路上占い、あれこれ⑭【占い師は考える】

崔 梨遙(再)

1話完結:1600字

 42歳で臨死体験をする前と後では、僕の占いに対する考え方や姿勢などがコロッと変わりました。※ここで書きますのは、あくまで僕個人の場合のことで、他の占い師の皆様のことを否定するものではありません。



 42歳まで、僕は常に何かに対して怒っていました。人生が上手くいかなかったからです。正しい(と勝手に思う)ことが通らない。間違った生き方をしている奴が楽しそうに生きている。特にフリー(自営)になってから、何人かの人に裏切られてショックを受け、僕は憎い人、恨む人が増えていきました。そして、そんな世の中を憎み、恨んでいたのです。その怒りは世の中、ひいては天(神様か仏様か知りませんが)に向いていました。


 当時は、“天が『運命』の一言で人を弄ぶのであれば、人はそれに抗って当然”と思いながら占いをしていました。そして、抗う手段が占いだと思っていました。占いで人の人生に干渉して、天が人を弄ぶことに抗ってやる! そういう気持ちでした。


 勿論、気付いていました。幾ら当たっていても、干渉してはいけない時があることに。本人が自力で乗り越えるように設定されている苦難、試練、選択、これに干渉することは恐れ多いと。本人が自力で乗り越えなくてはいけないのに、助言をするんです。もしかしたら、それは余計なお世話かもしれません。助けていい時と助けてはいけない時がある。そんなことは知っていました。ですが、僕はお構いなしでした。バチが当たるなら堂々と受け止めてやる。天に罰せられるなら、その時に僕は“こんな世界にした言い訳を聞いてやる!”などと思っていたのです。


 僕は人に寄り添いたかった。僕自身、誰かに寄り添ってほしいのに誰も寄り添ってくれなかった苦しみや悲しみや孤独感を知っていたから。誰かに寄り添ってほしい時に誰かが寄り添ってくれた時の感激や感動を知っているから。


 だから、僕は人に寄り添える占い師をやっていたんです。


 路上は良かった。目の前に座る人は、大なり小なり“寄り添ってほしいと思っている人”だからです。



 ですが、42歳の時、僕は臨死体験をしました。(詳しくは『或る日、意識を失って』に書いています)



 それから、まず、“やっぱり人の人生に干渉することは恐れ多い”と、以前よりも強く思うようになりました。また、“恐れ多いことをしているのに、お金を貰うのはいかがなものか?”と思うようになったのです(あくまで僕自身の考え方です。他の占い師の皆様を否定する気はありません)。


 ちょうど府内ですが田舎に引っ越し、ミナミまで1時間以上かかるようになり、路上で占うことも難しくなりました。


 ですが、やはり人に寄り添いたい僕は、いきつけの喫茶店で喫茶店のお客様達を相手に無料で占いをしています(コーヒーをご馳走になったりはしますが)。知人からの占いの依頼も受けています(占いを依頼してくる知人は多いです。占い師の知人達も占っています。時々、占い師さん(四柱推命やタロットなどの)に易を教えたりしています。


 僕は人に寄り添うことはやめられないようです。


 これからも占いは続けるでしょう。例え、死後に天から罰せられるとしても。ただ、臨死体験の前後で考え方や姿勢が大きく変わったというだけのお話です。



 こんなことを書いている僕は、もしかすると偽善者かもしれませんが。



 繰り返しますが、他の占い師の皆様を否定しているわけではありません。十人十色、皆様、それぞれの考え方やスタイルでやっていらっしゃると思いますので。



 少し、お話したくなったんです。お読みいただき、ありがとうございました。



追記:僕は占い師さんに増えてほしいと思っています。人に寄り添う人が増えたらいいなぁ、と思うからです。特に易者!(易者は全滅するかもしれないくらい減っていますから)占い師は、人に寄り添える仕事です。







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