第14話

 約束の時刻、十二時ちょうどに朱里の母親はやってきた。眉間に皺を寄せ、見るからに機嫌の悪い様子だ。


 面談室に入り、山之内と彩音が並んで座る。山之内の前に母親が座った。

 気まずい沈黙を破ったのは山之内の声だった。


「改めまして、この度は多大なるご心配とご迷惑をおかけしまして誠に申し訳ございません。ひとえに、弊社の監督不行き届きが招いた結果です。心よりお詫び申し上げます」

 

 言い終わり、机に額がつきそうなほど深く頭を下げた。申し訳ございませんでした、と彩音も続いて頭を下げる。

 態勢を変えず、二人は母親が言葉を発するのを待つ。


 聞こえてきたのは、ひどく冷たい言葉だった。


「それで済む問題ですか」


 顔を上げると、温度のない表情でこちらを見ている。


「娘は受験を控えた大事な時期なのに……。安心して任せられると思ってこの塾を選んだのに、まさかそこのアルバイトとこそこそ連絡をとり合ってるなんて。一昨日は友達の家で勉強するから言ったので送り出したら、一緒にお祭りに行ってたんですよ。嘘ついて、勉強をほっぽりだして。考えられますか」


 口調さえ落ち着いてはいるが、言葉の端々に嫌悪感が滲んでいた。


「アルバイトの方は、なんておっしゃってるんですか」

「それが、まだ話はできておりませんで」

 そう彩音が小さく零すと、

「はぁ!? なんでそんなに対応が遅いんですか!?」とものすごい剣幕で詰め寄った。


「大学生にもなって中学生をそそのかすなんてろくな人間じゃないでしょうけど、そんな人を庇うような態度をとっている会社のろくなもんじゃないでしょうね」


 はぁ、と母親は大げさな溜息をついた。そして彩音の方に顔を向けた。


「あなたが塾長でしたっけ? ここの責任者なんですよね?」

「……はい、そうです」

「こんな若い方で大丈夫かしら、と思っていたんですよ。先日の面談でもなんだか頼りなくって。ご自身はたくさんお勉強してこられたのかもしれないけど、子どもの教育に関して、あまりまだお分かりでないのかしらね」


 刺すような視線をぐっと向けられ、蛇に睨まれた蛙のように彩音は身動きができなくなった。自然と呼吸が浅くなる。

 彩音が何も言えないでいると、山之内が声を上げた。


「お母さま、この塾内で起きたことは、塾長だけでなく弊社全体の責任でございます。担当講師の話を確認しまして、後日改めてお話ができれば大変有り難いのですが」


 彩音から山之内に視線を移し、ふん、と鼻を鳴らした。


「わかりました。ちゃんとした事実確認をお願いしますね」


 バッグをひっつかみ、朱里の母親は立ち上がり玄関へ向かった。

 母親が出ていき、扉が閉まるのを見届けてから、山之内は彩音に声をかけた。


「あんまり気にしないでいいからな。たまにいるんだよ、ああいうこと言う保護者」

 

 ま、大丈夫だから、と彩音の肩をぽんと優しく叩いた。


「宇居くん? だっけ、連絡とってそう?」

「……はい」

「話が訊けたら、共有してくれる?」

「もちろんです。ご連絡します」

 

 じゃ、メシ食いに行くわ、と山之内は立ち去った。

 

 一人になった彩音はその場でうずくまる。頭の中では、母親に言われた言葉が何度も何度も巡っていた。

 子どもの教育に関して、あまりまだお分かりでないのかしらね――。


 子どもたちのため、とこれまで自分なりに頑張ってきたことの全てを否定されたような気持ちになり、すぐにでもこの場でわんわん泣きわめきたいほどだった。

 でも、そんなことしても事態が好転するわけでもない。ぐっと気持ちを抑え、立ち上がった。


 その後、恭弥と連絡がとれた。今日は出勤するのとことだったので、授業の全て終わる九時から面談することとなった。

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