『わたしの脳内は、あなたの死でいっぱい。』

@ruka-yoiyami

第1話「夢のなかで、わたしは誰かを殺した」

 わたしは夢の中で、あなたを殺す。


 正確には、夢の中の「わたし」が、「あなた」を殺すのを、夢の外にいる「わたし」が、遠いどこかから、ただ見ている。それはまるで、古びた映画のフィルムを、巻き戻しも早送りもできないまま、ただただ眺めているような、そんな感覚だ。映写機から放たれた光が、壁に貼り付けられたスクリーンに虚ろな幻を映し出すように、わたしの脳は、他者の、あるいはもう一人のわたしの記憶を、ただなぞっていく。


 そうして目を覚ましたわたしの掌には、あなたの血が――あれ、それは、いつから付いていたんだっけ。

 玖珂 詠、16歳。特技は、人の死を夢で見ること。


 でもそんなこと、誰にも言っていない。


 言ったらきっと、わたしが殺したって、思われちゃうでしょ?


 ねえ先生、これって相談してもいい内容ですか?


 だってまだ、ほんとうに死んだ人なんて、ひとりもいないんですよ。

 ――わたしの夢の中以外では、ね。


 転校初日の、しんしんと雪の降る朝だった。

 わたしは夢を見た。いつもより、ずっと鮮明な夢だった。


 それは、体育倉庫の奥、埃っぽい匂いが充満した薄暗い空間だった。わたしはそこに、わたしではない誰かとして立っていた。

 その「誰か」は、背の高い、少し猫背気味の男子生徒だった。ポケットに手を突っ込み、所在なさげに立っている。

 そして目の前には、一人の女子生徒。明るい茶色に染められた髪を、毛先だけ少しカールさせている。その顔は、ほんの少し不機嫌そうに歪んでいた。確か、朝のホームルームで、自己紹介の際に名前を読み上げたばかりのクラスメイト。彼女の名前は、大野 紗耶だった、と、どこか他人事のように思い出す。


「もういいよ、あたし、帰るから」


 大野紗耶は、ぶっきらぼうにそう言って踵を返そうとする。

 その背中に向かって、わたしの中の「誰か」は、震える声で何かを叫んだ。怒りか、悲しみか、あるいはそれとも、純粋な絶望だったのか。その声は、ひどく掠れていて、うまく聞き取ることができなかった。


 次の瞬間、床に落ちていた金属バットが、鈍い音を立てて空を舞う。

 「誰か」の手が、それを強く握りしめていた。

 バットは、まるで世界がスローモーションになったかのように、ゆっくりと、しかし確実に、大野紗耶の後頭部に振り下ろされる。

 ゴツン、と、酷く重い音がした。

 彼女の身体は糸が切れたようにぐらつき、そのまま床に崩れ落ちた。


 コンクリートの床に、じわじわと赤黒い染みが広がっていく。

 それは、絵の具の赤とは違う。粘り気のある、重い、血の匂いがした。

 わたしは、わたしの中の「誰か」は、それをただ、呆然と見つめていた。バットを握る手は震え、その目には大粒の涙が浮かんでいる。


 ああ、わたしは、また見てしまった。

 誰かの、死を。

 それも、今度は殺される側ではなく、殺す側の視点から。


 血の海の中で、大野紗耶は動かない。

 わたしの中の「誰か」は、その動かない身体に、さらにバットを振り下ろそうとしていた。

 その時、わたしは、わたしの意識は、叫んだ。


 やめろ、と。


 その叫びは、しかし、誰にも届かない。

 ただ、この薄暗い倉庫の、埃の匂いの中に、溶けて消えていくだけ。

 それでもわたしは叫び続けた。


 やめろ。もうやめてくれ。


 その時、バットを握る手に、別の誰かの手が触れた。

 優しい、それでいて、拒絶できないような、不思議な感触。

 わたしの中の「誰か」は、その手に誘われるように、バットを床に落とす。


 カラン、と、乾いた音が、薄暗い倉庫に響き渡った。

 その音を最後に、わたしの意識は、深い闇へと落ちていった。


 夢から覚めた時、わたしは自分のベッドで、白いシーツに包まれていた。

 ひどく汗をかいていて、心臓がバクバクと五月蠅く鳴っている。

 枕元に置いてあったスマートフォンが、朝の六時を告げていた。


 「……夢、か」


 そう呟いて、自分の両掌をじっと見つめる。

 指先まで、何一つ、付着していない。

 血の匂いもない。

 あるのは、ひんやりとした肌の感触と、夢の中で見たあの光景の、鮮烈な残像だけだ。


 あの夢は、ほんとうに、ただの夢だったのだろうか。

 今までの夢は、もっと曖昧で、ぼんやりとしたものだった。誰かが階段から落ちる夢、誰かが交通事故に遭う夢、誰かが病で死んでいく夢。

 それはいつも、殺される側の、死にゆく側の視点だった。

 でも、今日の夢は、違った。

 明確な殺意と、暴力と、そして死の瞬間。

 あれは、間違いなく、殺人だった。

 しかも、殺す側の視点から。


 わたしは、もう一度、深く息を吐き出す。

 大丈夫、夢だ。あれは、現実じゃない。

 そう言い聞かせるように、身体を起こし、転校初日の準備を始める。

 新しい制服に袖を通し、鏡の前に立つ。

 鏡の中には、見慣れない制服を着た、見慣れないわたしが立っていた。

 雪国の、まだ名前も知らない町。その町に、昨日から住み始めたばかりの、16歳の少女。

 この町は、わたしにとって、すべての始まりであり、そして、すべての終わりなのかもしれない。


 新しい学校生活は、想像していたよりもずっと静かで、そして、どこか奇妙だった。

 教室に入ると、クラスメイトたちはわたしのことを物珍しそうに見つめてくる。

 わたしは、ただ、微笑みを浮かべることしかできなかった。

 だって、まさか「夢で、あなたたちのうちの誰かが、誰かを殺すのを見ました」なんて、言えるわけがない。


 朝のホームルームが始まり、担任の先生がわたしのことを紹介する。

 「みんな、玖珂くが 詠うただ。仲良くしてやってくれ」

 わたしは、ゆっくりと頭を下げた。

 その時、ふと、視線を感じる。

 窓際の一番後ろの席。

 そこに座っていたのは、わたしの夢の中に出てきた、あの女子生徒だった。


 大野 紗耶。


 彼女は、何事もなかったかのように、窓の外の雪を眺めている。

 茶色に染めた髪も、毛先のカールも、夢の中とまったく同じだ。

 彼女の後頭部をじっと見つめる。

 どこにも、傷ひとつない。

 血痕もない。

 彼女は、今、ここに、生きている。


 わたしの心臓は、ドクン、と大きく鳴った。

 何かが、違う。

 何かが、ずれている。


 そうして放課後、下駄箱で靴を履き替えていると、背後から声をかけられた。

 「お前、玖珂だろ」

 振り返ると、そこにいたのは、夢の中の「誰か」、つまり、大野紗耶を殺した男子生徒だった。

 彼の名前は、朝のホームルームで、確か、三上 みかみ 悠はる、と、聞いたはずだ。

 彼は、わたしの顔を、じっと見つめている。その目は、少しだけ怯えているようにも、あるいは、何かを確かめようとしているようにも見えた。


 わたしは、何も言えなかった。

 ただ、彼の視線を、まっすぐに見返すことしかできなかった。

 彼は、何も言わず、ただ、その場を立ち去っていく。

 まるで、わたしがそこにいることに、気づいていないかのように。


 わたしは、彼の背中を見つめながら、思う。

 あの夢は、本当にただの夢だったのだろうか。

 それとも、あの夢こそが、本当の出来事で、今、わたしが生きているこの世界は、何かの間違いなのだろうか。


 ――この世界は、ほんとうに一つなの?


 その日の帰り道、雪が降りしきる中、わたしは、その問いに答えを探すように、ただ、歩き続けた。

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