第13話 優斗の決意と千栞の家へ

 橘さんが学校を休み始めて五日が経った。


 僕の心は、焦燥と不安で押し潰されそうだった。

 メッセージを送っても、電話をかけても、一切の応答がない。

 莉乃の「橘さんと関わらない方がいい」という言葉が頭をよぎるけれど、そんな忠告を受け入れることなど、できるはずがなかった。


 僕が知っている橘さんは、真面目で、努力家で、そして何よりも、あの発表を一緒に成し遂げたかけがえのない「仲間」だ。

 そんな橘さんが、悪意ある噂のせいで苦しんでいるのに、僕が何もしないなんて、絶対に許せなかった。


 放課後、僕は図書室で、橘さんの中学時代の同級生の土屋つちや奈緒なおを探していた。

 中学時代に水泳部に所属していた土屋さんとは、何度か大会などで顔を合わせたことがあったのだ。彼女なら、橘さんの中学時代のことを少しは知っているかもしれないと思った。


 図書室の奥の席で、参考書を広げている土屋さんを見つけた。


「土屋さん、少し話があるんだけど」


 僕が声をかけると、土屋さんは顔を上げて、少し驚いたような表情を見せた。


「秋原くん? どうしたの?」

「橘さんのことなんだけど……」


 僕が橘さんの名前を出すと、奈緒の顔に心配の色が浮かんだ。


「橘さん、まだ学校来てないんだよね……心配してたんだ」

「うん。それで、連絡も取れないんだ。もしよかったら、橘さんの住所を教えてもらえないかな? 僕、会って話したいんだ」


 僕の言葉に、土屋さんは少し驚き、躊躇した様子を見せた。


「住所、ですか……でも、橘さん、今、誰とも会いたくないって言ってるみたいで……」


「分かってる。でも、このままじゃ、橘さんがもっと辛くなるだけだ。僕が、直接会って、話を聞きたいんだ」


 僕の必死な言葉に、土屋さんは僕の目を見つめてきた。


 僕の真剣な思いが伝わったのだろうか。土屋さんは、少し考えてから、小さく頷いた。


「……分かった。秋原くんがそこまで言うなら。でも、無理はさせないでね」


 そう言って、自分のスマホを取り出し、橘さんの住所をメッセージで送ってくれた。

 土屋さんにお礼を言い、僕はすぐに図書室を飛び出した。

 橘さんの家へ。メッセージで送られてきた住所を頼りに、僕は歩き始めた。

 初めて訪れる場所だ。住宅街の細い道を、スマホの地図アプリを見ながら進む。

 僕の心臓は、ドクドクと激しく脈打っていた。


 橘さんは、僕に会ってくれるだろうか。僕の言葉は、彼女に届くだろうか。不安は尽きないけれど、この足は止まらなかった。


 橘さんの苦しみを、少しでも和らげてあげたい。僕だけは、彼女の味方でいたい。その一心で、僕は橘さんの家へと急いだ。


 やがて、地図アプリが示す場所にたどり着いた。ごく普通の、二階建ての住宅だ。

 僕は、インターホンに手を伸ばし、深呼吸をした。


 緊張で、手のひらに汗が滲む。


 ――ピンポーン。


 インターホンを鳴らした。


 しかし、返事はない。


 もう一度、ピンポーン。

 やはり、何の反応もない。


 橘さんは、家にいないのだろうか。それとも、僕が来たことに気づいていて、会いたくないのだろうか。

 諦めきれず、僕はドアをノックしてみた。


「橘さん! 秋原です! 大丈夫ですか!?」


 何度かノックを繰り返す。


 その時、ドアの向こうから、ごく小さな物音が聞こえたような気がした。そして、ゆっくりと、ドアが少しだけ開いた。

 隙間から見えたのは、憔悴しきった橘さんの顔だった。目は赤く腫れ、髪は乱れ、制服のまま、まるで何日も眠っていないかのような顔色だった。


「……秋原、くん……?」


 橘さんの声は、か細く、今にも消え入りそうだった。

 その姿を見た瞬間、彼女の痛みが、自分のことのように鋭く胸に突き刺さった。

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