二章
2
カラオケの近く、月極駐車場まで徒歩で移動する。辺りに目を配ったが、これといって不審な影は見当たらなかった。
キーを取りだし、ロックを解除した。
奥から二番目、トヨタのカムリが反応した。ボディー側面には防弾プレートを仕込んで有り、エンジンはカスタム済み。タイヤとガラスももちろん防弾仕様だ。千葉のヤードで改造した特注品だった。
「車……?」
「借り物だよ。傷一つつけるとうん十万だ」
自分の年齢で車を持ってるとやたら疑われることが多いのでこう言い訳するようにしている。実際は、昔の仕事で金持ちを逃がした時の報酬で買ったものだ。
木原が助手席乗ったのを見届けてから中に乗り込んだ。エンジンをスタートさせる。心地よい振動と共にヘッドライトがつき、カムリが目を覚ました。
ホルダーに収まった未開封のエナジードリンクを開けて少し飲んだ。ダッシュボードからガムを取りだし二つ取りだす。エナドリが聞き始めるまでの眠気覚ましだ。一つ口に放り込み、隣の木原にもう一つを差し出す。
「……?」
「退屈だったら、これでも噛んでて」
彼女はおずおずとそれを受け取った。
ガムのケースをポケットにしまった。
携帯が小さく震える。先ほどメールを送った友人の一人、韓国系マフィアの構成員であるヨンスからだった。
夜の東京を牧野の操るカムリが進んでいく。
車はハングルの看板が多く掲げられる新大久保のエリアに入った。
「これからどうするんですか?」
木原がおもむろに言った。
「状況が少し厄介になった気がする。一旦情報収集のために知り合いの事務所に行く」
「知り合い……?」
「腐れ縁の友人だ。ヨンスって名前で韓国マフィアの人間だよ。そいつらの事務所をこの仕事でよく一時避難場所に使わせてもらってるんだ」
大通りから横に伸びる路地に入った。電光掲示板やネオンサインがぼんやりと、雨上がりの湿ったアスファルトを照らしている。
簡素な三階建ての建物の前に、ジャージ姿の若者が立っていた。
運転席から身を乗り出し、片手を上げる。
「よう、ミンジュ」
黒髪マッシュにジャージを纏った青年は軽く手を上げ、駐車場の方を指差した。入れ、というサインだ。
「韓国の人なんですよね。言葉って通じるんですか?」
「ミンジュはなんとなくしか分からないし、話せはしないな。ヨンスとか、他の何人かは話せる」
五つある半地下の駐車スペースには、白いトヨタのクラウンが一台止まっていただけだった。一番車を出しやすい位置に止めると、奥のエレベーターからヨンスが降りてきた。ストライプの入ったスーツを着こなした、スタイリッシュな出立ちだ。
「牧野。そいつが今回の客か? 今日はやけに急だったな」
端正な顔にのった口から流暢な日本語が流れてくる。
「あぁ、待ち合わせ場所で襲撃を喰らっちまって。情報収集のために少し避難したかったんだよ」
「ふうん、お前にしては詰めが甘かったじゃないか。まあいいか。ついてこい」
木原に車を降りるよう目配せし、自分も降りた。
「待て」
ヨンスが人差し指を上げた。
「お嬢さん、うちのボスは用心深いんだ。荷物検査だけさせてくれ」
「あ、分かりました」
木原は大人しく手提げ鞄をヨンスに渡した。
「おい、ハジン」
ハジンと呼ばれたセンター分けの男が金属探知機を木原に翳した。
「問題なし」
ハジンがヨンスに韓国語で報告する。ずっと彼らとつるんでいるとなんとなく言葉が分かってくる。
ヨンスに誘導され、ハジンと四人でエレベーターに乗った。旧式のエレベーターはゆっくりと上昇を始め、音を立てながらニ階へ彼らを運んだ。
部屋に入ると居間に通された。奥の和室では何人かのマフィア構成員が麻雀に励んでいた。
「ジユ、客にお茶を出せ」
「はい」
ショートカットの女性が答えた。ジユはここの事務所で唯一の女性だが、本国の執行機関に長らく在籍していたという経歴を持っており、戦闘員としても参謀としても重宝されている。
ふいにヨンスに呼ばれた。
「牧野、ボスが会いたがってる。客の相手はジユにやらせるから来てくれ」
「あぁ、分かった」
女性である木原が安心できるよう、世話役に女性のジユを当てる。ヨンスは本当に気の利く男だ。
エレベーターに再度乗り込み、今度は最上階の三階へ上がった。
※
「牧野」
部屋に入るなり、ここの事務所のトップであるドンスクの野太い声が聞こえた。髪を短く刈り上げた彫りの深い丸顔に、いかつい眉と髭がついている、アジアンマフィアの親分の権化のようなやつだ。
「いつも俺たちの仕事を手伝ってくれてるしよ、文句を言いたい分けじゃねぇんだが、今日はどうしてこんな急に来た?」
「ドンさん、すまない。待ち合わせ場所で早速襲撃を受けたんだ。情報が漏れてるか、もしくは思っているよりまずい状況かもしれない。情報収集のため少し場所を貸して欲しいんだ」
「そいつは災難だな、分かった。この階の会議室を一つ開けておくから、そこにいてくれ。こっちでも情報がなんかないか探ってみる」
「助かります」
「牧野、ここを出る時には一声かけてくれ。いつも通り仕事を頼みたい」
「了解」
ドンスクは、見た目こそ強面の兄貴だが、中身は面倒見の良い良心的な上司だ。ヨンス達も彼をよく慕っているし、外部の人間である自分も尊敬の眼差しを持っている。
ドンスク率いる韓国マフィアと逃がし屋である牧野の間には利害関係からなる協力体勢がある。牧野は緊急時等にセーフハウスとしてドンスクが持ついくつかのアジトを使わせてもらい、その代わりドンスクらは牧野に仕事帰りに麻薬や武器を運ぶ仕事を頼んでいる。ドンスク達は武闘派でそこそこの追っ手が事務所にきたとしてもある程度足止めできるし、無料で、牧野の防弾仕様でところどころに改造が施されたカムリで迅速にブツを運べることはドンスク達にとっても利益がある。
会議室に入った牧野はバッグからノートPCを取り出し、とあるチャットアプリを開いた。先ほど、駐車場で確認をしたとき、メールを送っていたもう一人の友人、沢渡から返信が来ていたのだ。沢渡は吉祥寺に事務所を置くプロのハッカー兼情報屋だった。彼はその技術の高さゆえ顧客が多く、割高で取引しているのだが、高校からの友人である牧野には、そのよしみで、暇があれば格安で仕事を引き受けてくれていた。
沢渡の返信には、情報が入り始めたからなるべく早く欲しいならチャットでリアルタイムで共有する、と書かれていた。
一声かけるとすぐに沢渡から大量のメッセージが送られてきた。一番上は依頼人の木原に関すること。事前に木原に送ってもらった書類をそのまま転送し、身元の調査を頼んでいた。次に最近起こっている裏社会の動きだ。ここでいう最近は数時間の間である。それだけ出来たての新鮮な情報を沢渡は入手できる。
先に裏のニュースに目を通した。主な動きは三件。一つ、町中にヤクザと思しきスーツの男達が繰り出し、“何者か”を探し回っている。すでに数件の揉め事が発生している。二つ、都内のカラオケで関東圏のアウトロー御用達のヒットマンが二人死亡しているのが発見された。仲間割れに見せかけてあるが、第三者の存在も否定できないと警察がコメントしている。三つ、東京で有数の暴力団である岸原会の組長の娘が突如失踪した。組長の岸原克雄はツテを総動員して探し回っている。
一つ目と三つ目が同じ案件であることは小学生でもわかる。そして、二つ目の件は間違いなく自分がしたことだ。指紋は確実に拭き取り、薬品を散布しているので自分の足はそう簡単につかない。ただ、今は警察に追われていることよりもよっぽど重要な心配事がある。もし、この三つが全て関連しているとしたら、木原は偽名でその正体は暴力団組長の娘であり、側から見れば自分はその暴力団組長の娘を誘拐しているアホ野郎ということになってしまう。
いや、考えすぎてはいけない。逆上した木原の彼氏が大金を叩いてヒットマンを雇った線も考えられなくはない。最近のヒットマンは多彩な連中が多く、拉致なども請け負うことがある。
沢渡も同じ思考をしているようで、牧野の身を案じるメッセージが送られた直後に、“考えすぎも良くない“と来ている。だからどうしろというのだ。
心なしか震えている手で木原の身辺調査の結果を開いた。牧野が木原に請求した書類には免許証のほか、電話番号や出身の学校、友人関係といった質問を設けていた。これは今のように問題があった際詳しく素性を調べるためでもあるが、「逃がし」が成功した際、本人の今までの経歴を沢渡と共に全て削除して、新しい戸籍を渡し、逃走後の生活を安定させるアフターサービスにも使っている。
ファイルに付け足されたコメントにはまだ途中経過だと書かれていた。中身に軽く目を通す。ご丁寧に結論も書かれていたが、ファイルを見れば言われなくても分かった。
とどのつまり、免許証、設けた各種質問に全て該当する、日本国籍の女性、木原瑠花は存在しない。
とにかく、木原は身分を偽っていた。
アウトローに身分を明かせば弱みを握られる。だから身分を偽って「逃がし」を頼むものは多い。ただ、普通は不自然な点が多く、詳しい技術を知らない牧野でも経験で見抜ける。今回は、沢渡に調査してもらうまで分からなかった。そこまで念入りに身分を隠すのはなぜか、ただ用心深いのか、それとも……。先ほどの嫌な想像がはっきりと輪郭を持ち始めた。
声にならない呻き声をあげる。目を閉じて眠りたかった。今更効いてきたエナドリがそれを邪魔した。
※
木原はコップを手に取り、一口お茶を飲んだ。目の前にはジユと呼ばれたマフィアの構成員がいる。端正な顔つきに、ショートカットのサラサラした髪が好印象を持たせる。なんでこんないい人そうなのに、裏社会の住人なんだろうか。
急にジユが話しかけてきた。
「ねぇ、あなたそんな普通そうな女の子なのに、どうしてこんなとこにいるわけ?」
流暢な日本語だった。それに、思っていることが一緒なことに驚いた。
「日本語、お上手ですね」
「まあね、喋れないとこの国じゃやってけないから。それでさ、もしよかったらさっきの質問、答えてくれる? 私気になるんだ」
「私……、彼氏がいたんですけど、なんか暴力団と関わりがあったみたいで、法を犯すような仕事をいくつか手伝わされたんです。それで、別れようとしたら暴力を振るわれて……」
「そっか、典型的なDV彼氏だね。それで、本当は?」
「ほ、本当……?」
「……、なんか本心じゃなさそうだなぁって。勘……っていうのかな……?」
「そっ、そうですか……?」
「いやいや! ごめん。私が悪い。昔から疑うことばっかしてきたからさ」
「疑うこと……?」
「あたしね、日本に来る前はソウルで麻薬取り締まってたの。執行機関、みたいな?」
「それって今所属している組織の敵じゃ……?」
「そー、そうなの。ここの組織の本国の連中を監視してたんだけど、それがバレちゃって、港のね、薄暗―い倉庫のコンクリに、一緒に監視してたバディと二人で転がされたの。もちろん縛られてね」
「へぇ……」
「何度も蹴り飛ばされて、銃突きつけられて思ったの。ここまでしてさ、国家に報いなくてもなって。なんのために公務員やってんだって話。組織なんか抜けちゃえばいいじゃんって。死んじゃったら元も子もないじゃない。そんで、あたしはその瞬間生き残ろうって思ってやったの。戦闘や銃の扱いは訓練受けてるからそこら辺のチンピラより格段強いし、何より執行機関内部の情報に精通してるからね。上手くやれば仲間にしてもらえると思ったの」
ジユは早口でまくし立てた。
「本当に上手くいったんですね」
「まぁねー。必死で叫んだよ。あたしを仲間にしてくれたら絶対いいことあるよって。そんでさ、床に転がされたバディの頭に弾丸プレゼントしなきゃいけなかったんだけど」
「えっ……」
ドアが開いて牧野が友人だといっていたヨンスという男が立っていた。
「ボスに話を通した。木原さん三階の会議室に移動してくれ。ジユはもう好きにしてていい」
「はーい。またね、木原ちゃん」
「あ、はいっ」
ヨンスに連れられ、エレベーターに乗った。ジユの「組織なんて抜けちゃえば……」というセリフがずっと頭を反芻していた。
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