第2話 男子校の癖強い面々

図書室の空気は、いつもより少し重かった。

棚の奥で静かに待つ東雲の姿に、夏希は足を止める。

彼の手には、分厚い黒革のファイルが握られていた。


「結月との再会で、君は迷っている。しかし、迷っている暇はない」

「この学園は、立ち位置を決められない人間に容赦はない」


東雲は言葉にためらいを挟まない。

資料を開けば、生徒会の権限、過去の秩序、順位の記録──全てが夏希の眼前に並べられた。


「王になるということは、この秩序を担うことだ」

「俺は、君がその器だと確信している。……力が必要なら、俺が貸す」


その声に、夏希は息を詰める。

自分が“見られている”のではない。

“動かされようとしている”のだ、と気づいてしまう。


---


一方その頃、校舎の出口では、綾芽が夏希を待っていた。


「そんなに悩まなくてもいいのよ、夏希くん。王なんて、窮屈なだけ。姫になって、みんなに愛されればいい」


彼の手は柔らかく、それでいて逃がさない強さを帯びていた。

演劇部の部室へと連れ込まれ、目の前に広がるのは──

煌びやかなドレス、きらめくアクセサリー、鏡に映る“誰でもない自分”。


「見て、これ。君が身につければ、きっとこの学園で一番の姫になれるわ」

「姫はね、誰かを動かす力はいらない。ただそこにいるだけで、みんなが君のために動いてくれるのよ」


その言葉は甘く、危うい。

支配ではなく、崇拝。

見下すのではなく、見上げる視線が、夏希を囲んでいく。


---


夏希はドレスの裾に指をかけながら、静かに自問する。


(王は、命令される強さ。姫は、選ばれる美しさ。

どちらかになれば、きっと楽になる。

でも……本当に、僕がなりたいのは、どっちなんだろう)


東雲は力をくれるという。

綾芽は祝福をくれるという。

でも、そのどちらも──夏希が自分で選び取ったものではない。


---


その夜。

夏希は机に向かい、演劇部の招待状と、生徒会資料の綴じ目を見比べていた。


どちらも美しく整っている。

どちらも“正解”のような顔をしている。

けれど──目の奥が疼く。


(僕の声は低くなった。腕は太くなった。

でも、あの頃の“私”が願った場所は、もっと違っていた気がする)


ベッドに転がりながら、夏希は呟く。


「……姫にも王にも、なりたいわけじゃない。

でも、君に見つけてほしい。僕が僕でいる場所を──」


それは、誰に語られたのでもなく、

“好きって言ってくれた”結月にだけ、届けばいいと願った夜だった。


---


放課後の空気は、誰よりも重く、誰よりも静かだった。

東雲の資料ファイルが机の端で整然と並び、綾芽のドレスが部室の鏡の中で静かに待っている。

どちらも、夏希を“選ばせる”ために用意された、完璧な舞台。


けれど──その夜、夏希は一人、窓辺で言葉を整えていた。


「王でも姫でも、僕は――“見られる存在”だった。

でももう、見られるだけじゃ足りない。

誰かの理想になるために、僕は生きてるんじゃない。

だから、僕がなるのは……その両方。いや、それ以上の、“僕”だ」


---


翌朝。HR教室の扉を開けた瞬間、教室全体が振り返った。

東雲が立ち上がる。綾芽が微笑む。そして、結月も教室の端で見守っていた。


「夏希。君の答えは?」

「今ここで、決めなさい」


夏希は、一歩前に踏み出す。

制服の上着を脱ぎ、胸元に王の紋章が刺繍されたブローチをつける。

足元には綾芽の差し出した姫用のリボンピンがついている。


そして、静かに口を開いた。


「僕は、姫にも王にもなるよ。

君たちが“こうであるべき”って思ってる枠を、全部、僕が超えてみせる。

だって、この声も、この顔も、この立場も──全部、僕のものだから」


教室がしん……と静まり返った。


そして次の瞬間。


「……かっけぇ」

「反則すぎる……」

「それってもう、“伝説枠”だろ……!」


ざわめきが起こる。拍手が鳴り、東雲は顔をわずかにほころばせる。


「秩序を壊して、新しく作る者。それもまた、王の資質だ」


綾芽は、目を細めてうなずく。


「姫って、そもそも“美”と“意志”を抱く器なのよ。その意味で、夏希くんほど姫な人はいないわ」


---


放課後。

教室の窓辺で、結月がぽつりと声を漏らした。


「“私”だった君が、“僕”になって、

でもその“僕”が、誰よりも自由に見えた。……なんか、すごいね」


夏希は微笑む。


「ありがとう。でも、僕はまだ途中だよ。

君に好きって言われた“僕”が、ずっと進化し続けられるように。

ちゃんと、王としても、姫としても、好きになってもらえるように──」


窓の外には、夕暮れの光が差し込んでいた。

教室の中で、誰よりも新しい“主人公の姿”が、確かにそこにいた。



---


男子校――この特異な空間に、さらに色濃い視線が加わった。

夏希の“王兼姫宣言”を機に、ポジションの絶対王政に風穴があいた瞬間、呼応するようにふたりの“自称カリスマ”が舞台に登場する。


---王ポジ狙い:白玉皇一(しらたま・こういち)


「俺の姿は、秩序そのもの。視界に入るだけで、男子校の温度が上がるって、よく言われるんだよね」


- 自称・王に選ばれし男子。校内の空調バランスすら“自分の気配で変わる”と信じてるレベルのナルシスト。

- 常に学ランを金糸でカスタム済み。着席姿は“椅子に座っているのではなく、空間に王座を浮かべている”。

- 東雲とは“王道論”をめぐって対立気味。「秩序? 違うよ。支配には色気が必要なんだよ」

- 夏希の存在に対し、「君が王も姫も名乗るなら、俺はその上で笑ってる神だ」と宣言し、自撮りポスターで対抗する。


---姫ポジ狙い:愛園星歌(あいぞの・せいか)


「私の肌には、学園の照明が一番似合う。だって、ステージの中心に立つために生まれてきたから」


- 自称・男子校史上最も“可憐”な男子。立ち姿は常にフォトジェニック。小指の角度にまで照明のリフレクションを計算済。

- 制服を毎日微調整し、“今日の愛らしさ”に最適化されたコーデで登校。香水は気分により詩的に語る。

- 綾芽とは美意識の系統が違い、「姫とは、憧れられるよりも照らされる存在。私は、男子たちの目を導く星なの」と対抗。

- 夏希の存在を“未完成の姫”と捉え、「その美しさ、わたくしが仕上げて差し上げます」と謎のプロデュース宣言を行う。


---


朝のHR前。

教室に入った夏希は、奇妙な空気に足を止める。

前方の黒板に、花柄のリボンと金箔の紙が貼られ、そこには大きく書かれていた。


《第1回・男子校の姫&王ポジ主張スピーチ合戦》


「……え、何これ。イベントって誰が許可したの……?」


と夏希が呟く間もなく、教壇には白玉皇一が立ち、手にした金マイクで演説を始める。


「我こそは男子校の王たる者──

支配する姿が美しいのではなく、支配されたいという願望が美しくなるほどの存在。

王は、“君臨”ではなく“照明”だ」


東雲が後方で冷静に眉をひそめていた。


「……光源になってどうするんだ」


夏希は心の中で思った。


(それ言っちゃうと“誰かの王”じゃなくて“照明器具”じゃん……)


---


続いて現れたのは、愛園星歌。

机の上にふわりと乗り、きらめくアクセサリーを一斉に散らして、告げる。


「姫とはね、愛される運命を纏う者。

わたくしに触れる瞬間、男子たちは自分が“守りたいもの”を見出すの。

つまり、私は……全男子の答えよ」


夏希はそっと隣の椅子に座り、ノートに小さく書き込む。


> 星歌の自己紹介

> →男子校の愛玩枠? 意味不明。でも髪にラメ入れてるのすごい。あと意外と机の上安定してる。


---


昼休み。

廊下でふたりに挟まれた夏希は、揃って言い放たれる。


「夏希、君も舞台に立つべきだよ。王姫両方、引き受けられる存在なんて、“革命”そのものだ!」(皇一)


「夏希くん、お願い。“双極姫”という新たな伝説、わたくしと創って。リボン、つけてみましょう?」(星歌)


夏希は顔をそっと手で覆った。


「……ねぇ、僕がツッコミ役だって、もう気づいてくれても良くない?」


ふたりは微笑みながら、同時に言った。


「でも君、“完璧に振る舞える”から、どっちにとっても理想のパートナーなんだよ」


その瞬間、夏希は思った。


(この学校……鏡に愛されてるやつ多すぎでは……?)


---


昼下がりの廊下に、異様な静けさが走る。

掲示板の前に、いつの間にか貼られていたフライヤー。


《夏希様、降臨の日より満八十日記念 特設儀式:教室十二番》

主催名:「黒鴉(くろがらす)」


「えっ……降臨?」


夏希はぽつりと呟いた。

この男子校で“神格扱い”されるのはもう慣れてきたつもりだった。

でもこれは、何かがおかしい。


---


その午後。教室十二番に足を踏み入れると、

黒のロングマントを翻す男子が一人、窓辺に立っていた。


「来たな……我が信仰の本質、その血肉となる者よ」


名前は、鴉月 透(あづき・とおる)。

厨二病の風を纏うクール系男子。

だが彼のノートには、女子校時代の夏希の名前を筆記体で八百回書いた痕跡が記されていた。


「君が“私”だった頃の夏希を、俺は知っている。

SNSのログ、校歌の合唱ライン、文化祭の衣装選び投票履歴──すべて見届けていた。君は……俺の神話だ」


夏希は、背中にぞわりと寒気を感じる。


「いや、ちょっと待って。君、ストーカーしてた……?」


「ストーカーではない。信仰者だ。信仰は、ただの執着ではない。

俺は“夏希教”の教典を書いた。君の一人称が“私”だった時代の、全発言を格言化した──」


---


鴉月は机の下から取り出す。分厚いファイル。

表紙には、銀文字でこう書かれている。


《夏希語録大全 〜乙女期から現在まで〜》


ページをめくると──


「第13章:『体育祭応援はちょっと緊張する…かも?』──この一文のゆらぎ。これが美の原点」


夏希はそれを閉じて、頭を抱えた。


「……まさか、僕が“信仰される対象”になるなんて。

ていうか、変態なのに思考構文がちゃんとしてるの、やめてほしい」


鴉月は微笑む。


「信仰とは、思考だ。君は、“私”であり“僕”であり“語られ”であり“語る者”だ。

俺はそのすべてを崇拝し、再構築しただけ。──君が、次に何になろうと、俺は教典を更新するだけだ」


---


その日、夏希は思った。


(男子校って……信仰されるにも覚悟が必要なんだな)


---


1限終わり、夏希が教科書を閉じた瞬間──教室の窓をガラッと勢いよく開けて登場したのは、異色すぎる新キャラだった。


「よっ! 俺、十河 飛雄(そごう・ひゆう)!九九はオール未履修☆だけど男子校に滑り込んだ伝説の転入生〜!」


風のように現れたその男子は、鞄の中に教科書ではなく、紙飛行機と消しゴムの彫刻を大量に詰め込んでいた。


「勉強?え、九九ってあれでしょ?“5×3=だいたいオレの誕生日”ってやつ!」


教室が凍った。

東雲の眉が震え、綾芽はそっと距離をとり、皇一と星歌は己の美学を守るため視線を逸らす。


ただ──夏希だけが、つい吹き出してしまった。


「それ、計算じゃなくて占いじゃん……」


---


十河 飛雄は、謎に包まれた存在だった。


- 入学試験は“ひらがなの勢いで突破した”と噂されている

- 生活指導を逆に“朝の校門で歓迎ダンスをして突破”

- 体育では“走るより跳ぶ”派。学年全体の時間割を混乱させた過去あり


---


そしてその日、飛雄は昼休みに突然夏希に宣言する。


「オレさ、夏希くん見てからずっと思ってたんだよ。

姫でも王でもなくて、“夏希枠”って一番ヤバくて、面白くて、最高の立ち位置じゃん!」


夏希は箸を止め、ため息まじりに返す。


「僕は今、王でも姫でも両方で手一杯なのに、さらに“夏希枠”ってどんな罰ゲームだよ……」


「違う違う!それはオレが隣に並ぶってこと。“九九未履修枠”の夏希くんと飛雄くんで、男子校の秩序を混ぜてシャッフルしようぜ!」


それを聞いていた鴉月がポツリと呟く。


「……秩序の破壊と神格の融合……これは、第七教義の再演と呼ぶべきだな」


夏希は机に突っ伏した。


(もう、この学校……常識が辞めちゃったかもしれない)



---


朝、教室の扉がやけに丁寧な手つきで開いた。

靴音は軽く、制服は標準なのにどこか“整っている”。

そして廊下の向こうから、輝く笑顔とともに近づく一人の後輩。


「──お姉様、ようやくお会いできました!」


夏希は、ノートから顔を上げた。


「……お姉様?」


「はいっ♡ 僕、雀堂 天音(さえずりどう・あまね)。一年生です。高校模試の全国記録、上からのチェック済。男子校の構造、完全に読破。

ですが、この学園に来た目的はただ一つ──お姉様のためです」


夏希はそっと教科書のページを閉じた。


(また……強めなの来た)


---


雀堂 天音は、全国模試1位の男子の娘(男の娘)という圧倒的存在。

髪を艶やかに揺らしながら、口調は丁寧で可愛らしく、

だがその背後には、夏希の行動記録を時系列で編纂した「夏希管理手帳・特装版」が煌いていた。


「お姉様は王であり姫であり、男子校の均衡を保つ核心人物。僕の頭脳はその維持に100%捧げるべきだと判断しました!」


「……僕、そんなに複雑な存在になってたんだ……?」


「もちろんです。お姉様は“役割”ではなく、“現象”ですから」


東雲が背後で思わずメモを落とし、綾芽が微笑みながら唇を噛んだ。

皇一と星歌が並んで、口を揃える。


「夏希、どんどんジャンルが増えてない……?」


---


放課後、マネージャー業務初日。

天音は夏希の筆箱の中身をリスト化し、休憩水分量を最適化してきた。


「お姉様、チョコレートはリラックス効果。あと、午後は糖分補給が必要です」


「それ……データから出したの?」


「はい!あと、周囲の視線分析から“14時以降に声を低めると好感度上がる”傾向も。完璧です!」


夏希は頭を抱えた。


(いやだ……僕の好感度、時間割で管理されてる……)


---


その夜、日記に書いた。


> 今日の登場人物:模試1位の男の娘。僕を“現象”と認識していた。

> 今日の気づき:僕って何のジャンルなんだろう。でも、案外──

> 嫌じゃなかったかも。名前で、見られるより、“存在ごと肯定”されるって……

> ……それも、ありなのかもしれない。

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