第18話


第18話「あなたの隣で、生きていたい」


 夏希はポケットからスマホを取り出すと、画面をそっと大和に見せた。そこには未送信のメッセージが映っていた。


「……これ、本当は、今日送ろうと思ってたの。“ありがとう”って。でも、なんか怖くて」


 メッセージはシンプルだった。たったひとこと「ありがとう」。けれど、その言葉に込められた思いの深さは、言葉以上だった。


 大和は目を細め、優しく微笑む。


「ありがとうって言われるようなこと、俺、何もしてないよ」


「そんなことないよ。……私、大和がいてくれたから、ここまで来られた。ずっと、見ててくれたでしょ。逃げたいときも、泣きたかったときも、私、誰よりも大和に見ててほしかった」


 夏希の声が、夜の静けさの中に、かすかに震えながら響いた。

 風がふたりの間をすり抜けていく。どこか遠くで、蝉が最後の力を振り絞るように鳴いていた。


「俺も……夏希の姿、ちゃんと見てた。努力してるのも、悩んでるのも、ずっと。なのに何もできなくて、もどかしくて……」


 大和はそこで言葉を詰まらせ、ぎゅっと拳を握った。


「でも、あのステージで歌う夏希を見て、思った。俺、やっぱり、そばにいたいって。もう、後ろから見てるだけじゃ嫌なんだ。だから——」


 そのとき、彼の手が、そっと夏希の手に重なった。


「……これからも、そばにいていい?」


 その一言は、静かだけど強かった。まっすぐで、迷いがなかった。


 夏希は息を呑んだ。

 胸が熱くなって、言葉がうまく出てこなかった。

 それでも、頷かなきゃと思った。


「……うん。いてほしい」


 かすかに震える声。けれど、その瞳はしっかりと大和を見つめていた。


 ——たぶん、これが私の「本当」なんだ。


 ステージの光に照らされる自分じゃなくて、

 ただの「夏希」として、大和に見てもらいたい。

 そんな気持ちが、胸の奥からじんわりとあふれ出した。


「……ありがとう、夏希」


 大和がそっと微笑んだ。


 その笑顔に、夏希の頬がふわりと赤く染まる。

 照れ隠しのように目をそらそうとしたけれど、

 次の瞬間、大和が少しだけ体を前に傾けた。


 距離が、ゆっくりと縮まっていく。


 ——え?


 心臓が、ばくん、と跳ねる。

 でも、逃げたくはなかった。

 むしろ、願っていた。

 大和に触れたい。近づきたい。

 この気持ちが「恋」だと、ようやく認められた。


 そして——


 ふたりの唇が、静かに触れ合った。


 長くはなかった。

 けれど、たしかに想いが重なった一瞬だった。


 唇が離れたあと、夏希はうつむきながら、少し照れたように笑った。


「……大和、びっくりした」


「ごめん、我慢できなかった」


 お互いに顔を見合わせて、自然と笑みがこぼれた。


 心の中で固く閉ざされていた扉が、今、そっと開いた気がした。


 夏希の胸には、ひとつの確信が芽生えていた。


 ——私はこの人と、同じ未来を見たい。


 月が高く昇っていた。

 ふたりの影が、夜の道にそっと重なっていた。



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