第10話
僕とマイケルが孤児院でディオネを探し出した日から、七日が過ぎた。
今日は僕とディオネの二人で、ライフアリー商会のビクター兄さんに報告する日だ。
僕にとっては、別になんてことないイベントだけど彼女には一大事らしい。
「本当に大丈夫ですか?」
そう僕に言ってくるディオネに、僕は「全然大丈夫だよ」と返す。
僕にしては珍しく、ちゃんと約束の時間を守ってビクター兄さんに会うことにした。
ビクター兄さんの秘書もしているカーラさんにはそれは凄く驚かれた。
なんだよ、「今日の天気はこれから槍が降ってくる」って、意味が分からない。
「ていうかさ、あれから孤児院大丈夫だった?」
「まぁ、正直まだないですけど」
ディオネは終始俯いたままだった。
多少はおしゃれをしてくると思っていたが、暑い日だというのに青色の長袖ワンピースを着ている。
口数の少なさに、ディオネの緊張具合が見て取れるけど、別にビクター兄さんに報告するだけで本当にたいしたことじゃない。
エリー姉さんに会いに行くなら、話は違うけどね。
「そうだ! 次孤児院に行く用事あったら僕言うからさ、忘れてそうだったら教えてよ」
話を途切れさせるのもいかがなものかと、色々とディオネに話を振るが二言三言でそれも終わる。
もう商会に着くのだけど。横を歩くディオネはずっと俯いている。不意にディオネが僕を止めた。
「ちょっと待って!」
横の彼女はワンピースをいじりながら、僕を見て口を開いた。
「変装した方がいいかな?」
「大丈夫。君の事は誰も知らないから」
有名人気取りだろうか?
本が売れて社交会に呼ばれたとか、人気作家になって気軽に町も歩けなくなったとか、そういう話でもないのに。
もしそうだったら、僕が彼女に噂の送迎用の馬車を手配してやるけど。
今回は、あくまでエリー姉さんのことを書かれているような本が出回ったから、そのことについての話し合いなのだ。
商会でディオネを褒め称える事はしないのだ。
どこか見当違いな事を言ってくるディオネを連れて、商会の敷地に入る。
当然、小さい方の門からだ。大きい鉄門は今日も人の出入りが多すぎる。
商会の敷地に足を踏み入れると、僕には見慣れた光景だったけど、隣を歩くディオネは目を見開いて辺りを見回していた。
いつも通り、ライフアリー通運の方では馬車や人がたくさん行き来している。ライフアリー商会の前でも、馬車から降りてくる身なりの良い人たちが見える。
「あの白い壁の中ってこんな風になってたんですね! すっごく広いですね!」
目を輝かせて僕に話しかけてくるディオネ。さっきまでの緊張はどこへ消えてしまったのだろう?
ディオネの相手にそろそろ疲れてきたので、僕はさっさと商会本部に向かった。
もちろんディオネを連れて。
商会の中では、いつも通り来客の対応をしている職員さんが忙しなく働いていた。
ずっと目を輝かせるディオネは、いつもまにか持っていた木の板と筆で色々書いている。後で何を書いているのか確認しないと。また、とんでもないことになりそうだ。
約束の時間に間に合うようディオネと待ち合わせていたので、急ぐ必要はない。
僕たちはゆっくりとビクター兄さんの執務室へ向かうため階段の方へ歩いた。
「ファビオ君。少し待っててくれる? 急な来客でビクターさんが対応しているの」
不意に声をかけられた。僕とディオネは声のした方へ振り返った。
そこには、前にも会ったカーラさんがいた。
カーラさんは青と黒が混ざった髪を後ろで束ね、僕よりも頭一つ分高い身長をしている。
深い青色の瞳は目尻にかけてつり上がって、一見するとクールで近寄りがたい印象を与える。
だが、そんな印象とは裏腹に凄く思慮深い人でもある。
「そうですか。急な来客って誰の事なんですか?」
僕はカーラさんに聞き返す。
軽々しく僕はビクター兄さんと会っているけど、兄さんはライフアリー商会の次期商会長だ。普通は忙しすぎて会えない。
僕は経営者一族でもあるし、ライフアリー商会内なら顔パスで通れるのだから便利なものだ。
「ファビオ君は商会ギルドって知ってる?」
カーラさんは僕の質問に答えてくれた。あまり口外できない人もいる中、僕に教えてくれるって事は……そういうことなのだろう。割とライフアリー商会にとってどうでも良い相手。
「知らないですね。君は知ってる?」
「私も知らないです」
当然僕も知らなければ、ディオネも知らない。
カーラさんは、独り言のように「そうだよね」と呟きながら僕たちに近づいてくる。
「とりあえず、階段上がろっか。正直さ、私たちも最近知ったんだけどね――」
階段を三人で上がりながら商会ギルドの事を聞いた。ディオネは、全然分からなそうな顔をして木の板に書いていた。
それって、後で回収した方が良いよね?
一応、カーラさんの話を要約すれば、三年前あたりからライフアリー商会の商圏外で色々な事業に手を出してる小さな商会の大きな組合みたいなものらしい。
それだけ聞いてもよく分からないけど。
本部はワグダラ王国にあるそうだ。
組合の規模が大きくなるにつれて、このデミストニア自治国やドリンシャス帝国にも進出し、組合員を増やしているという。
全然想像つかないけど。
「勧誘って事ですか? けどウチって、小さくないですよね?」
「まぁね。いきなり商会ギルドの幹部っていう人がやってきたから私たちも慌てちゃってね」
僕の質問に快く答えてくれるカーラさん。
ゼクラット書店の事になると全然話聞いてくれないのに、書店とは関係ないことを話せば凄くいい人なのだ。
でも、そんな大きな組織が相手なら、ビクター兄さんでも荷が重いんじゃないか?
父上は何してるんだ? 商会長なのに。
「父上はいなかったんですか?」
「ザノアールさんはワグダラ王国のケイドリンで交渉してる最中なのよ」
「それで、ビクター兄さんですか。なるほど」
商会長は商会長で、結構な遠出をしているみたいだ。
ケイドリンといえば、このデミストニアから普通の馬車で十五日以上かかる場所だ。
それなら仕方がないか。ビクター兄さんも次期商会長なのだから、父上の代理で対応するのも当然だろう。
急にやってきた商会ギルドの方が悪いのだ。
「大丈夫ですかね?」
何が大丈夫なのかは聞かない。僕の声に二人とも答えてくれない。
ディオネは全然分かっていないし、ビクター兄さんとも話したことないから当たり前だが。カーラさん、なんで答えてくれないの? 何か大丈夫じゃないことがあるってこと?
僕たち三人が三階まで上がると、静まりかえっていた。とても急な話し合いをしているようには思えない。
カーラさんの先導で僕たちは歩くが、入った部屋はビクター兄さんの執務室じゃない。
「この部屋って、入って良いんですか?」
ディオネが口を開いて、カーラさんに聞いた。
入ってはいけない場所にディオネを入れるわけではない。一応僕もここについては聞いたことがある場所だ。
「ここって盗み聞きできるっていう場所ですか?」
「そうよ、いいでしょこの場所。私たちが盗み聞きするぐらい訳ないって。ビクターさんもザノアールの交渉をここで聞いてたくらいなんだから」
本当に聞いていても良いのだろうか。すぐ隣で漏れてくる声は確かによく聞いたビクター兄さんの声だった。
漏れる声の数は四つ。一つはビクター兄さんだとしたら、他の人は三人いる。
『えぇ。ですから私たちの商圏外の取引については――』
何についての話なのか分からない。
僕とディオネは壁に耳をそっと当てて聞くが、大して聞こえる声は多くない。
『はい。何度も言いますが、それについては議会の承認が必要で――』
議会の承認? そんな事が必要なのって公共事業とか? けれど、公共事業は父上が指揮している事業だからビクター兄さんが父上をないがしろにするわけがないはず……。
代わる代わるに聞こえる三人の声とそれに応えるビクター兄さんの声。
ずっと、ビクター兄さん一人で応対している。
『私たちは、このデミストニア自治国に代々尽くしてきた商会ですよ? それを今更――』
それからビクター兄さんと他の三人の話し合いは、はっきりと聞き取れる大きさの声で進んだ。
時折語気を強める声も混じる。
少し時間は掛かったけど、話し合いは終わったみたいだ。
かすかに、隣の部屋の扉が開く音が聞こえた。続いて靴音が廊下に響く。複数の人影が移動しているのが分かった。
もう壁に耳を当てなくても聞こえる廊下の声。
ビクター兄さんと話す人たちは、柔らかそうな声で話しているのが分かる。
「ビクターさん。お父上にもこの話、伝えていただけますか?」
「えぇ。私の方でも商会長に確認しておきます。ですが、そろそろ議会開催の初日も近いんです。すぐの回答はできませんよ」
父上に伝える話って、公共事業関連じゃないのかな?
やっぱり大事のような気がする。
「お話を共有していただけさえすれば私たちも嬉しい限りですよ」
「急がれてはいないのですか? 少し影響が大きいと思いますが?」
ビクター兄さんは急ぎの用件かと尋ねるが、相手はそうではないと答える。
僕はあまり聞いてなかったけど、どんな内容なのか全然分からない。
ディオネは、ずっと首をかしげている。
「他にも色々と厄介な話もありましてね」
「そんな気になるような言い方をされては――」
そこから先の話は聞こえない。
もう階段を降りているのだろうか。
「ファビオ君はどんな事を話していたと思う?」
カーラさんから、声を掛けられる。
空いた椅子に座るカーラさんは、お姉さんのような優しい雰囲気の中に、少し意地悪そうな表情を浮かべていた。
「全然分からないですね。君はどう?」
「私なんかそれこそ分からないですよ」
ディオネは分からないって、今までライフアリー商会のことを勉強してきた僕ですら分からないんだ。
しばらく三人で何の話をしていたのか考えていると、僕たちのいる部屋の扉が開いた。
「やっぱりここか。盗み聞きの成果はあった?」
ビクター兄さんが、扉を開いて僕たちに声をかけてきた。
カーラさんはビクター兄さんに一言かけてそのまま立ち去る。
さっきまでのお姉さん感など微塵も感じない見事な秘書ぶりだった。
ビクター兄さんは、いつもと様子の違う雰囲気が漂っていて、とてもじゃないけど軽口を言えそうにもない僕は首を横に振る。
「そっか。じゃあ、ここでいいからファビオ。話をしよう」
そう言って椅子に座るビクター兄さんの目は、以前のタングリング家との話し合いで見せた目のように冷たかった。
僕、ビクター兄さんを怒らせるようなことをしただろうか?
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