5話 顛末融合回・前

 マーリア・ディムメイカーは齢十八にして、思考の迷路に迷い混んでいた。


 たった一つ、このままじゃいけないと云うことだけは分かっている。



 美術館の仕事は、遣り甲斐もあって楽しい。

 三年が経ち、立場も変わったが、常に新しい刺激を得られている、と思っている。


 けど、結婚しないの?という雰囲気が両親から醸し出されているのに、気付かないふりをするのにそろそろ疲れてきたのも本音だ。


 結婚を考えると、どうしてもアイテール君を思い出して遣る瀬無くなる。


 子供の空事と言えばそうなんだろうけど。

 迎えに来るって言ってたけど。


 信じてるの?

 信じるの?


 迷いとも悩みとも知れない燻り。



 夢の中に不思議なものが現れた。


 いつか見た、ノートの半分くらいの大きさガラスの板。

 手に取ると、同じ様に光り始め、絵が写る。


 ヘロイネと書かれた女の子は、明らかに私だ。

 何故、ヘロイネなのかは分からないけれど、今の私とそっくり同じだと思う。


 金髪、蒼い瞳はアイテール君。

 私が知ってるより少し大人な感じで、左手の小指に指輪があるから、十六才以上なんだろう。

 アエTHエRと書かれた、不思議な文字列。


 茶髪、亜麻色の瞳のブルーナ君は私が会った時より大人っぽくて、やっぱり小指に指輪をしてる。

 Bルナってある。


 緑っぽい髪に琥珀色の瞳のフラウヴァ先生。

 私が知ってる先生は、もっと黒っぽい髪の色だった。

 Flアヴァってある。


 橙の髪に、石榴色の瞳のルウザ君。

 私が知ってるよりオレンジが強い髪色だけど、顔は同じ。

 ルガってある。


 金髪に、菫色の瞳のプルプゥラさん。

 これは、プルプゥラさんだ。

 プrプラってある。


 分からないのはセイレン様。

 学校で何回か見かけただけだけど、こんな赤い髪では無い。

 セイレン様の瞳の色は覚えてないけど、この絵では長い前髪から青緑の瞳が覗いている。


 ……私って、髪と瞳の色でしか人を覚えてないのか?と思ったけど、よくよく考えると彼らに関しては如実だ。

 第一印象が先ず髪と瞳の色なのだから。


 ラトレースや、ラクワトロさんやラシンコさんにラセスさんは…皆一律に茶色の髪に茶色の瞳だけど、顔立ちの印象の方が強い。


 盤面に触れ違う絵を見ると、海の絵とか、ラトレースや、ラクワトロさんの食堂、ラシンコさんの所で建てた建物とか、今となっては懐かしさを覚えるものが出てきた。


 首飾りと髪飾りと腕輪もあった。

 石の色が私の貰ったものと違うけど、意匠は同じものだ。

 ……この指輪だけは知らない。


 ここまで来て、はたと思う。


 やはりこれは、私の見ている夢なのだろう、と。

 私の思い出としか言いようのない、他の人が知りようもない筈の絵の数々。

 セイレン様だけは不思議だけど……あれ?そういえばニリィガさんがいない。


 喋ったこともないセイレン様が居て、それなりに仲良くなったニリィガさんがいない事に合点のいかない。


 これは一体なんだ?


 不気味さを感じなから、盤面に触れ続けていたら、真っ暗になって消えた。



 目が覚めれば、当然あの板は無い。

 あれが一体何なのかはさっぱり分からないけれど、ああ、終わったんだと思った。


 だから、新たな一歩を進もうと思った。



 今日は美術館はお休みだったけど、ラセスさんに仕事を辞める事を相談をした。

 ラセスさんは美術館を辞めてから、お家でゆっくりされている。


 結婚ですか、と訊かれたので、心機一転したいんです、と答えた。


 暫くの間、ラセスさんが代わってくれるということで話がついて、明日から二週間で引き継ぎをすることに決まった。

「急で申し訳ありません」

「思い立ったが吉日とも言いますよ」

 と、有難い言葉を掛けて貰った。



 二週間は瞬く間に過ぎた。


 最後の日に、職員みんなが送別会を開いてくれた。

 と、言っても職員室で、葡萄酒と、ちょっとした食事を持ち寄ったものだ。

 私の都合だけで辞めるのに、良い人たちに恵まれたと思った。


 送別会にはニリィガさんも参加していた。

「辞められるんですね」

「はい、心機一転しようと思いまして」

「結婚するじゃないんですか?」

「違いますよ」

 ニリィガさんが困惑しているこが分かる。

 私は自分で出来る限りの笑顔を作って見せて、ニリィガさんから離れた。


 散会して美術館を出ると、ニリィガさんが待っていた。

「これを受け取って下さい」

 と、しらゆきひめの絵を渡された。

 ニリィガさんと出逢った時の絵。


「そんな、受け取れません」

 と言うと。

「お願いします。それ以上は望みませんから」

 真っ直ぐな藍緑色の瞳で見詰められる。


 あの板に居なかったニリィガさん。

 ……前髪から覗く藍緑色の瞳。


「それだけで、本当にいいんですか?」


 どんな言葉が正解か分からないけれど、ニリィガさんと縁を切ってはいけないような気がした。


 ニリィガさんは、ただ真っ直ぐ私を見詰め、そのままの面持ちで言葉を紡いだ。

「貴女を、描かせてください」

 ときっぱりした声がした。


 出逢ったときは、途切れ途切れにしか届かなかったニリィガさんの言葉は、滑らかになっていた。

 それが、二人の間を親密にしている気持ちになる。

 ニリィガさんの視線は、仕事中の素描の時より熱が隠っいて、私の目に集中している。


 答えを紡ぐ替わりに、ニリィガさんに近付く。

 思いの外高いところにあるニリィガさんの顔を見るために、私は真下から見上げる。


 ニリィガさんの指が頬に触れ、それから時間を掛けて、頬が両掌で包まれる。

 ニリィガさんは大きな背を丸め、鼻が当たる程寄せると、これからもよろしくと言い体を離した。


「送ります。帰りましょう」

 と、ニリィガさんは私の指先を自分の指にかけ歩き始めた。


 僅かに触れた指先から熱を感じる。

 私は家に着くまでの間、何を話すこと無くその熱を楽しんでいた。


「じゃあ、明日からいい?」

 気が付けば、家の前まで来ていた。

「あ、何処に行けば?」

「そうか。明日の昼頃迎えに来ます」

「分かりました」


 ニリィガさんは繋いでいた指先を解くことなく口許に運び、私の爪へ口付けた。

「では、明日」

 そう言うと、踵を返し去って行く。


 指先の熱は痺れも伴い、やけに真っ直ぐで淀みのないニリィガさんの瞳を反芻すると、全身を駆け巡る。

 風邪のように火照った顔を見られないように部屋へと急いだ。



 次の日、ニリィガさんのお宅に招待されて驚いた。

 ラシンコさんのお手伝いをしたとき建てた家だった。

 そうか、このお家にニリィガさんは暮らしていたのか、と胸が熱くなった。


 ニリィガさんとの日々はとても優しい。


 何を強制されるわけではなく、ありのままに過ごす。

 好きなように食事を準備し、本を読み、裁縫をし、時に居眠りをする。

 駄目とも良いとも言われず、ニリィガさんは思いのまま筆を執る。


 そんなぬるま湯に浸るような日々が一年程続いたある朝、眠るニリィガさんの斑の黒髪の中に、金の房を見付けた。


「ニリィガさんは、本当は金の髪なの?」

 私の声に、ニリィガさんはゆっくりと眼を開ける。


「ねぇ?」

 聞こえていないのかな?じっと私の顔を見てる。

「ねえっ!」

 少し大きな声を出す。

 けど、ニリィガさんは表情もなく私を見ているだけ。


 訊いてはいけないのだろうか?


 言葉を吐こうとする唇を唇で塞がれる。

 それだけで、私は翻弄されるのだけど。


 だけど。


 ニリィガさんの顔を離して話をしたいのだけど、それを許さない強さで押さえ込まれる。


 泣きそうに見えるニリィガさんが目に入る。


「……ご免なさい」

 私、なんで謝るんだろう。

 自分で口にしておいて、分からない。


 藍緑色の目が私を据える。


 怒っている?


 触れてはいけなかったのだろうか。

 触れてはいけなかったのだろう。


 体を重ねていても、私はまだニリィガさんの何も知らない。


 ふいに、諦めたように抱き締められる。

 

「ボクの方こそ…ごめん」

 震える声で、耳元でつぶやく。


 呆けた頭に違和感が走る。

 ボク?

 恐る恐る、ニリィガさんの顔を見る。


 汗で溶けた髪の染料から、金髪が覗く。


 ニリィガさんが、目から何かを外すと蒼い瞳が現れた。



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