第22話


 商会で起こった乱闘は、警邏隊が鎮圧した。

 ほとんど終わっていた頃にやってきたのは、町中がお祭り騒ぎのせいで到着が遅れたからだという。

 動員できる人数集めにも苦労していたそうだ。

 カーラさんは、あの乱闘騒ぎから寝ずに修繕対応をしていたようで、今は書店の休憩室で寝ている。

 二日ぶりの休憩だそうだ。

 昼休憩の時からずっとここにいる。


「ファビオ君? ディオネさんもうすぐ来るけど、カーラさん起こそうかい?」

「いいですよ、契約書はカーラさんから承認もらってるんで」


 マイケルが僕に聞いてくるが「そっか」と返して、マイケルはカウンターから出る。僕は今日のために、忙しいカーラさんを呼んだのだ。

 ディオネと契約する日に、書店の経営者が立ち会わないといけないから。

 ただ、書店に来たカーラさんの足取りがフラフラだったから、契約書を先に見てもらって、僕だけ立ち会いする事にした。


「カーラさんはこのまま寝てもらいましょう。疲れてるだろうし」


 僕の言葉に「そうだね、起こして機嫌を悪くしたくないし」とマイケルは僕と本の整理を進める。

 大して売れない参考書も、魔術の教本もまだまだ残っている。

 売り場の増設も考えたけど、本の整理をすれば結構空いている棚があるからやめた。






 後から聞いた話では、乱闘の原因は職員の不注意だった。

 ディオネが商会に匿われていることを、よりにもよってオーゲン商会の連中に聞かれたらしい。

 それに議会登壇の日に起こったのは、警邏隊も治安維持のために動員されるからで、オーゲンは鎮圧まで時間が掛かると考えての、計画的な犯行だったようだ。

 

 そう、白髪の目立つオーゲンが仕組んだ。雇った荒くれ者たちと一緒に、今は警邏隊の収容所でおとなしくしている。

 人売りに出すと言った脅迫とか、孤児院の襲撃とかの余罪もきっちり調べられるそうで、ご愁傷様といったところだね。

 あと、エリー姉さんに投げ飛ばされたマックスは、骨を折って治癒院で入院中だそうだ。命に別状はないらしい。


 あぁ、ビクター兄さんは僕が商会の敷地から出た後、乱闘騒ぎを聞いてすぐ戻ったらしいけど、あまりの荒れ具合に案の定卒倒した。

 今は、事後対応で寝ずに仕事している。

 日に日にクマが酷くなっているのも、ご愁傷様とは軽はずみにいえない。僕がそうなるところだったと思えば同情すらある。


 その後日譚というか後始末の様子を、学園でライアンさんに聞かせてもらったけど、節々に僕が逃げたことを責めているような感じだった。

 だけど、彼もエリー姉さんと一緒に暴れていたし、いくら暴れ出したら止まらないと分かってるエリー姉さんのせいだとしても、婚約者なんだからさ。

 止めないと。




 ディオネも孤児院の子どもたちも、遊んでできた怪我以外は無事で、後は仮住まいの問題だけ残っている。

 ディオネなんかは、ずっと商会で住みたいと言っているけど、それは魔道具の光る台があるからそう言っているだけだと思う。

 書店にいればなにも不便なんてないけど、それとこれは違うらしい。

 僕にはよく分からないけどね。


「どうもぉ、来ましたよぁ」


 元気のない、聞いただけで疲れていると分かる声が書店の玄関から聞こえた。

 僕とマイケルが玄関を見ると、ディオネだった。


「ディオネさんか、じゃあいいや」とマイケルは興味をなくして本の整理を続けた。

 

 一目で分かる。彼女の姿は、一言で言えば不潔だ。

 髪は乱れ、服にはインクの染みがついている。目元には薄いクマができていて、明らかに寝不足だ。

 かすんだ目を細めて覗き込むように見ているせいで、睨んでいるようにすら見える。


 ちょっと見ないうちに、変貌していたディオネをマイケルはよく分かったね。

 君が言うまで不審者がきたのかと思ったよ。


「水でもいる?」とディオネに聞けば、彼女は頷いて「座っても良いですか、……ちょっとクラクラして」と本を置いていない棚に腰を落ち着かせる。

 そんな彼女を見て、マイケルが「ちゃんと寝てるの?」と切り出せば、「あの騒ぎから筆が止まらなくてぇ」とうつらうつらとして話すディオネ。


 とりあえず休憩室に水を汲みに行く。休憩室で寝ているカーラさんの寝息も聞こえていて、何というか宿のような状況になっている書店に頭を掻く。


 水を汲み終えて、ディオネに渡せば「ありがとうございますぅ」と閉じかかっている目を擦って受け取る。

 インクのついた手で擦ったせいか、目の周りがすごい汚れてしまったディオネに「明日に変える?」と切り出す。


「いやぁ、明日はアースコット教授の分を仕上げるんで……ちょっとだけ寝ても良いですか?」

「休憩室で寝て良いよ、もう」


「助かりますぅ」と間延びした声で返すディオネに僕まで眠たくなってくる。

 ディオネは、すぐ立って休憩室まで歩いて行くが、途中の棚にぶつかって「いて」と声を出しながら進んでいく。


「あ、カーラさんもいるぅ」と休憩室を開けたディオネが一言言えば、閉まる扉。


「とりあえず、進めましょうか本の整理」とマイケルに言えば、「店閉めたら帰るからね」と応じて続きを進めてくれた。


 いいよ。僕一人でなんとかなるでしょ。それに時間はまだあるし。






 * * *







 マイケルが書店から帰ってしばらく経ったが、休憩室から物音は一切聞こえてこない。

 店仕舞いの時に、マイケルと二人で静か過ぎる休憩室を覗けば、椅子にもたれて寝ているディオネと椅子に座ったまま、机の上に顔を伏せてうつぶせで寝ているカーラさんの二人が寝ていた。


 マイケルは、寝過ぎじゃん。と言って颯爽と帰ったし、僕も二人のことは寝過ぎだと思う。

 外も暗くなってから、魔道具の照明が点いてはいるけど、それがいつ消えるかも分からない。

 こんなだったら、先にディオネと契約しておけば良かったと思いもする。

 説明している途中で寝られてもそれはそれで困るから、これで良かったと思うことにした。

 

 僕がカウンターで、ディオネと組む専属作家の契約書を何度も読み返していると、休憩室から物音が聞こえた。

 水の流れる音もして、扉が開けば「よく寝たよ」とカーラさんが出てくる。


「結構な時間、寝ましたね」と僕が言えば「だって、大変だったんだからね」と恨めしそうに返すカーラさんは、コップに注いでいた水を持ってカウンターにやってくる。


「けど、よかったよ」と彼女がカウンターの椅子に座れば、続けて「ファビオ君もディオネちゃんも、それに子どもたちも無事で」と恨めしそうな目が、優しそうな目に変わる。


「おかげさまで迷惑掛けました」と返すが、こんな時に何かを言い出せる言葉がない僕に「いいのよ、迷惑掛けて」と言われて頭をガシガシとなでられる。


 されるがままに頭をなでられていたが、それも終わって唐突に「そういえばビクターさんが明日商会に来るようにって」と僕に伝えてくる。

「何でですか」と返せば「私は知らないわよ」とカーラさんは水を飲み干した。


 二人で外の照明に照らされた道行く人を見ていれば、「まだ、ディオネちゃんと契約してないでしょ」と僕が持っていた契約書を見て、切り出すカーラさんに「えぇ、まぁ」としか返せない。


「じゃあ、さっさと済ませましょう。彼女、起こすわね」とカウンターの椅子から立って、「酒でも飲みたい気分だわ」と呟きながら休憩室に向かって歩くカーラさん。

 休憩室に入ってすぐ、椅子の倒れる音と「いったい!」とディオネの声も合わせて聞こえた。


 何ごとかと休憩室を見れば扉が開く。

 カーラさんが顔を出して、「ちょっと待ってね」と言ってすぐ扉を閉める。

 ディオネの顔を見て、汚れを落とし始めた途端にうるさくなる休憩室。

 契約書をカウンターに置いて、物音が落ち着くまで待った。






 休憩室から二人が出てきたのは、物音が聞こえなくなってからすぐだった。


「なんで、そんなに汚れてるのよ」と彼女はディオネを見て言うが、ディオネも「もう良いじゃないですか、ちょっと洗うの忘れてたんですよ」と返してグチグチと言い合っている。

 何でも良いから、契約を済ませたかったから「とりあえずいいです?」と二人に言って、二人の椅子を用意した。


 二人がカウンターに横並びで座って、二人の対面にカウンターを隔てて座る。

 置いている契約書を見て、すでに読み始めるディオネに「水もってくるわ」と椅子から立ってまた休憩室に向かうカーラさん。

 ディオネに「読んでいる途中だけど良いかい?」と聞いた。

 

「もう読み終わりましたよ」


 ディオネは、汚れのない顔で僕に言った。

 もう、読んだの? 早すぎないかい?


「ま、まぁ聞いてほしいんだけどさ」と僕が切り出せば頬を掻いて「何ですか?」と聞いてくるディオネ。緊張感のない顔を向けてくるディオネ。


「専属作家の契約だよ? 何かこうさ、思うこととかないの?」

「特にないですよ」


 そっか。

 それから無言になる僕に「どこに署名したら良いですか?」と聞いてくるディオネ。

「じょ、条件も――」と聞く僕にかぶせるディオネが「全部読みましたから。年一回の原稿、最低限で良いですよ」と返される。

 

「ふふ、面白いわねあなたたち」と休憩室から水の入ったコップ三つを、盆にのせて運んでくるカーラさんは、僕たちにコップを渡してくる。

 僕もディオネもカーラさんに礼を言って、その水で少し口を潤す。


「ディオネちゃん」とカーラさんはカウンターに座ってディオネを呼ぶ。


「何ですか」と聞くディオネに「いいの? もしかしたら専属作家になったせいで自分の好きな分野の本を書けなくなっても」と契約書に書いている条件を、ディオネに聞くが彼女は「良いですよ、書くのが好きですし」と返す。

 カーラさんは、契約書に書いてある条件の文章に、カウンターに置いてあるペンでチェックを入れていく。


「専属作家になったら、嫌でも年一回は決まった量の原稿を仕上げるのよ? いいの?」

「望むところですよ、何だったら五回でも十回でも良いですよ」


 それはさすがに、出版が追いつかないからやめてね。

 

「専属作家になったら、重版の売り上げは書店が取り分を決めるわ。もしかするとディオネちゃんに、お金入ってこないかもしれないけどいいの?」

「良いですよ、そんな極端なことはしないと思いますし」


 やろうと思ってましたけど?


「じゃあ、書いた原稿を私達が読んで売れないと判断したら?」

「そんなことはないと思いますけど、それは私の実力不足だったと諦めますよ」


 カーラさんがチェックを入れた契約書を、ディオネに渡す。細かい条件は残っているが、その条件は僕ら側の条件でもある。

 ディオネには関係がほとんどない。

「ここに署名したら良いから」と持っていたペンを、ディオネに渡して「ファビオ君ごめんね、ファビオ君の今日の仕事終わったわ」と僕に言う。


「終わりましたよ」と僕に契約書とペンを返すディオネ。


 二人して、またグチグチと汚れがどうの、寝てないからだと言い合っている。

 座ったままで終わった契約に「僕待ってた意味ないですよね?」と呟く。


 二人は僕の声に笑って、カーラさんは「そうだね、ごめんね」とウインクを僕に向けてくる。


 いや、本当に待ってた僕が馬鹿じゃん。もう帰れよ二人とも。

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