第7話:三河の安定と筋肉の浸透
徳川家康は、清洲城での評定を終え、慣れない東海道の道中を急いでいた。三河の岡崎城に戻る彼の胸には、義元公から託された三河統治の密命への高揚感と、同時に課せられた「筋肉教育」という、前代未聞の課題への複雑な感情が入り混じっていた。
(殿の仰せられた『筋肉こそが真の国力』……未だに理解できぬ。しかし、あの桶狭間での御武勇と、あの肉体を見せつけられては……)
家康の脳裏には、雨中の桶狭間で、火縄銃の弾を胸筋で弾き返した義元の異様な姿が焼き付いていた。それは、彼がこれまで学んできた武士の道とはあまりにもかけ離れた、「理不尽な強さ」の象徴だった。彼の「武士としての常識」が根底から揺さぶられる「違和感」が、未だに大きく膨らんでいた。
岡崎城に戻った家康は、まず家臣たちを集めた。酒井忠次、本多忠勝といった歴戦の猛者たちも、主君の顔に、清洲城からの帰還以来、どこか落ち着かない様子を見出していた。
「皆の者。清洲城での評定の儀、滞りなく相済み申した」
家康の声は、いつものように冷静だった。だが、その言葉に続き、家康が口にした内容は、家臣たちの顔から一瞬で血の気を引かせた。
「これより、三河では『特別な鍛錬』を全軍に課す。殿……いや、義元公直伝の鍛錬だ」
家康は、そう言い放つと、自ら庭に出て、義元に教えられた「地面に手をついて身を押し上げる鍛錬」を始めた。次に、「膝を曲げて腰を落とす鍛錬」を始めた。そのぎこちない動きに、家臣たちの間には困惑と、抑えきれないざわめきが広がった。
「殿……それは一体……?」
忠次が恐る恐る尋ねた。彼の顔には、「主君が一体何をされているのか」という強い戸惑いの感情が浮かんでいる。
「忠次! 愚問だ! これこそが、真の強さを得るための鍛錬であると、義元公は仰せられた! 肉体は決して裏切らぬ! そして、この『豆を煮詰めた栄養の汁』を、毎日欠かさず摂取せよ!」
家康は、興奮した面持ちで、持参してきた豆の汁の製法を家臣たちに説明し始めた。彼の額からは、鍛錬の汗なのか、困惑の汗なのか判然としない汗が流れ落ちていた。
最初は、家臣たちは「殿がおかしくなられたのか」と不審の目を向け、内心では反発していた。しかし、家康が連日連夜、自ら率先して鍛錬に励む姿は、彼らの「忠誠心」という価値観を揺さぶり始めた。そして、何より、義元公の「筋肉の奇跡」は、彼らの耳にも届いていたのだ。
「殿の仰せられる鍛錬……確かに、身体の奥から力が湧いてくるような……」
「まさか、あの今川義元公が本当に……?」
数週間が経つ頃には、家臣たちの体にも、少しずつ変化が現れ始めた。これまでになく体が軽くなり、持久力が向上しているのを「身体性」を伴って実感する。
彼らの心の中の「違和感」は、「驚き」へと「感情を分裂」させ、やがて「殿の言うことは、馬鹿げているようで、実は理にかなっているのかもしれない」という「新たな価値観」が芽生え始めた。
忠勝は、家康の鍛え上げられた背中を見て、「殿は、義元公のような高みに到達しようとしているのか……!」と、静かなる情熱が胸に膨らむのを感じていた。
家康は、疲労困憊の家臣たちを見回し、満足げに頷いた。
「見よ、皆の者! 筋肉は、日々に力を与える! この三河を、筋肉に満ちた最強の国とするのだ!」
家康の高らかな声が、夕焼けに染まる岡崎城に響き渡った。この日を境に、三河武士たちは、かつての「臆病者」という汚名を返上すべく、ひたすら筋肉を追求する道へと進んでいくことになる。
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