第24話 「選択の儀 ≪帰趨(きすう)遍≫」
私とフィーネは教室に到着した。
教室の空気は、まだ興奮の余韻を残していた。
私たちはその時を、級友たちとともに静かに待っていた。
希望と不安が入り混じりながらも、誰もが、その運命がいよいよ動き出すのを願っていた。
生徒たちの視線は、教室の扉にじっと向けられていた──ただ、一人を除いて。
私は一人、窓の外に見える教会を見つめていた。
教室棟よりひと回り小さいはずの教会は、なぜか妙に小さく見えた。
あのときから、心に残っていた小さな違和感──
それはまるで、静かな波が心の小島を優しく揺らし続けているようで、いまだに収まることはなかった。
(あの中で、何かが待っている気がする……)
それだけは、はっきりと感じていた。
教室の扉が引かれる音がして、私はそちらへ目をやる。
先生が静かに入ってきた。
「それでは皆さん。本日は“選択の儀”を執り行います」
ネル先生はゆっくりと全員の顔を見渡し、小さくうなずいた。
「もう耳にしていると思いますが、“選別の儀”は教会で行います。
私が引率しますので、ついてきてください」
そう言って先生は廊下へと向かい、私たちはそのあとに続いた。
「ねぇ、ナーレ」
私は前方をちらりと確認してから、フィーネに振り向いた。
「どうしたの?」
「ナーレは……不安?」
「大丈夫。みんな同じ気持ちだよ」
「……」
(なんだか、気まずい──)
お互いのことをよく知っているからこそ、余計にそう感じるのかもしれない。
こうして、百二十人のゆるやかな行軍が始まった。
正門の噴水広場を抜け、三十分ほど歩いて、全員が教会へと到着した。
その教会は、見た目こそドリス様式だったが、一つだけ明らかに違う点があった。
それは──中央のドームが円ではなく、四角だったことだ。
よく見ると、中央は箱のような形をしていて、その天井部分だけが弧を描いていた。
「さあ、皆さん。中に入りましょう」
ネル先生が扉の錠を外すため、ゆっくりと正面の扉に向かう。
やがて、重く鈍い音を響かせながら、扉は観音開きに開かれた。
教会の中に入ると、天井のステンドグラスから差し込む光が静かに床を照らしていた。
そして、壁に掲げられた松明だけが、内部の空間をかすかに彩っていた。
天井のステンドグラスには、五柱の神が描かれており、静かに私たちを見下ろしていた。
その奥、真正面に、一つの黒く大きな扉が鎮座していた。
ネル先生がその扉の前で鍵をまさぐっている様子から、どうやらその先には「地下」があるようだった。
教会の扉と同じ重い音を響かせながら、先生はその扉もようやく開けた。
*****
「先生──」
一人の生徒が手を挙げて尋ねた。
「なんでしょうか?」
「どうやって“選別”するんですか?」
「四つの台座に火を灯したあと、目を閉じて五分ほど静かにしてください。
その後、目を開けて、自分が火を灯した台座に対応する神の加護が与えられていれば、それが選ばれた証です」
(そ──それだけ?)
なんだか、豆鉄砲でも食らったような気分だった。
あんなに期待していたのに、それだけのものだなんて。
説明が終わると、先生から順番にカンテラと蝋燭が手渡され、生徒たちは一人ずつ、扉の奥へと入っていった。
皆が待ち望んでいた“選択の儀”が、ついに幕を開けた。
私とフィーネは、入っていく級友たちの数が徐々に減っていく様子を眺めていた。
かれこれ四十分は経っただろうか。
一人ずつ中に入れているため、どうやらまだ時間がかかるようだった。
そこで私とフィーネは、ネル先生の目を盗んでそっと最後尾に並び直し、自然と二人で待機することになった。
「全然、順番が来ないな」
フィーネはそう独り言をこぼしながら、教会の中を見回していた。
「そうね……」
私も同じように、周囲を見渡していた。
この選別の儀のための四角いドームには、奥へと繋がる廊下があり、どうやら別の部屋に繋がっているようだった。
ドームには、懺悔室や弥撒用の部屋が併設されているのだろう。
教会という性質を考えれば、それは当然のことに思えた。
「フィーネ! フィーネ、早くこちらに来なさい!」
ネル先生の怒声がドーム内に響き渡る。
気がつけば、この空間にいるのは私たち三人だけになっていた。
「ナーレ……やっぱり、不安だよ」
「私もよ。でも、ここまで来たんだから、覚悟を決めるしかないわね」
フィーネはネル先生からカンテラと蝋燭を受け取り、扉の前で立ち止まった。
ネル先生が静かに扉を開き、フィーネの背中にそっと手を添えて、中へと促した。
目の前で扉がゆっくりと閉まり、フィーネはその向こうへと消えていった。
「さて、ナーレも準備して」
ネル先生は、私にもカンテラと蝋燭を手渡してきた。
カンテラの意匠はやはり五神を模したもので、火の灯った蝋燭の光が、私の瞳にその影を揺らした。
ネル先生が扉を開く。
私はゆっくりと歩を進め、その向こうへと足を踏み入れた。
扉の先には、長い通路が続いていた。
ぼんやりとしたカンテラの明かりが、通路の壁に五神の影を映し出しながら、私の歩く道を照らしていく。
数歩先には、螺旋状の階段が下へと続いていた。
(この先に地下があるのかしら?)
私は階段の一段一段を確認しながら降りていく。
足元はしっとりと濡れていて、気を抜けば滑りそうだった。
けれど、手すりなどはどこにも見当たらない。
私は壁に手を添えて支えとし、右手に持っていた蝋燭を修道服の内ポケットに入れる。
代わりに、左手に持っていたカンテラを右手に持ち替え、左手を壁に沿わせてゆっくりと階を下りていった。
(それにしても……長いわね。いつまで降りるの?)
あまりの階段の長さに、だんだんと気が滅入ってくる。
時間がわからないが、もう一時間は下っているような感覚だった。
(時間が分からないから、そう思うだけよね……)
私はカンテラを掲げて下を覗き込む。
それでもまだ先があり、思わず溜息が漏れた。
──それからしばらくして、私は再びカンテラを掲げる。
ようやく階段が終わり、目の前には一つの部屋の入口が見えていた。
(ふう……やっと着いた……)
私はようやく地下の一室へと足を踏み入れた。
部屋の中に入った瞬間、その異様な圧迫感に胸を締めつけられた。
空間は自分の体の七倍ほども高さがあり、そこにはそれに合わせた四体の石像が横並びに佇んでいた。
(おかしいわよこの部屋!
人間一人が動けるスペースしかないじゃない!)
石像が部屋のほとんどを占めていて、あえて人間一人が身をよじれる程度の空間しか残されていない。
まるで、火を灯すためだけに存在する部屋──それ以外を許さない、漠然とした束縛感があった。
私は気を取り直してカンテラを床に置き、内ポケットから蝋燭を取り出す。
カンテラの火を蝋燭へと移し、順番に火を灯していった。
(さあ、やるわよナーレ)
左から「上級神」、「中級神」、「下級神」、「藩神」。
それぞれの石像の前に置かれた小さな蝋燭に、順に火を灯していく。
(あとは、目を閉じて五分待てばいいのよね)
不安になって左右を見渡すが、当然ながら誰もいない。
この確認そのものが無意味だと悟り、私は目を閉じた。
(…………)
静けさが包み込む。
ここには、私しかいない──はずだった。
けれど、なぜか「誰かがいる」ような気配がする。
私はそっと目を開け、蝋燭を確認する。
「上級神」、「中級神」、「下級神」──その三つの蝋燭はすでに消えていた。
しかし、一番右の「藩神」の蝋燭だけが、妖しく灯っている。
(……これで、終わりなの?)
あまりにあっさりと、選別の儀は終わった。
あとは来た道を戻るだけ──そう思って振り返る。
(えっ……?)
唖然とした。
そこにあったはずの入口は、壁になっていた。
帰り道が、塞がれていたのだ。
(何が起こってるの……?)
私は慌てて前を向き直る。
──さらに驚くことになる。
そこにあったはずの四体の石像は消え、異様に広く高かった部屋も跡形もない。
代わりに、目の前には五つの通路が現れた。
その先は闇に沈み、まったく先が見えなかった。
《困っているようだな》
「だ、誰なの?」
私は咄嗟に声を出しながら、辺りを見回す。
《声に出す必要はない。私と話すなら、頭の中で想像すればいい》
(あなたは誰……?)
《私か? 私はヴァル・レッティーナ。貴様の加護たる神だ》
(……藩神なんじゃないの? 悪魔と同じって聞いたけど?)
《貴様がそう思うのは勝手だが、私はれっきとした加護たる神だ。嫌か? 私の加護は》
(嫌よ! 藩神って、悪魔でも神でもあるんでしょ? あなたは結局、どっちなの?)
《だから言ってるだろう、私は神だ》
(あぁもう! 私と「私」が混ざって、頭が痛くなりそう!
それに、貴様って呼ばないで! 私はナーレよ!)
《ナーレ……そう呼んで欲しいのか?》
(そうよ。あなたのことは「ヴァル」って呼ぶから、いいでしょ?)
《分かった。これからは貴様をナーレと呼んでやろう》
(はぁ……なんでこんなことに……)
(それで、加護はありがたいけど──この会話、なんとかならないの?)
《念話のことか? 無理だ。私はナーレと共に在る存在。
神として加護するため、精神体としてお前の精神と共に生きている》
(……??)
《つまり、私はお前の精神そのものといっても良い。
もし分離したいのなら、お前が死ぬか、別の手段を見つけるしかない》
(その「手段」って、あるの?)
《私は知らん。私はナーレに知識と選択を与える者。
知り得たことを教え、選択肢を示す──それが私の加護だ》
(いやだぁぁぁ! 私は私でいたいのよ!)
《諦めろ。だがもしかしたら、その手段を知る術が、この世界のどこかにあるかもな》
(世界? この世界にあるの?)
《いい加減、学んでくれ。私にもそれは分からん》
──私は決意した。
この訳の分からない神と精神を分断して、「私だけ」に戻る手段を、必ず見つけてやると。
「はい? こちら神材派遣管理会社、"ユル"です。」 U-SAN @U-SAN_Kochiyuru
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