第2話「幻術騎士、招集の命により開城を求める。」
俺の主な仕事は、医療訪問販売と回収業務による営業だ。専ら販売担当で、回収は管理スタッフの仕事。正直なところ、うまくいくかなんて誰にもわからない。
いつも通りにこなせるかどうか、もう不明だ。
今なお、カウントダウンは明滅しながら、「私をよく見て頂戴!」と唸り続けている。
そして今、インターホンのボタンが、開戦の鬨の声を告げた。
俺はボタンを押すと同時に、営業モードのスイッチを入れる。
無血開城の要求に応じ、老婆が玄関の扉を弱々しく開けた。
ドアチェーン越しに、老婆は俺を見据えてくる。
「汝、名を申せ!」
覇気を含んだ声とは裏腹に、老婆の瞳は潤んでいて、内心はほっとしているようにも見えた。
「我が名は
王の招集により、猊下に参上した!」
道化のような笑みを張り付かせ、銀のフルメイルを身につけている。
ぎこちなくも恭しく、一礼する。
「汝のことは、王より聞き及んでおる。開城するゆえ、待つがよい――」
老婆はそう言って、玄関をそっと閉じ、ドアチェーンを外すために動き出した。
無血開城の狼煙が上がる。老婆の鬨の声が、吊り橋をゆっくりと開かせる。
俺は老婆に導かれ、王の間――謁見の間へと進み、栄誉を受けることとなる。
だが、幻術騎士は王の謁見よりも、この老婆に対して一抹の不安を抱いていた。
王よりも巫女――。時代を超え、彼女達は未来を正確に捉える力を持つ存在だ。
王の間に到着すると、王は豪奢とは名ばかりの椅子に鎮座していた。
「待っておったぞ、幻術騎士よ!
貴公からの土産話を、心より楽しみにしていた!」
王は期待と不安をないまぜにした表情で俺に手招きする。
「そなた、もっと近う寄れ」
威厳ある声で王が言い、にんまりと笑みを浮かべる。
幻術騎士は毅然とした足取りで、ゆっくりと王のもとへ歩を進めた。
「王よ、ご覧ください」
幻術騎士は銀の酒杯、ガラス製の花瓶、そしてインド製の絨毯を並べ、旅の苦労と感動を語る。
「ほほう……そなた、騎士でありながら行商人のようだな。
で、どの商品が良いのだ?」
王は羨望と戯画のような笑みを浮かべて俺に問う。
「そうですね。銀の酒杯は、あなた様の健康を保つもの。悪鬼の姿を眼前に映し出すことも可能です」
俺は嫋やかな手つきで酒杯をくるくると回してみせる。
「こちらの花瓶は、花を活けると、どれほど遠くの出来事でも、細部にわたって見通せるようになります」
そう言って、水と花を花瓶に供えると、花瓶の中に朧げながらも何かが映り始めた。
映し出されたのは、遠い異国の情景のようだった。
「そして、王よ!
この絨毯は、どこにでも――望む場所へと貴方を導く魔法が宿っています!」
俺は絨毯を指さし、上に乗って楽な姿勢を取る。絨毯はゆっくりと浮遊し始めた。
「絨毯よ!我が呼び声に従い、ゆっくりと旋回せよ。ここは王の御前ぞ!」
命じると、絨毯は安全な高さまで上昇し、王の目の前で円を描くように旋回した。
床に近づく前に、俺はさっと降りて王を見やる。
絨毯は王の目の前に降り立ち、まるで招いているかのように待っていた。
「王よ、ぜひお乗りになってはいかがでしょうか?」
「うむ、ならば試してみよう」
王は恐る恐る絨毯に乗る。一瞬、絨毯が硬直したかに見えたが、やがてふわりと動き出す。
王は、ひっくり返るように喜びを表現した。
「これは気に入った!ぜひ所望する!いくらするのだ?」
王は息を切らしながら、ずいずいと俺に近づいてくる。
「それはですね――」
俺が言いかけた、その時だった。
悪鬼に赤子を奪われた山姥のように、老齢の巫女が飛び出し、王と俺の間に割って入る。
「王よ、国の財政が危ううございます。
この巫女の一念、鑑みてご購入はお控え願えませぬか」
巫女は手にした最強のカードを俺にちらつかせながら、静かに交渉を始めた。
「そうだな……」
王は顎髭を撫でつつ、俺と絨毯を怪訝そうに睨む。
「そうです!」
間髪入れず、俺は言った。そして二番目に強いカードを切る。
「国庫に余裕がなければ、定額払い。期間を定めての支払いも可能でございます!」
なんと甘美な響きだろう。
この響きは、歴史上の覇王ですら惑わす魔力を帯びている。
「本来であれば金貨三十枚のところ、月々の定額払いであれば銀貨五枚で済みます」
この提案は実に魅力的だった。
しかし、描かれるタペストリーには“戯画たる悲惨”しかない。
終わりなき狩りか、終わりなき収穫か。どちらかしか選ぶことはできない。
王が唸っていると、ついに巫女が俺に凄みを利かせてきた。
巫女は、最後のカードを俺に手渡したのである。
「お帰りなされ、騎士様。王は常に独りであり、私もまた王に添い遂げる所存です」
「これは失礼しました、巫女殿。そうであれば、これらは必要なきものでございました。あなた方はもはや、そのような危険や希望を孕む些事を望んではおられぬようですね」
「申し訳ありませんね」
巫女は未来を占うような瞳で、俺をじっと見つめた。
王と巫女、そして俺は、同じ場所に立ちながらも、果たして望むべき場所へ辿り着けるのだろうか。
それは誰にもわからない。
ただ、ただ、お互いがそれとなく告げる“その時”を数えるだけ。
いつか帰ることだけを知っている、“定命の旅”なのだから。
「では、また楽しみにしております」
俺はそそくさと玄関を出た。
外はすっかり夕闇に彩られている。
街灯という街灯、住居群は、眠りからようやく目を覚まそうとしていた。
大地に張り巡らされた路地、そこに立つ戸建て群、そして遠くに臨むマンション群――
それらすべてが、夕闇に溶けて漆黒の
漆黒の兵達は地球に
天は紅く血に染まり、降参の旗がゆっくりと地平の向こうに消えていく。
やがて天は紫がかり、青へと転じ、すべてがこの天蓋球に塗り潰されていった。
そして──死の世界へと導かれる。
死の
――今日中に案件を取らねばならないというのに、
何一つ成果を得られぬまま、現在に至っていた。
「はぁ……こりゃ詰んだな」
俺はそう独りごち、自らの未来を、この天蓋に描かれた天使達に委ねるしかなかった――。
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