにあったのである。


「そんな……馬鹿な?」

隣から茫然ぼうぜんとした呟きを白群の耳を拾う。軍師である舛花さえもが理解の及ばなさに凍り付いていた。


眼前の人物が明らかに尋常ならざる者であることは、白群としても異論はない。

自失している舛花を見て、瞬時に白群は冷静さを取り戻すのだった。〝なるほど〟と、先の浅葱の言に今なら得心がいく。


その人物はほどなくして静止するも、彼女の総身に纏う覇気がピリピリと己の肌を打つ。

自信に満ちた眼差しがこちらを射抜き、その人物は笑みを深めたのだった。

「あぁ、納得がいったよ。道理で君たちが見間違えるわけだね」


中性的な声が操る柔らかくももって回った話し方、それを白群はよく知っていた。

なぜなら、それは自身の話し方だからである。その人物は白群が話すように言葉を発し、白群が発声するように喉を震わせるのである。


そして、その人物はさらに歩み寄り、白群の目の前で静止する。


彼女の後ろでは浅葱と萌葱が狼狽ろうばいしたように立ちすくんでいる。

推挙するつもりで連れてきた者が二人の意図と異なる振る舞いをしているだろうことは想像に難くない。


白群も同様に目の前の人物を見据える。正しく同じ顔、同じ容姿、文字通りの鏡写し。


鏡写しの白群が口を開いた。

「お会いできて光栄だよ、藤原白群殿。一人で天下取りをするより、二人でした方愉快だと思わないかい?」


投げかけられた不遜な笑みに白群は息を吞んだ。

眼前の人物に己が内を看破されたことを悟ったのである。


白群はこれからの戦乱の時代を予見していた。そして、乱世を制し天下へ名乗り出んと己を支える優秀な臣下を集めたのであった。だが、臣下の役割は主の意を全うすることにあり、決して主人と並び立つものではない。


それゆえ白群は孤高であったし、それを問題だと認識していなかった。しかし白群の内には、正体の掴み切れない形容し難い不満が秘められていた。


そして今、目の前にいる珍奇な来訪者の指摘にその正体を気づかされたのである。

藤原白群、希代の英傑はともに並んで天下を駆けていく相棒を欲していたのであると。


並外れた歌術、己に匹敵するであろう才覚、そして瓜二つの容姿。

この者であれば、十分だ。共に天下を駆け抜けるに足る人物であろう。その認識が白群の内に歓喜を込み上げさせた。


今では鏡写しの己の登場すらも痛快に感じる。

「くくく、あっはっはっはっはっはっは!」

高らかに哄笑する白群に、鏡写しの己以外が驚きの目を向ける。


(———そうであろう、この気持ちは他の者には理解できまい。そう、僕と目の前の者以外には!)


今度は白群の方から歩み寄り来訪者の手を取ると、彼女も同じ力で握り返してくる。


覇気と覇気がぶつかり、視線と視線が絡む。そのいずれもが打てば響くことを伝えてくる。


「ふふ、待っていたよ」

「ふふ、待たせてしまったね」

互いに笑みを深める二人は、まさしく鏡写しであった。


同じ顔、同じ背丈、同じ体格、同じ服装、同じ声、同じ覇気、同じ心情、それらが鏡写しで存在している奇妙な光景。


「僕たち、生まれた時は違えど———」

「———死ぬ時は同じ日、同じ瞬間だよ」


当事者二人以外は皆目理解できないながらも、奇妙な闖入者ちんにゅうしゃが彼女達の主の奥底に秘された心を打ち震わせたのことだけは分かったのであった。


しかし、これは歴史的な里標りひょうであった。

ここに後世、『鏡写しの誓い』と語り継がれるものが結ばれたのであった。


「……はぅ」

その時、ばさりと白群の後ろで軍師の少女が卒倒する。あまりの理解の追い付かなさには失神してしまったのであった。





但馬環たじまたまき

白群びゃくぐんの後ろに控えた小柄な少女が倒れ伏す音に、環はふと我に返った。


しかし、倒れた少女を周囲は気にしている風でもなかった。

そもそも、未だ名乗ってすらないことに加え、浅葱あさぎに言い含められていた段取りを滅茶苦茶にしたことに気づき、環は今頃になって狼狽うろたえてしまう。


「おや、雰囲気が変わったね」

「ひぃ」

目興味深そうにこちらを覗き込む国主に瞳に彼はたじろいでしまう。


自身が仮初の英雄であったことを自覚すると、自信が急激に揺らぎ、彼は視線で浅葱に助けを求めたのであった。

環の意図を察した浅葱が白群へ歩み寄り膝をつく。


「白群様、こちらの但馬環なる者は影距討伐の折、優れた歌術で功を上げた者でございます。歌術師としてだけでなく、白群様の進まれる道の一助になるかと」

その提案は白群を深く頷かせるものであった。


「そうだね、任官させることに否はないよ。君が言っていた有用性というのも今なら分かる。ふふ、実に首尾よく驚かせてくれたね」

「恐縮でございます」


「じゃあ、普段はどんな仕事を与えようかな。二人は何か意見はあるかい?」

白群は姉妹に視線を送ると、それに応えてまず萌葱が口を開いた。

「影距を何頭も相手どれる腕前なのです。武将として用いてはどうですか?」


「戦の折は、その腕を発揮してもらえばいいかと。ですが、普段から兵士の調練などを担当する人物ではないかと思われます。舛花ますはなが目を覚ましてから決めてはいかがでしょうか?」

「うん、そうだね。そうしよう」


環は自身を置き去りにしたまま処遇を決めんとするやり取りに戦々恐々としていた。

(……一体、俺どうなっちゃうんだろう?)


正直なところ、現代日本で声優とアルバイトをしていただけの自分に、この世界で何かが為せるとは到底思えない。しかも将や兵士と言われても、全くピンと来ないのである。


環は祈りを込めて気絶している少女を見つめてしまう。

舛花と呼ばれた小柄な少女が環にも出来そうな事の提案をするのを願うばかりである。

しかし、彼女の方は未だうなされでもしているかのように、〝白群様が二人……〟と繰り言を呟いている。


「ふむ、舛花もしばらくしたら目を覚ますだろう。その間に環、君のことをもう少し聞いておこうか」

白群に水を向けられた環は、自身のことを 訥々とつとつと語り出す。

「俺の名前は但馬環って言います——」


——環は自身が声優、声について学び表現し、それを生業にしていることを語ったのであった。


「だからお前は素早く神への祈りを唱えることが出来るんだな!」

「そして、それを声で真似ることも可能というのか、信じられん」

萌葱は理解したというようにうんうんと頷き、一方で浅葱は理解しきれないとばかりに当惑している。


「現に、千草の詠唱を模倣し、そして僕さえも写し取って見せた。まったく驚かされたよ。もしかして、他の者も同じように真似られるのかい?」

「声質がある程度近いところにあれば、音や喋り方を真似ることはできます。ですが白群様を声以外でも演じることが出来たのは、俺が白群様とそっくりだったから偶々ハマっただけだと思います」


白群も環の言に納得した風に頷く。

「なるほどね。僕以外では、ああはいかないとことだね。それと環、気になっていたんだけど、〝俺〟という言葉遣いはあまり頂けないね。我が陣営の女性は気品もある程度は大切にして欲しいかな」


「そうだぞ、環!」

胸を張る萌葱を後目に白群の何気ない指摘に、環ははっとする。未だ二人の姉妹にも伝えていない大きな勘違いの存在に気づいたのであった。


「えっと、男ですけど……」

「そんなわけあるまい」

「そうだぞ、環! 麗しい白群様のお姿で言うに事欠いて男とは。冗談にしてももっと真実味があることを言うんだな!」


告解を全く相手にされなかった環は、さらに思い切って身支度の時に入れた胸の詰め物を引っ張り出して突き付ける。

「「「は?」」」

白群、浅葱、萌葱、三人とも理解できないとばかりに目をいている。


そして、環は再度念を押すように告げたのであった。

「いや、あの……俺は男ですけど」


白群が環の胸元に手を伸ばして、呆けたように呟いた。

「無い……本当だ」

「「はああああああ」」

城内に姉妹の絶叫が木霊こだまする。


萌葱は普段から兵たちの前で声を張り上げているが、冷静さを旨とする浅葱さえも叫び声をあげるというのは珍しい光景であった。


現に白群も自身が女であるため、よもや自身に瓜二つの環が男であるなど、想像もしていなかったのである。

そしてそれは、彼女の部下である姉妹をして同じ考えに至らしめていた。


「おのれぇ、我らをたばかりおったな! 切り捨ててやるぞ!」

怒りを露わにいきり立った萌葱を、姉の浅葱が窘める。

「待て、萌葱よ。白群様の御前である。そもそも我らとて環を女人と思い込み、性別については全くの慮外であった。環を責めるのは筋違いであろう。それに男であろうとも、環は白群様が認めた者だ。手出しはならん」


「むむむ」

萌葱は爆発させた怒りを抑え込みんで唸り声を上げている。


しかし、この騒動で動きを見せたのは萌葱だけではなかった。彼女達の悲鳴ともつかぬ叫びに、身じろぎをしたものがいたのだ。白群の背後で意識を手放していた少女、舛花である。


「……うーん。あれ、ボク……?」

頭を振りながら身を起こした舛花は、自身の失態に焦った様子で白群の膝下に平伏する。

「た、大変失礼いたしました、白群様! またお見苦しいところを」


白群は膝下に平伏した舛花の手を取って、〝大丈夫かい?〟と立たせ、そして慈しむように彼女の頬に触れた。


「ああ、白群様ぁ」

その手の熱に舛花は頬を赤らめ、目を潤ませる。


「後で可愛がってあげるよ、舛花。でも今は環の処遇を決めたいんだ。環は他人の声を写し取り、歌術詠唱を己が物とする特異な人材だ。それに加えて僕と瓜二つの容姿。平常時は環に何をさせるのが君は良いと思うかい?」


「……あの白群様の偽物にですか?」

舛花は環に睨むような鋭い視線を投げた。ジロジロと値踏みされ、環としては心中穏やかではない。


「そうですね、詠唱研究を行わせるのが良いかと。他者の詠唱を模倣できるということは、そもそも自身の内にそれだけ多様な唱え方の蓄積があるものと思われます。他国から得た、文言のみ判明している歌術が運用できるようになれば、大いに我が国の力にもなりましょう」

「なるほど、卓見だね」

白群は小さな軍師の提案に満足げに頷く。


「では皆よ、環は詠唱の研究をさせることにする。舛花、後で桔梗ききょうのところに連れて行っておやり」

「はっ」

配下たちは主の意を介したとばかりに深く頷く。


「そして、環」

「は、はいっ」

「普段から僕と同じ格好をしているのでは意味がない。僕が二人いると喧伝けんでんしているようなものだ。だから君が鏡合わせの僕であることは秘匿されなければならない。そうだね、普段の君は変装でもしてもらおうか」


「……変装ですか?」

「僕とは異なることが分かり、かつ功も立ててもらうのだから目立つものであれば何でもいいよ。そして、僕たちのことは名で呼ぶといい、僕たちも君のことは環と呼ぼう。志を共にする仲間だからね」

「分かりました」


環の返答に頷いて、白群は舛花に水を向けた。

「いいかい、舛花。環が男であってもきちんと接するように」

「へっ、男? 白群様と……そっくりの男……?」


途端にぐるぐると回り出す舛花の眼、〝そういえば、さっき気絶していて聞いてなかったな〟と独りちる白群の声が環の耳に届く。

浅葱はこの後の展開が予想できるらしく目を覆っている。


「白群様が……男 ? ……きゅう」

またしても卒倒した舛花に、彼女を良く知る三人は大きな溜息を吐いたのだった。

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