第23話 莉乃

 野中千穂が学校に来なくなり、クラスの空気は以前にも増して穏やかになった。

 僕と千栞の関係は、もはや誰もが知るものとなり、僕たちは何の気兼ねもなく、自然体で学校生活を送っていた。


 クラスメイトからの視線は、尊敬と羨望が混じったものへと変わっていた。


 そんな中、莉乃と佐々木の関係は、日に日に冷え切っていくのが見て取れた。佐々木は美しくなった千栞に執拗に声をかけ続けていたが、千栞はいつも僕との関係を理由にきっぱりと断っていた。


 佐々木のそんな行動は、莉乃の心を深く傷つけているようだった。そして、どうやら、彼らは別れてしまったようだった。


 ある日の放課後、僕は千栞と図書室で待ち合わせをしていた。

 少し早めに教室を出て廊下を歩いていると、曲がり角で不意に莉乃に呼び止められた。


「優斗くん、ちょっといいかな?」


 莉乃の声は、以前のような明るさとは違い、どこか切羽詰まっているように聞こえた。


「うん、どうした?」


 僕が立ち止まると、莉乃は僕の隣に並び、少し顔を伏せた。


「あのね……最近の優斗くんを見てると、なんだか、すごく遠い存在になっちゃったみたいで……」


 莉乃は、中学時代と同じ、あの優しい声で言った。しかし、僕の心はもう、その言葉に揺さぶられることはなかった。


「あの頃の優斗くんは、どこか自信がなくて、いつも一人でいることが多かったから、私、心配で、つい話しかけたりしてたんだけど……」


 莉乃は、僕の顔をじっと見つめた。

 その瞳は、何かを訴えかけるように潤んでいる。


「でも、今の優斗くんは、中学の時とはまるで別人みたいに変わったね。すごく自信があって、周りからも認められてて……。私、そんな優斗くんを見てたら、なんだか、また……」


 莉乃は、そこで言葉を詰まらせた。



 そして、意を決したように、僕の目を見つめ、はっきりと告げた。


「私、優斗くんのことが、好き」


 僕の心臓が、一瞬、大きく跳ねた。


 莉乃からの告白。


 中学時代、僕がどれだけこの言葉を夢見ていただろう。

 もし、あの卒業式の日に、莉乃が佐々木とキスしていなければ。もし、僕が失恋の痛みを経験していなければ。きっと、僕はその言葉を、迷うことなく受け入れていただろう。


 しかし、今の僕の心は、もう千栞への愛情で満たされていた。千栞は、僕が最も辛かった時に、僕を信じ、共に歩んでくれた。

 僕が自信をなくし、立ち止まりそうになった時、いつも隣で支えてくれたのは千栞だった。

 僕の人生に、新しい光を灯してくれたのは、千栞だ。


 莉乃の言葉は、僕の心を揺さぶることはなかった。


 僕は、まっすぐ莉乃の目を見つめ返した。



「莉乃、ありがとう」


 僕の声は、以前のような震えはなかった。毅然と、そして穏やかに。


「中学の時、俺は莉乃のことが好きだった。いつも明るくて、誰にでも優しくて、俺みたいな地味な奴にも話しかけてくれる莉乃は、俺にとって眩しい存在だった。でも、きっと今になって思うと、それは憧れだったんだ。それを恋心だと思い込んでたんだと思う。」


「でも、今、僕にはとても大切にしたいと思える好きな人がいる」


  僕が千栞の名前を口にすると、莉乃は小さく目を伏せ、そして、ゆっくりと顔を上げた。


「そっか……そうだよね」


 莉乃は涙を流しながら、でも、その声は、諦めと、どこか納得したような響きがあった。


「私、秋原くんの良さに気づくのが、ずいぶん遅かったみたいだね。中学の時、もっとちゃんと見ていればよかった」


 彼女の瞳は涙に濡れていて、その表情には、取り返しのつかないことをしたという後悔が深く刻まれていた。しかし、僕の努力と変化を認めようとする様子にも見えた。

 僕は、これ以上、莉乃を傷つけたくなかった。


「じゃあ」


 僕はそう言って、莉乃に背を向けた。




 僕の足は、迷うことなく、図書室へと向かう。

 そこには、僕を待っている千栞がいる。

 僕の、大切な恋人が。


 かつて莉乃へ抱いていた淡い恋心は、もう完全に昇華されていた。

 僕の心は、千栞への確かな愛情で満たされている。

 新しい僕の物語は、千栞と共に、これからも続いていく。

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