第2話「消えた死体と、白い雪と」

わたしは、夢を見る。


 それはきっと、わたしという一つの肉体に収まりきれなくなった、もう一人のわたしが、無意識の海に放り投げた、もう一つの物語。あるいは、この世界に埋め込まれた、見えないバグのログファイル。そうでも考えなければ、この奇妙で、おかしな現象を説明することはできないだろう。


 転校初日から数日が経ち、わたしは少しずつ、この雪深い町での生活に慣れてきていた。

 クラスメイトたちは、まだわたしをどこか遠慮がちに見ていたけれど、それも時間の問題だろう。


 わたしが一番気になっていたのは、もちろん、夢の中で出会った二人だった。

 大野紗耶と、三上悠。


 大野紗耶は、休み時間になると、窓の外の雪をじっと見つめていることが多かった。時々、誰かと楽しそうに話していることもあったが、わたしが声をかける勇気はなかった。だって、わたしが知っている彼女は、体育倉庫で血を流して倒れている、もう一つの姿なのだから。


 三上悠は、いつも教室の隅で、一人で本を読んでいる。わたしが視線を向けると、すぐに顔を背ける。まるで、わたしがそこにいることが、彼にとって何か、不都合なことであるかのように。


 そして、二人の関係は、まるで接点がないかのように見えた。

 夢の中で、あの二人は、何故あんな場所にいたのだろう?

 あの体育倉庫で、何が起ころうとしていたのだろう?

 わたしは、答えを知りたかった。

 でも、それは同時に、わたし自身の秘密を明かすことにも繋がる。

 だからわたしは、ただ、二人を遠くから見つめることしかできなかった。


 その日の放課後、わたしは思い切って、体育倉庫の場所を探してみることにした。

 本当に、あの体育倉庫が存在するのか。

 そして、もし存在するのなら、そこに何か、手がかりが残されていないか。


 新しい学校は、迷路のように入り組んでいて、体育倉庫は、校舎の裏手にひっそりと佇んでいた。

 錆びついた扉を開ける。

 キュルル、と、軋んだ音が、静かな空間に響き渡った。

 中には、夢の中で見たのと同じ、埃っぽい匂いが充満していた。

 奥には、古い体操着や、跳び箱、そして、金属バットが立てかけられている。


 わたしは、恐る恐る、足を踏み入れた。

 コンクリートの床を、じっと見つめる。

 夢の中で見た、あの赤黒い染みを探す。


 しかし、床には、ただの埃と、古いシミしか残されていなかった。

 血痕は、どこにもない。

 夢の中の光景は、ここには、存在しなかった。


 「……やっぱり、夢、だったんだ」


 そう呟き、わたしは安堵の息を漏らす。

 だが、その瞬間、ある違和感に気づく。

 体育倉庫の奥、壁に沿って並べられた古いマット。その上に、何かが落ちていた。

 小さな、古びた、銀色のキーホルダー。

 それは、夢の中で、大野紗耶が、体操服のポケットに付けていたものと、酷似していた。


 わたしは、震える手で、そのキーホルダーを拾い上げる。

 それは、小さな猫の形をしていて、古いせいか、少しだけ錆びついていた。

 わたしがそれを手に取った瞬間、キーホルダーは、まるでわたしに触れたのを嫌がるように、パリン、と、音を立てて砕け散った。


 「……え?」


 砕け散ったキーホルダーの破片は、まるで砂糖菓子のように、わたしの大事な記憶を、少しだけ奪い取っていく。

 いや、そうじゃない。

 わたしが、この場所に来た、という事実。

 そして、わたしがこのキーホルダーに触れた、という事実。

 それらが、わたしの世界を、少しだけ書き換えていくような、そんな感覚だ。


 体育倉庫を出て、廊下を歩いていると、わたしは、一人の先生とすれ違った。

 背の高い、細身の男性。

 彼は、わたしを一瞥し、そして、微笑みを浮かべた。

 その顔は、見覚えがあった。


 夢の中で、あの体育倉庫に、もう一人、いた。

 バットを握る「誰か」の手に触れ、彼を止めた、優しい手を持つ人物。

 あの先生は、その人だった。

 彼は、何も言わなかった。

 ただ、わたしが歩き去るのを、その場でじっと見つめていた。


 「ねえ、先生。あなたは、一体、何を知っているんですか?」


 わたしは、心の中で、そう問いかけた。

 だが、その問いは、やはり、誰にも届かない。


 その日の夜、わたしは、再び夢を見た。

 今度は、あの体育倉庫ではなく、雪が降りしきる校庭だった。

 わたしは、わたしではない誰かとして、校庭の隅に立っていた。

 そして、目の前には、一人の女子生徒。

 彼女は、まるで、わたしのことなど気にも留めないように、ただ、ぼんやりと、雪を見つめている。

 その姿は、まるで、壊れてしまった人形のようだった。

 その時、わたしの中の「誰か」は、彼女に近づき、その身体を、強く抱きしめた。


 「ごめんね」


 その、震える声。

 それは、誰の声だったのだろうか。

 そして、その「ごめんね」は、一体、誰に向けられたものだったのだろうか。


 わたしは、また、深い闇へと落ちていく。

 次に目を覚ます時、わたしは、どんな世界にいるのだろう?

 そして、わたしは、どんな「わたし」に、出会うのだろう?

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