第2話


 教授室から出て、学園を後にした僕はもらった書類を読んだ。

 エリザベスの物壊しは、講義室の扉を蹴り破ったことと机と椅子二組の破壊だけで済んだらしい。

 昔なら机と椅子も壊していただろうから大きな成長で感慨深い。

 午後の日差しも傾き掛けて窓から暖かい光が入る頃、帰る間際にちょうど、顔を合わせた事務の女性に一言二言ほど愚痴られたが、目的地の商会へ向かった。

 僕って案外忙しいのかもしれない。


 ちなみにだけど、商会の本部は学園からそう遠くはない。

 学園の出資についても商会が関わっているようで歩いて三十分程度ばかりで着くぐらい。

 今日の言い訳というか、報告はちゃんとしないといけない。ライアンさんのお願いでもあるし。

 必殺技【私は知らない】が発動したことも含めて、僕のせいではないことを特に強く報告するのだ。


 考え事をしていれば三十分などすぐで、前の方では馬車や人が大きな鉄門を出たり入ったりと騒がしくしている。

 鉄門の横には一回り二回りほど小さい門もあるが、鉄門に比べて出入りの頻度はすごく少ない。

 目的地の本部に到着したようだ。


 僕は鉄門の方ではなく、小さな門の方へ向かい警備員さんに挨拶しながら門をくぐる。

 こっちの方が本部に近いし、鉄門だったら色々と構ってくる人も多いからあまり通りたくない。


 くぐればこの国の、議事堂よりも大きな商会本部が右側に聳え立っている。

 左側には大きな屋根が着いた屋敷、というか教練所みたいな簡素な作りの仮設住宅が並んでいる。

 あと正面の奥の方に平屋建ての小さい邸宅が敷地を囲む高い外壁よりも低い柵に囲われている。

 

 目的地は右側にある四階建ての商会本部だ。左側には兄さんが代表の商会があり、奥の小さな建物が僕の実家である。

 すべてを囲む外壁の広さは、とんでもないものだった。

 何でか、とか言い出すとキリがないので割愛するがまあ大きいし広い。


 今日は実家に行くことはない。というか行かない。

 学園から帰っているであろうエリー姉さんとかち合うことになるからだ。怒っている時は大変なのだ。

 

 小さな門からすぐの本部は、四階建てにしては見上げるぐらいに高く、隣にある時計塔もその本部より高い。

 真っ白な外壁にはちょうど、夕日が当たり建物全体がオレンジ色に染まって輝いて見える。

 ひいおじいさんの代からある建物なのにヒビの一つもないのはすごいことだと思う。

 

 本部に行く途中には、馬車や最近王国で出回り始めた魔導車が並んでいる。

 国一番なのだから商談相手も権力者とか他の商会主が多い。

 

 中に入れば、窓口が何カ所もあってせわしなく職員が来客に対応していた。

 変に声をかけるのも仕事の邪魔になるだろう。そもそも僕のことなど気にかけてくれる人もいないだろうし。

 段数が多い階段を使って目的地の三階まで上っていけば途中で知った顔の人が上の階から下りてきた。


「ファビオ坊ちゃん。お帰りなさいませ。今日はどういった要件です?」

「お久しぶりです。兄さんに用があって今は時間空いてますか」


 商会の窓口取締役の人だ。商会の中では結構偉い人でもある。

 勉強とか色々と教えてくれたいい人だけど、いかんせん名前が覚えられない。働く人が多いのだ。やむを得まい。


「ビクターさんなら、今日の仕事は終わったみたいですよ。さっき帰り支度してましたから」

「そうなんですか。」


 だったら、少し急いで上らなければ。

 ビクター兄さんをここで捕まえないと実家に行かないといけない。


「じゃあ、急ぎます! ありがとうございます」


 お気を付けて。と、階段を上がっていく僕に下から声をかけてくれた。

 優しい彼と少し喋りたかったが、そんなことをしていては目的を果たせない。



 


 三階まで階段を上りきる頃には、僕の息は上がって胸が苦しい。それに汗も滲んで少し気持ち悪い。

 この階にあまり人がいなかったことは良かった。

 商会の会議室など色々ある階だから、失礼がないように。とビクター兄さんに注意されていたから。

 少し息を整えてから、ビクター兄さんの執務室に向かう。

 

 「やぁ、ファビオ。昔はよく階段で遊んでいたよねぇ?」


 不意に聞き慣れた声がした。

 執務室は右の方だったから、その方に向かったけれど反対側からだ。

 振り返るまでもなく、僕が探していた人。ビクター兄さんだ。


 連勤していたのだろうか、僕と同じ金髪を背中まで長く伸ばして括っている。少しタレた赤い目の周りには薄くクマができていた。

 今日は、眼鏡を掛けていないことを見れば、本当に帰る間際だった。


「兄さん。こんにちは。いきなりなんだけど、ちょっと時間もらっていいですか?」


「えぇ、今から? 本当?」


 お願いしますよ。と応じれば、兄さんは嫌そうな顔をする。

 それでも踵を返して、短めで頼むよ。ホントに。と僕と一緒に執務室まで歩いてくれる。

 個性の塊である兄と姉の中で、一番優しいのがビクター兄さんなのだ。

 本当に、ビクター兄さんが次期商会長で良かった。



 


 執務室に着けば、奥にある執務用の椅子ではなく応対用の椅子に腰掛けるビクター兄さん。僕はそれにならって向かいの椅子に座る。

 

「で、話って?」


 少し間をとって、僕に話すよう促してくる。既に片付いていた執務室。前に来たときはもっと煩雑に書類があったが、勤務中だったからか散らかっていると思っていたがそうでもないらしい。

 兄さんも早く帰りたいのだろうがそうはいかない。

 学園で起こったことを兄さんに説明すれば、途中で口を挟むことはなかったけど、徐々に険しくなる顔を見れば、説明する僕も一抹の不安を感じる。


「で、これがエリー姉さんが壊した物の請求書です」


 うんうん。と頷いて、兄さんに預かっていた封筒を渡せば、中の書類を見て天を仰いだ。


「どうしてこう、何というか。家の名前で請求されてんじゃん。エリーの仕業だな。もう」


 分かる。よく分かるよ。僕も朝思ったもん。

 天を仰いでから項垂れるビクター兄さん。


「えっと、七日後だっけ。タングリングさんと話し合うの? 私が?」

「そうです。タングリング家の方も確認はライアンさんがしていますので」


 そうかぁ。嫌だなぁ。と呟く声がむなしく執務室に響く。

 僕も同じ立場だったらそう思う。ご愁傷さまです。


「兄さんは七日後は問題ないです?」

「大丈夫なんだよなぁ。……そうだ! ファビオも同席してね」

「えっ。僕は部外者だと思うんですけど」


 じゃあ。エリーか。と口にする兄さんだが、まさか。


「僕じゃなかったらエリー姉さんに頼むんですか?」

「普通に考えたら、当事者を交えて話すのが良いよね?」


 そうきたか。ビクター兄さんは、エリー姉さんの事を僕によりも知っている。

 もし、エリー姉さんが話し合いに参加することになったら、多分というか絶対に暴力事件になる。

 そんな簡単なこと兄さんが言ってくるのは、単純に嫌なんだ。

 

「僕は当事者じゃないから。それでも大丈夫なんじゃない?」

「あまいなぁ。エリーがファビオに任せたんだよ? なら君も当事者になったんだよ」


 かわいそうに。とニヤニヤしだしたビクター兄さん。

 そんな超理論で、僕も巻き込まれるのか。おのれ魔獣め。いつか僕の手で討伐してやる!


「まぁ、聞いた話じゃよく分からないこともあるし、タングリングの後継が言う話の真偽もこれから確かめないとね」

「それ、僕がやるんですか?」

「君には学業があるでしょ? それくらいは私がするからいいよ」


 よかった。また厄介事が来たかと思った。

 本当にビクター兄さんは、そういう所自分でやってくれるの最高だよね。

 エリー姉さんはビクター兄さんを見習うべきだ。本当にマジで。


「そうそう、ファビオは今友達いるの? もう、学園にはなれたでしょ?」

「何言ってるんですか。そんなのいないですよ」


 本当に何言ってるんだか。まともだとは微塵も、思っていなかったけど。

 ビクター兄さんは全く、少しも人の繊細な所が分かっていないのだ。悲しくなってくるよ。我が兄ながら。

 ここだけは、ビクター兄さんに大差で勝っていると思うよ。それ以外は負けるけど。


「アレックス兄さんとも少し話したんだけどね。いつも一人で帰っているから心配になってさ」

「大きなお世話ですよ。ビクター兄さん。まだ、半年しか通ってないんですから当たり前です」


 当たり前じゃないよなぁ。と頭を掻かれるが、友達なんて僕に出来た例がない。

 いっつもエリー姉さんに引っ張り回されてのだからなおさらだ。

 それにだ、友達が必要になる事など僕の人生にはなかった。

 だから、これからも必要ないのだ。マジで!


「エリーからも聞いてたけど、相当だね」

「そもそも、エリー姉さんのせいです。色んな所に引っ張り回されて大変なんですから」

「よし分かった! この話は、また今度にしよう!」


 そう言って、椅子から立ち上がるビクター兄さんは、僕の肩を揉んでくる。

 ちょうど良いぐらいの指圧で、不本意だが気持ちがいい。

 少しの間揉まれながら話していれば時計塔から、十八時の鐘が外から聞こえた。


「あぁ、鐘が鳴ったかぁ。もう十八時か」


 十八時か。もう帰らないと、夜道は一人じゃ危ない。

 今からだったら、まだ夕日も落ちきっていないし。まだ帰れる。


「今日、泊まってくよね?」

「何言ってるんですか。帰りますよ。さすがに」


 エリー姉さんに鉢合わせるのはまずい。ただでさえ今日は機嫌が悪いのに、ビクター兄さんがいらない事を言ってめちゃくちゃになる。


「大丈夫だって。エリーは帰ってこないよ。今日は」

「嘘だ! 前はエリー姉さん帰ってきたじゃん!」

「本当に大丈夫だって。今日は社交会らしいからさ。本当だって」


「それに、じき夜になるしさ。アレックス兄さんも帰ってきてるし、前みたいなことにはならないからさ」


 アレックス兄さんがいるなら大丈夫か。ビクター兄さんよりも数倍頼りになる兄さんなら、エリー姉さんのこともなんとかしてくれる。先にそのことを言ってくれれば良いのに。

 

 じゃあ今日ぐらいは泊まりますよ。と返す。久しぶりに会うアレックス兄さんと何を喋ろうかな。今日の話でも面白おかしく喋ろうか。エリー姉さんには、これくらいの嫌がらせもたいしたことないだろうし。


「じゃあ、決まりだね! 今日は楽しくなりそうだよ」


 肩から手を離すビクター兄さんは、そのまま執務室の扉を開けて僕と実家に行こうとする。

 僕は、椅子の横の机に置かれた請求書を持ってビクター兄さんに声を掛ける。


「忘れ物ですよ。しっかりしてくださいね」

「あぁ、忘れてた! 持ってるならさ払っといてよ。それ」


 ぶん殴るぞ、クソ兄貴。

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