第3話
春の朝、空はうっすらと霞んでいて、街全体がぼんやりと柔らかい輪郭を纏っていた。
並木通りの桜は満開を過ぎ、ゆっくりと散り始めた花びらが、歩道に淡い模様を描いている。
どこか遠くで小さな鳥の声が交差し、民家の屋根の上に残る朝露が、ゆるやかに陽に透けていた。
校門のそばでは、自転車を停める音や制服の布が擦れる気配が幾重にもに重なり合い、風見鶏高等学校の一日が、またゆっくりと始まろうとしていた。
今日も今日とて通学中、電車通学のリンを除いたアラタ、シュウゴ、イチロウ、マナミの四人が、校門までの道を歩いていた。
「そういえば、昨日クラスマッチ実行委員の集まりがあったんだけど、誰も使ってないはずの机の中にノートが入っててさ、持ってきたんだ」
イチロウが突如鞄からノートを取り出し、他の三人に見せる。
かなり使い込まれたノートだが、表紙には科目も名前も書かれていない。
「クラスマッチ委員会って旧校舎ですよね? あそこって今、授業や自習室としては使っていないから、ノートが置きっぱなしになること自体、ありえないと思うんですけど」
「だ・か・ら、みんなで中を見てみようぜ、って話だよ」
「お化けが書いたノートって可能性はないのかな?」
「シュウゴ、それはいくらなんでもあり得ないだろ」
「お化け……。森本さん、最近旧校舎に行きましたか?」
「どういう意味だよ。行ってねーよ」
むっとした顔のマナミが、アラタの肩をガシッと掴む。
震えて許しを請うアラタを見て、苦笑するシュウゴ。
いつもの彼らの通学風景が、そこにあった。
◇ ◇ ◇
放課後、すっかり暖かくなった教室は、窓を開けないと少し汗ばむほどだった。
よく晴れた空から陽の光が柔らかく差し込み、学校全体を優しく暖めている。
窓からは心地よい春風が吹き込み、教室にいる生徒たちをゆるやかに撫でていた。
「さて、放課後になったし、さっそくノートを見てみようぜ」
「ただの自習用ノートだったら、拍子抜けだな」
イチロウが鞄からノートを取り出して開く。
それは随分と使い込まれたノートで、表紙には科目名も名前も書かれていない。
中には、整った字でこう記されていた――『2021年4月27日 星屑の手紙』
五人は開かれたノートを囲むように覗き込み、その詩を黙って読んでいく。
『夜風の手紙に、星屑がひとひら 誰にも読まれぬ言葉を乗せて
屋上の静けさに、君の笑い声がひびく 遠い銀河も、少しだけ近くなる
校庭の隅に置かれたベンチ 夏の終わりに話した夢のかけら
流星みたいに消えても、残る灯りがある それはきっと、ふたりが過ごした時間
コンビニの光に揺れる蝉の声 帰り道、星座をつなげて
「この星が、きみに似てる」なんて 照れ隠しのことばも、夜空に溶けていく』
「ポ、ポエムだあああああ! しかも、結構本格的だぞ!」
「読んでるこっちが、ちょっとむず痒くなるレベルの詩だから……」
放課後の静まりかけた教室に、イチロウとシュウゴの騒ぎ声が響く。
「でも、アタシはロマンチックで良い詩だと思うな」
「それは否定しませんけど……。うーん……」
マナミは腕を組み、うんうんと頷いている。
アラタは何か考え込むような表情を浮かべていた。
「書いたのは、文芸部の誰かって感じかな」
「でも、わたし、文芸部の部誌を読んだことあるけど、こういう詩を書く人はいなかったと思うよ」
リンがノートに手を伸ばし、他のページもパラパラとめくっていくと、そこには同じような文体の、それぞれの季節を彩った詩が書かれていた。
いずれも、2021年頃に書かれた詩であると、記載された日付が証明している。
「なんか、悪いことしちまったな」
「そうだね……。元の場所に戻しておこっか」
ノートを一通り改めた後に、マナミとリンがノートをぱたと閉じてから言った。
使い込まれた表紙が、机の上ではらはらと上下している。
それを見ているアラタが真剣な表情をしているのに、イチロウが気づいた。
「アラタ、どうかしたのか?」
「いえ、何でもないですよ。……置き忘れた人が困っているかもしれませんね」
「そうだな。明日は委員会だから、その前にでもオレが戻しとくよ」
「じゃあ、今日は他にやることもないし帰るから」
「腹減ったなぁ。帰りにコンビニでも寄ろうぜ」
「森本さん、ごちそうさまです」
「いやおごんねえよ。寧ろ猫田がアタシにおごれ」
「はい……」
「冗談だよ!」
西日が斜めに差し込む廊下は、窓ガラスの向こうにオレンジ色の空を映していた。
教室を出た五人は、互いに言葉を交わすでもなく、ただ自然に肩を並べて歩き出す。
光に照らされた床の上、並ぶ足音が乾いたリズムを刻み、長く伸びた影がゆるやかに揺れる。
「(あのノートの表紙は新しく発売したばかりの2025年度版。留年していなければとっくに卒業しているはずの2021年の日付の詩が何故、書かれていたのでしょうか。まあ、僕が考えてもどうしようもないことですが)」
アラタはしばらく思案に暮れていたが、どうにも結論がつかなかったので、考えるのを止めた。
そして、少し前を歩く四人のところまで、小走りで駆け寄っていった。
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