8話 結論

 真っ暗だ。

 なのに。

 不思議なくらい怖く無い。

 寧ろ、この世に産まれ出た時の方が怖かった。


 イったってやつか?

 や、分からん。

 それなりに経験はあるが、気持ちいいとかイったとか分からない。

 簡単に快感に陥るなんて絵空事だ、そう思っている。


 相手の行為やってることが目に入るとその滑稽さに頭がどんどん醒めていく。

 ただ。

 セイレンとの行為それはキス止まりだ。

 キスをするのは好きだ。

 相手を求め、相手に求められている感じがする。

 !酸欠か。


 そう結論付けたら、夏休みの朝のように爽やかに目が醒めた。


 上体を起こしベッドに座わり、傍にいたイーラにおはようと声を掛ける。

 わたしと目が合うなり、イーラは口に両手を宛て泣きそうに顔を歪め、部屋を飛び出していった。


 な、なんだ?

 行き成りの行動に面喰らう。

 廊下が騒がしくなったかと思うと

「ミリア!」

 とーちゃんが抱き付く。

 何か、最近目が覚める度に抱き付かれてないか?

 また、やらかしたのだろうか?


 はい?……十日間寝てただと?!

 道理で体が痛いのだな。

 ?

 左手が握られていることに気付く。

 セイレン……

 しっかりと左手を握ったセイレンがわたしを悪戯が見付かった子供のような顔で見てる。

「やっと気が付いた」


 セイレンはとーちゃんに引き摺られて仕事へ行った。

 十日間、開店休業状態で、たんまり色んな事が滞っているらしい。


 死んだ魚の様でしたよ、とはメイドさんズ。

 二人とも生ける屍状態だったらしい。

 セイレンに至っては毎夜ベッドの傍から離れなかったので、メイドさんズは寝ずの番に成らざるを得なかったとか。

 何なんだ、一体。


 そんなわけで、メイドさんズはわたしが赤ん坊の時のように寝ずの番があるシフトになったらしい、申し訳無い。

 にも拘らず、アルラとサーラはさっきからわたしの世話に余念がない。

 寝ずの番だったイーラはスキップしながら帰った。

 わたしが目覚めて最初に言葉を交わしたのが嬉しかったらしい。

 セイレンに勝ち誇った顔でほくそ笑んでいた。


 みんな、そんなにわたしの事、大好きだったっけか?

 目が覚めてからと云うもの、憑き物が落ちたようなさっぱりした感覚がある。


 ………若しやあの時、乳繰り合ってただけじゃないんだろうか?と、下世話な想像をする。

 処女喪失で世界が変わる?

 ないないない。

 そもそも、最後までした?

 や、いいんだけど。

 あの気を失った状態で?

 だとしたら、勿体ない事をした、ちがう。

 スゴいな、セイレン、これもちがう。

 うーん……


 てか、この世界の、貞操観念はどうなってんだっけ?と今更なことが気になり出した。

 や、確かにあたしに取っちゃ精神的に他人だけと、セイレンはわたしが妹じゃないのか?

 や、あたしからやったけどもお!


 はふ。

 何て一人で考えたって結論なんか出るわけ無いか。

 セイレンに聞けば一件落着ぢゃん。

 ん。

 聞かなきゃ、ダメじゃん……


 ……聞くの?

 どんな顔して!

 ぐるぐると思考の迷宮へと入り込んだ。

 よし、酒だ!

 シラフで聞けるか、こんなこと。

 わたしは酒屋へと出掛けることにした。


 勿論、一人で出してもらえる訳もなくアルラが車を出してくれる事になった。

 運転するんですね、流石です。

 これで重たい荷物も問題無いです!


 とはいえ、店内の八割が洋酒なんだよなー。

 コニャックやらブランデーやらウイスキーは呑める気がしないし。

 焼酎あるのに何で日本酒がないんだ!

 て、お米がないからです。

 はい。判ってます。

 ……おや?清酒発見!合成か?そうなんだな、だが構わん。

 これ、呷って勝負だ!て、そんな話だったっけ?



 夕食後、お風呂に入ったら酒瓶を抱えて子供部屋へ。

 ちっさめのグラスに少しだけ注いで舐める。

 や、呷るとかムリですから。

 判ってますから。

 この体の酒限界、知りませんから。

 なので、ちびちび舐めていたら、

「……ミリア……」

 と、呆れたようにセイレンの声がした。


 隣に座れと、ソファーを叩く。

 その後ろからとーちゃんも登場した。

 とーちゃんはそっちね、と一人がけ用のソファーを指差す。

 ミリアが冷たいと泣き真似をするとーちゃんを余所目に隣に座ったセイレンの肩に頭を預ける。


 とーちゃんが二人分のワインを準備しながら笑みが漏れる。

 あれ?ねえ?父様?セイレンとわたしは兄妹デスヨネ?と、率直に聞いてみる。


 違うよと、とーちゃん。


 へ?

「なんだ、セイレン。未だ話してなかったのかい?」


 へ?

「知ってるものと思ってました。父さんが話したのかと」


 へ?

 ……中々勿体振って聞きたいことを教えて貰えないのでグラスをちびちび舐め続けた。


「じゃあ兄相手にあんなことやったのか!」

「あんなことってなんだ!!」

 ぶっ!何云ってんだ!


 セイレンはしくじったとばかりにばつの悪い顔をして。

 とーちゃんは涙目でセイレンを睨み付けて。

 わたしはといえば、どこからどー突っ込んでいいかも分からず、唯々、呆気にとられていた。


 なんでも、セイレンとわたしに血縁はなく、とーちゃんとも他人らしい。

 なかなか複雑な業ですこと。


「……で」

 あ、とーちゃん諦めてない。

 わたしは寝ると部屋を出る。

「ミリア!」

 て、云われたけど、後は宜しく頼むわ、セイレン。



 ベッドでうつらうつらしていたら、窓からの月の光が影を差した。


 ………………


 怒ってらっしゃいますわね、セイレン様。

「怒ってはいない、疲れたけど」

 ベッドに腰掛けられたので上体を起こそうとする。

「そのままでいいよ」

 と、わたしの隣に横たわる。

「こっちがいい」

 寝転がって、視線を合わせる。


 とくんとくん。

 

「君は時折、高齢の御婦人のようだね」

 ぎよっとして、セイレンの瞳を見る。

 月明かりだけではセイレンが何を見ているか分からない。

「冗談だよ」

 くすっと笑うとわたしに口付ける。


「幸せにするよ」

 そう言いながらわたしの頭を撫でている。

 その手を両手で取りセイレンの指に口付ける。


「なぜ?一緒に幸せになりましょう」



 セイレンは少しだけ驚いた後、こぼれるような満面の笑顔を見せた。


「そうだな。一緒に幸せになろう」


 ええ。

 ええ、一緒に。


 笑いあって、

 髪にそっと指を滑らせて、

 額を重ねる。  

 見詰めあって、ゆっくりと唇を重ねた。


 深く、柔らかく、

 互いを確かめ合うような口付け。  

 舌先がそっと触れ合い、

 ためらいがちな吐息が混ざる。


 唇が離れ、セイレンの腕にそっと包まれる。

 戸惑いを湛えた視線は、それでもわたしだけに向けられていて。

 わたしを碧色の瞳の中に閉じ込める。


 行き場を探す手が震えながら、わたしの頬を撫でる。──拙い優しさが、愛おしさを煽る。

 


 セイレンの胸に頭を預けると、どくん、どくんと響く鼓動が、セイレンとわたしの境界を溶かす。 


 首筋に落ちる唇の動きが、くすぐったくて、でも安心する。


  ──うん、可愛いなあ。ほんとうに。


 ああ、この手も、視線も、唇も──


 全部、わたしだけに向けられている。


 それだけで、胸がいっぱいになる。



 わたしは、セイレンの頭を抱き締めて、その存在のすべてを愛しく想った。

 



 次の日の朝。


 

 起こしに来たサーラに見付かった。

 ええ、セイレンはまだ隣にいますとも。


 呆れ顔で部屋を出たサーラ……走ってないか?


 セイレンと顔を見合わせ溜め息をついた。


 とーちゃんにしこたま叱られた。

 けれど、ミリアもセイレンもずっとここに居るのか!と。


「これからもお世話に成ります」

 セイレンと声を合わせて答えた。



 正直、これで良かったのかな?と思わなくは無い。

 でも、ま、幸せだしいっか、とも思う。

 今、死んだら最高だろうなと思う。


 好かれているって、こんなにも幸せなんだな、て思った。


 好きな人がいて、甘えて甘えられて。

 そんな何でもない毎日が、あたしが欲して止まなかったものなんた、と痛感した。



 半年後、セイレンと婚姻届を提出しに来た役所で、偶然マーリア嬢達と待合室で居合わせた。

 彼女達も婚姻届の提出らしい。

 学生の頃から恋人で隣にいる男性と一緒になるとのことだ。


 わたしたちのことは微塵も記憶に無く、待合室で偶然居合わせた新婚さんと言うことで会話を楽しんだ。

 是非これからもお会いしませんか?と言われて

 どうするべきか?と思索していたら、

「お幸せに」

 と、セイレンに断ち切られた。

 そうだな。と思った。



 取り敢えず。

 当初の目標を全てクリアしたんじゃなかろうか?


 そこそこ美人て、スタイル維持して。

 大学は無かったけど、とーちゃんの仕事は楽しいし。

 何より幸せを感じている。

 五十年掛けて出来なかったことが二十年足らずで出来た。

 つくづく、あたしの五十年は何だったんだろう?と思う。

 でも。



 ま、いっか。






◼️跋文──エピローグ──


 佐東氏を看取ったのは医師と私の二人だった。

 臨終をご家族に伝えると、孫の世話で忙しくてすぐに行けない、と返された。


 緩やかな波紋が落ち着くように息を引き取った佐東氏の胸の辺りから柔らかな光が溢れ、セイレン様はその光を愛しそうに抱き締めて消えた。

 あの世界に魔法なんてなかったはずなのに。

 まるでお迎えに来た死神か天使のようだ。


 

 ねえ?

 貴女は彼方の方が幸せなのですか?

 そう思ったら涙が出た。


 せめてこの世界で私が泣いてあげようと思った。

 私だけは佐東氏の為に泣いてあげようと思った。


 

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