4話 例・通常終幕回

 私は十六才になった。

 本当なら、アイテール君と結婚してた筈の年。


 初冠おとなのお祝いを両親とした。

 食卓には、いつもよりちょっとだけ豪華な夕飯と共に、葡萄酒と三人分のグラス。

 初めてのお酒は両親と、と云う意味もあって、ごく標準的な初冠おとなの食卓。


 不思議と二人ともアイテール君の事を訊いてこない。

 初めて葡萄酒を口にして、余り美味しくないと言ったら、父さんががっかりしてる。

 一緒に呑むのを楽しみにしてたのよ、と母さんが笑った。


 なんの飾りもない細い小さな金の指輪を貰って、左手の小指にするように言われた。

 初冠おとなの証よ、と父さんと母さんは自分の左手の小指を見せた。

 同じ指輪がされていた。


 その夜、自分の部屋に戻って初めての葡萄酒の僅かな酔いに揺られながら、左手に嵌めた指輪を眺めていた。

 これで大人?

 昨日まで子供だったのに、今日から大人ですよって何だろう。


 燻るモノの正体が攫めず、落ち着かない。

 きっと、“約束”を破られた事に苛立っているのだとは思う。

 “約束”の事を思うと、一層胸が苦しくなった。



 美術館のお仕事は楽しい。


 今日は明日からの展示物の入れ替え作業……と言っても実際は専門の人がいるので私は飽く迄も補助なのだけど。


 期間毎に次々に変わる展示物は、思い掛け無い世界を見せてくれて楽しい。

 絵も、彫像も。


「初冠の指輪のですね」

 プルプゥラさんが自分の指輪を見せながら、声を掛けて来た。


「懐かしいです。もう、十年ほど前になりますが。お酒の味はいかがでしたか?」

「余り美味しいとは思えませんでした」

「そうですか。まあ、たまには酔ってみるのも気持ちいいんですけどね」

「酔っ払いですか?」


 年に二、三回父さんが酔っ払っているのを見るが、いい感じには思えず眉を顰める。

 プルプゥラさんは、目を細めると、

「いい付き合いをしてれば、お酒は良い友になりますよ」


 いつか、一緒に呑みましょうねと言うと、自分達の作業に戻った。



「しらゆきひめ?」

 新しく掛けたばかりの水彩画。

 大きいものが多い中に、ノート位の小さな絵の前で足が止まった。


 王子様が棺の中の白雪姫を愛しそうに見詰めている。

 懐かしいなと微笑ましく眺めていた。


「…な、何か…お、おかしい…で、ですか?」

 背後から、たどたどしく尋ねられる。

 振り向くと、知らない人。

 斑な長い黒髪で、うつむいた顔を隠し、眼鏡もあって表情が分からない。


「いえ、そう言うわけではないのです。学校でお芝居をしたことがあったので懐かしいなと足を止めて見入っていました」

 と、一応微笑んで返した。


「…あ、あぁ…そ、そうでしたか。…へ、変な風に…た、訪ねて…ご、ご免なさい」

「……王子様が優しい目をしているなと。素敵だなって思いました」


「……お、オレが…か、描いたんです!」

 殆んどが前髪と眼鏡で見えない顔だけど、真っ赤になっているのが分かる。


「まあ、画家先生でしたのね。これは失礼致しました」

「…そ、そんな立派なものじゃ…な、無いです……や、やっと…か、描けて…や、やっと、…せ、先生にお許し頂いて、…い、一枚だけ混ぜてもらえたんです……」


 成程、この絵だけ雰囲気が違ったのはそう言うことかと納得した。


「…お、オレ、…ニリィガって言います…あ、あの…」

「マーリアです。宜しくお願いします」


 軽くお辞儀をして頭を上げると、それまで挙動不審なくらいおどおどしてうつ向いていたニリィガさんは、ようやっと顔を上げ前髪と眼鏡の隙間から、藍緑色の瞳を見せた。


「……マーリア………さん?」

「はい」

 以前お会いしているのだろうか?

 先程にもまして、挙動が不審になっている。


 …具合でもお悪いのかしら?

「大丈夫ですか?」

 様子を伺おうと近づこうと一歩踏み出した。


「宜しく……お願いします…」

 それまでの、落ち着かない様子とは一転して、意を決するように直立してそれだけを言うと、踵を返し去っていった。


「一目惚れ、って感じなんですかね?」

 ニリィガさんの行動に呆然としていたら、プルプゥラさんに見られていたようだ。


「?」

「何でもありません。マーリアさんの方は終わりましたか?」

「はい、後はもう一度確認して終わりです」

「じゃあ、わたしは事務室にいますから、宜しくお願いしますね」

「はい」

 プルプゥラさんは出没自在だと思った。


 展示物の確認をして、事務室に戻ると、プルプゥラさんは机に書類を広げて、うつらうつらしていた。

 明日からの展示が大変で、昨夜も遅くまでお仕事だったと聞いてはいたが、起こしていいものか考え倦ねていたら、ごん!と何かをぶつける凄い音がした。


「…ったぁ…」

「大丈夫ですか?」

 プルプゥラさんは真っ赤になった額を押さえながら、頭を項垂れて、肩を振るわせている。


「見られてしまいましたか…」

「見てしまいました」


 これは相当痛かったのだろうと、急いで給湯室に行き、手持ちのハンカチを水に濡らす。

 冷凍庫の中に氷の欠片があったので、それを手早く包み、プルプゥラさんに手渡した。

「取り敢えず、冷してください」


 うっすらと涙目になった顔を上げたプルプゥラさんは、ありがとうとハンカチを受け取り額に当てた。

「傷は無いようですよ。明日腫れるかも知れませんが。今日はもう、戻られた方がよろしいんじゃ無いですか?」

「君の方は終わりましたか?」

「はい、後は帰るだけです」

「では、帰りましょう。送りますよ」

「でも、額…」

「こんなのはいつもの事です。さ、帰りましょう!」

 と、言うと荷物と鍵を既に手にしている。

「そうですね。帰りましょう」

 と、私も荷物を持ちプルプゥラさんの後に続いた。


「と、言っても徒歩なんですけどね」

「大丈夫です。家まで十分もかかりませんから」


「遅くまで申し訳有りませんでした。その上こんな情けない姿までお見せして……て!マーリアさんっ!これ、マーリアさんのハンカチじゃ無いですか!」

「そうですよ。丁度良いタオルが給湯室に無かったので……お厭でしたか?」


 プルプゥラさんは口をぱくぱくさせて、慌てふためいている。

「?」

「本当に申し訳無い」

「いいんですよ。お昼間だと困りますが、もう帰って洗えばいいだけですから」

 と言って、プルプゥラさんの手から半ば強引にハンカチを奪い取る。

「あっ…」

「ありがとうございます。今日は用心して眠られて下さいね」

 それだけを言うと、何か言いたげなプルプゥラさんから逃げ出すように走り出した。


 言わせちゃいけない、何故だかそう思った。

 聞いちゃいけない、この流れは駄目なやつだ。

 後ろを振り向くことなく、家の中へ駆け込んだ。



 それから半年ほど経った。

 プルプゥラさんは結婚して、サバトの街に引っ越して行った。


「今までありがとう、楽しかったです。」

 と、菫色のハンカチを貰った。



 入れ替わりにラセスさんが赴任して館長になった。


 ニリィガさんは時々、監視員をしている私を素描しているようだ。

 態々時間を割いて貰うのは申し訳無いから、ということらしい。

 美術館で絵を描くことは良くあることだよ、傑作が描けたら先ずここで展示してもらうようにね、とラセィスさんからもお許しは得てる。


 ニィリガさんは、あまり大きい絵は得意じゃないようだけど良いのかな?とも思うけど、描けたらなんだから良いのかな?


 ニィリガさんのお伽噺を切り取った水彩画は、私を優しい気持ちにしてくれて、とても好きだったので、思うがままに描いて頂いていた。



 そうこうしていたら、いつの間にか十八才になっていた。


 ラセスさんが引退し、ニィリガさんは小さいけれど賞を取り、私は美術館の館長になった。


 穏やかで退屈な日々が続いて、けれどその一つ一つが少しずつ、私を大人にしていった気がする。



 これはこれで、悪くない。

 恋も、物語もなかったけど、静かな日々の中で、私はちゃんと生きている。

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