第5話「アテナの住まう場所、メッカへ」
渋谷駅のホームに降り立った瞬間、俺は息を呑んだ。人波の奔流が、まるで生き物のうねりのように押し寄せる。ネオンの光が視界を切り裂き、広告の叫び声が耳を刺す。情報と情熱が絡み合うこの街──チラシに書かれた「メッカ」。その言葉が、頭の中で反響する。
「神材派遣管理会社 ユル法人会社」。その名前が、俺の胸に引っかかる。
チラシの文言は曖昧で、まるで暗号だ。「神材募集」。
メンター? 救い手? それとも、もっと深い闇を隠した何か? 情報が足りない。
点と点が繋がらず、俺の思考は迷宮に迷い込む。渋谷の喧騒が、その迷いを増幅させた。
地元から電車で50分。懐中時計をポケットから取り出すと、9時30分を指していた。面談まで時間はある。
だが、この街の空気は俺を締め付ける。人々の流れに逆らうように歩きながら、思う。この黄金郷と呼ばれる渋谷で、俺は何を掴もうとしているんだ? かつての人が望んだ望郷の記憶が、胸の奥でざわめく。
失った何かを取り戻せる場所が、ここにあるのだろうか。
駅構内は、まるで地下の河だ。人の波に押し流され、ホームから階段、地下コンコースへと流される。息が詰まる。
フラフラと歩く人々の姿が、一瞬、死者の行列に見えた。いや、俺自身もその一部かもしれない。この街は、生きる者と眠る者を飲み込む。
改札口にたどり着く。人混みに揉まれながら、ICカードをタッチ。
すると、「ブブー!」と甲高い警告音。プラスチックのバーが腰を叩き、液晶モニターに「金額不足」の文字が冷たく浮かぶ。
しまった……最低限しかチャージしてなかった。情けない気分でチャージ機に戻り、カードに金を詰め込む。再び改札を通り、ようやく外の空気を吸えた。
スマホを手に取り、「ジーマッパ」を起動。中小企業が作ったこの地図アプリは、まるでRPGのダンジョンマップだ。
渋谷駅の3D構造を完璧に映し出し、高低差や階層を視覚化する。
まるで方眼紙に刻まれた迷宮。
目的地、「神材派遣管理会社 ユル法人会社」は、駅から北へ徒歩30分。アプリが示す道を辿り、俺は歩き出す。
渋谷の街並みは、情報と情熱の堆積だ。ネオンの光、雑踏の鼓動、すれ違う人々の視線。この街は生きている。
だが、その裏に潜む何か──金鉱脈か、罠か。
俺の心は、望郷の記憶と絡み合い、揺れる。この街で始まる者もいれば、沈む者もいる。俺は、どちらになる?
30分後、目的地に到着。高層ビルの群れの中に、ユル法人会社のビルは異彩を放っていた。レトロモダン、いや、レトロフューチャーと呼ぶべきか。
淡い紫と黄色の電光看板が、ビルの表面を滑るように走る。
チラシの怪しさが、そのまま形になったような建物だ。
この先に何が待つ? 豹か、獅子か、それとも──狼か?
(つづく)
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