第2話

4月の上旬も終わろうとしているある日。

並木通りの桜は、ほとんどの枝に薄桃色の花を咲かせていた。

アスファルトには、昨日の雨が残した水たまりがいくつか点在し、花びらが静かに浮かんでいる。

通り沿いのバス停には、朝日を浴びながらぼんやりとバスを待つ老婦人。

彼女のスカートの裾が、春の風にふわりと揺れた。

電線に止まった雀たちが、不規則にさえずり合い、背景には駅へ向かう人々の影が流れていく。

そんな朝の風景の中を、生徒たちは今日も歩いていた。


「そういえば、もうすぐ実力テストですね。勉強の方は大丈夫ですか?」


アラタが、一緒に歩いていたイチロウとマナミに問いかけた。


「アタシはそこそこ。教科書読み返して問題集を解くくらいかな」

「いや、全然やってねえ。まだなんとかなるだろ」

「あ、二人ともそうなんですか。僕はもうばっちりですよ」

「へぇ、お前、意外と勉強熱心なんだな」

「まあ、他にやることもありませんし」


舗装された道を歩く三人の間に、花びらが一枚、彼らの歩幅に合わせるように舞い降りた。

春の通学路は、まるで景色そのものがゆっくりと目を覚ましているかのようだった。


「そういえば、尾田巻はどうしたんだ?」


まだ若干冷え込む朝。白い息を吐きながら、マナミがシュウゴの姿がないことに気づき尋ねる。


「ああ、戦ってるよ」

「戦ってる!?」


予想もしなかったイチロウの返答に、マナミはびっくりした表情を見せる。

電線に止まっていた雀が、驚いたかのように何羽か飛び立っていった。


「シュウゴの奴、今日こそ勝てますかね?」

「いや、絶対無理だと思う。後で被害報告でも聞いてやるか」

「え? ゲームの話とかじゃなくて? 全然ついていけないんだけど。ちょっと寂しいぞ」

「森本さんが……寂しい? ははっ、ウケる」

「ウケる要素一つもねえけど!?」

「ちょ、痛い痛い痛い!」


イチロウの左肩が、マナミによってバシバシと叩かれる。


「でも、あの子可愛いんだよなぁ」

「まあ……ちょっと羨ましくはありますね」

「いや、だから何の話だって」

「あ、たぶん見ればわかりますよ」


アラタは後ろを振り向き、少し遠い場所を指差した。

そこには、何かから逃げるシュウゴの姿。そして、その後ろを追いかける他校の制服を着た女子が一人。

手には――理由は不明だが、バリカンが握られていた。


「か、刈らないで! 刈らないでほしいから!」

「あたしは、シュウ君のお父さんとお母さんから、二人のいない間の面倒を見るように頼まれてるんだ。ちゃんとご飯食べなきゃダメだぞ」

「わかった! わかったから! もう晩ごはん前にお菓子食べたりしないから! 夜更かしもしないから!」


呆然とその光景を見つめる三人。

口をぽかんと開けて見ているマナミとは対照的に、慣れた様子で見守るアラタとイチロウ。


「いや、助けてほしいから!」


そんな三人に気づいたのか、シュウゴの絶叫が周囲にこだました。


「――で、今日はなんで追いかけてるんですか?」


アラタが、バリカンを持った女子に問いかける。


「昨日、お菓子のせいであたしの作った晩ごはんを食べられなかったんだ。

 それに今朝、起こしに行ったのに普通に寝坊しやがった」

「聞けば聞くほど腹立ちますね。どこのラブコメですか」

「いや、そんないいもんじゃないから! 晩ごはんも、あのボリュームはどのみち無r……」

「うるさいぞ」

「ぎゃああああああ! 襟足だけは刈らないで!」


バリカンがけたたましい音を立て、シュウゴの襟足に迫る。


「そういえば、この二人ってどういう関係なんだ? 付き合ってるとか?」

「あふん。お耳がくすぐったい!」

「……ふん」

「ぐふっ!」


小声で二人の関係を尋ねたマナミだが、まともな返答が返ってこず、すかさずボディブローを叩き込む。

その場にうずくまるイチロウ。


「ああ、あの二人は幼馴染ですよ。家がお隣同士で、家族ぐるみの付き合いがあるって聞いてます」

「そうなんだ。教えてくれてありがとう」


崩れ落ちるイチロウの姿を見て、アラタが急いでマナミに補足説明をした。

その向こうでは、襟足をちょっぴり刈られたシュウゴがさめざめと泣いているのが見える。

幼馴染の彼女は満足したのか、意気揚々と引き上げていくようだった。


朝の通学路にそぐわない、にぎやかな光景。

風に舞う花びらが、彼らの日常にそっと春の余韻を添えていた。


◇     ◇     ◇


その日の放課後。授業を終えた彼らは、今日も変わらず窓際のいつもの席でたむろしていた。

いつもはアラタ、シュウゴ、イチロウの三人だったが、最近ではマナミとリンも時々加わるようになっていた。


「今日は朝から大変だったから……」

「幼馴染の女の子だっけ? 結構可愛かったじゃん」

「いや確かに顔はそうかもしれないけど、バリカンは勘弁してほしいから」

「自堕落な生活を送るからですよ、まったく」

「それに関しては、俺も返す言葉がないから……」


今日はイチロウとリンがクラスマッチ実行委員会に出席していたため、アラタ、シュウゴ、マナミの三人で彼らの帰りを待っているところだった。


「そういえば、近くのコンビニのくじ、もうすぐラストワン賞みたいですね。

 朝、パンを買いに行ったときに棚を見てきたら、そんな雰囲気でしたよ」

「今、何のグッズやってるんだっけ?」

「放送中の“御面ライダー”ですよ。子供向けとは思えないストーリーとデザインが人気なんだとか」

「へぇ〜」


外では、この時期にしては少し強めの冷たい風が吹いていたが、教室の中は穏やかな暖かさに包まれている。


「あ、アタシそれ欲しいやつあるからさ。帰り、ちょっと寄ってもいいかな?」

「いいですよ。もしかして結構好きだったりします?」

「あ、ああ。実は朝、たまたま観てからハマっちゃって。

 やっぱ、子供向けの番組にハマるのっておかしいかな?」

「別にそんなことはないと思うから」

「まあ、森本さんは他におかしいところはたくさんありますからね」

「どういう意味だよ」

「うわああああああ! 胸ぐらは掴まないでくださいいいいいい!」


窓の向こうでは、細くなった日差しが校庭のフェンスを金色に縁取っている。

机の上に広げられた、誰が持ってきたのかもわからない雑誌は誰にも読まれることなく、静かに春の光を受け止めていた。

アラタとシュウゴ、マナミは他愛もない言葉を交わしながら、放課後の時間がゆっくりと過ぎていくのを感じていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る