0-2

「夕映?」


 ふとすぐそばから私の名前を呼ぶ声に、はっと身を固くする。立ち止まった拍子に足元のガラスの破片がシュッと前へと飛んでいった。


「優奈っ」


 荒れた大地に立って後ろから声をかけてきたのは、親友の優奈だった。

 良かった……優奈、無事だったんだ。

 と、ほっとするのも束の間、小さな余震が来て、視界をぐらりと揺るがせた。


「わっ!?」

「きゃあっ!」


 近くにいた人たちが一斉に悲鳴を上げる。先を行く両親も自分の身体を支えるので精一杯で、私に視線を送りつつ、その場から動けずにいっぱいいっぱいになっていた。 

そんな中、優奈がぐっと私に手を伸ばしてきた。


「夕映、掴まって!」


「う、うんっ」


 手を伸ばしあって、ようやく掴んだ彼女の手のひらはぐっしょりと汗が滲んでいる。私と同じように、彼女を襲う恐怖心がどれほどのものなのかを知り、たまらなくなってぎゅっと握りしめた手に力を込めた。


「大丈夫、このまま揺れが収まるまで待とう……そう、うん、いい感じ。落ち着いて、夕映」


 自分だって怖いはずなのに、必死に私を安心させようとしてくれる優奈の強さに、感服せざるをえない。

 しばらくすると揺れは次第に収まっていった。ふう、と胸に手を当てて大きく息を吐き出す。それでもまだ、心臓のドキドキは止まらなくて気持ちが悪い……。


「夕映、大丈夫? しっかりして」


 優奈が私の肩をかっちりと掴んで、真っ直ぐに言葉をかけてくれた。そのおかげでようやく動悸も収まってきて、ありがとう、とつぶやく。


「びっくりしたよね……こんな大きな地震、初めてやけん。夕映んちも翠中に行くと?」


 優奈が、前方にいる私の両親をちらりと一瞥しながら問う。


「うん、そう。優奈のとこは?」


「うちは、お父さんとお母さんと涼真りょうまが野球のクラブチームの試合で今家におらんくて。でも何かあったら避難所に集合しようって決めとったけん、今から行くとこ」


 涼真というのは優奈の六つ下の弟だ。まだ小学生で、ご両親は涼真くんの試合の応援に出かけたのだろう。家族がいない中で大地震に遭って、さぞかし心細かったに違いない。


「そうなんだ。おばさんとおじさんと涼真くんと会えるといいね」


「うん。ちょっとスマホも電波が悪いみたいで連絡取れんっちゃけどね。必ず会えるって信じる」


「それでまで私と一緒にいようよ」


「ほんと? それは助かる」


 優奈は普段から優しくて強い子だけれど、家族がいない中での被災というのはやっぱり堪えるものだったんだろう。笑顔の端々から滲み出る安堵の表情に、胸がぎゅっと締め付けられた。

 優奈と再び手を取り直して、翠中へと続く道を走って進む。両親は私が優奈と合流したのを見て、少しだけ空いた距離を保ちつつ走っていた。

 やがて、あと数分で中学校にたどり着くという時に、優奈が「あっ」と声を上げた。


「ごめん、夕映。私、ちょっと家に忘れ物したけん、先行っといて」


「え? 忘れ物? 家まで取りに行くの?」


「うん。そんな遠くないし、すぐ戻るけん」


「でも……」


「大丈夫、大丈夫! なあに? 私と離れたら寂しいと?」


「そ、そういうことじゃなくて」


 確かに優奈の家は、私の家よりも翠中に近く、走れば片道十分で辿り着けるぐらいの距離だ。往復で約二十分。そんなに時間はかからない。まだこれから避難所に行こうと準備をしている人だってたくさんいるだろう。

 ちょっと心配だけど、優奈なら大丈夫か。

 なんて言ったって、優奈はクラスの中でも明るくて強くて、みんなの人気者。そんな彼女がみんなの前からいなくなるなんて考えられない。頭の片隅によぎった一抹の不安に蓋をして、私は「気をつけて行ってきて」と送り出した。


「うん、またすぐ翠中に来るけん、そん時は夕映、一緒に私の家族探してねー!」


 今まさに被災したなんて微塵も感じさせないほど溌剌とした声で、彼女はくるりと踵を返した。遠くなっていく彼女の背中を見つめる。

 それが、彼女を目にした最期の瞬間になるなんて、その時は思いもしなかったんだ——……。





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2024年6月16日日曜日。

玄海海(玄海島北西8km、深さ10km)を震源とするM7.2の地震が発生した。

福岡市で最大震度6強の揺れを観測。死者は福岡県内で11名、負傷者は769名に及ぶ。

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