第7話

 めいの目は、白目が黄色く変化しており、およそ人間のものではなくなっていた。


「駿さん、あなたはどうですか? 私を愛してくれますよね」


 なにやら良くないことになっていそうなめいにどう答えたものか困惑し、思わずゆいかを見ると、彼女は驚いていた。


「すごいね、なんで耐性があるの?」


「耐性って……、なんの?」


「あー、分かってない感じ? なら丁度いいや、めいちゃんを元に戻すのに協力してくれる?」


 ゆいかがめいを見る。


「拒絶されて大人しく逃げ帰ってくれたらよかったんだけど……」


 彼女の視線の先、めいは駿とゆいかをこれでもかと睨んでいた。気に食わない、というのが顔に出ている。


 しかし、次の瞬間に可愛らしい笑顔になった。


「ゆいかお姉ちゃん、私を愛して」


「いやだね」


 即座に否定するゆいか。めいの笑顔は瞬時になくなり、怒りに染まった。


「お前達、なんなんだ」


 めいの声だが、口調がまるで違う。


「なんなんだ、とは失敬だねー。そういうのどうでもいいから、さっさとめいちゃんに身体を返してくれない?」


「返すも何もこの子供が望んだことだ。お前らが出て行け」


「いやだね」


「……お兄ちゃん、お姉ちゃん。この二人を外に連れ出して」


 急に変わったあどけなさを感じる口調で言った命令に、今まで大人しかった恭二と美玖が無言で従う。


 しかし、その目に生気はない。幽霊のようにゆらゆらと駿と美玖がゆいかの元までやって来る。


「駿くん、なんとか二人を抑えられる?」


「無茶言うね、ゆいかさん」


 あと数年もすれば大人になる高校生が二人。しかも、二人とも運動部で体力はある。おかしな状況とはいえ、抑えるのは至難の業と言える。


「大丈夫、私も手伝うから。こう見えても力持ちなんだよね、私」


 そう言うや否や彼女は駿から手を離し、向かってくる恭二と美玖の腕をそれぞれ掴んだ。


 二人は掴まれていない手でゆいかを捉えようとするが、ゆいかの方が早かった。掴んだ腕を大きく振り回し、二人を重ねて床に落としたのだ。


 器用にもパーテーションや天井、めいには一切当たっていない。もはや曲芸ともいえる力業に感嘆の声が漏れる。


「……すごい」


「感想はいいから、この二人を上から抑えといて」


 暴れる恭二と美玖を片手一本で抑えている彼女に驚きつつ、二人の上に体重を掛けて乗っかる。これ位のことをしないと、駿には抑えられない。


「さて、と」


 手をパンパンと叩き、椅子の方向を見るゆいか。駿にはなにも見えない、と思ったが、なぜかうっすらとだけめいが見えた。


 なぜ見えるようになったか分からなかったが、めいが怒っているのが分かった。


「お前がなにをしたところでこの女の身体は俺のものだ。誰にも渡さないぞ」


 窓越しで声を聞いているようだった。ハッキリとは聞こえないが、何を言っているのかは分かる。


 ゆいかはめいが言っていることには取り合わず無言で近付いていく。めいはゆいかなど取るに足りないと思っているのか動かない。ただ、ひたすらにゆいかを睨んでいた。


「鬼だからやっぱ馬鹿なんだね」


「はあ? 何を言って……」


 言葉は続かなかった。素早くゆいかの腕が動き、めいの胸に入ったのだ。さらに、めいの肩を抑え彼女の中から何かを引き摺り出していく。


 めいは言葉になっていない叫びを上げ、ゆいかを殴って遠ざけようとする。しかし、ゆいかは全く意に介さず、暴れれば暴れるほど、めいの中の何かはゆいかの手によって引き摺り出されていった。


「さっさとっ、出て行けっ」


 ゆいかがそう言いながら、なおも引っ張る。めいとゆいかの身体の間、腕の先には鬼が顔を出していた。苦悶の表情を浮かべ、忌々しそうにゆいかを睨んでいる。


 もはや、鬼が言っているのかめいが言っているのか。二つの口からゆいかに対する呪詛が絶え間なく出ていく。


 鬼は中々引き剥がされない。ガムのようにめいと鬼は癒着しており、それをゆいかが無理やり引き剥がしていく。


 ぶちぶちと音が聞こえてきそうな光景。ゆいかがめいの側に踏み込み、叫びながら腕を大きく引いた。


 獣のようにも聞こえたそれに伴い、鬼は完全にめいから引き剥がされ、ゆいかの手からも離れて飛んでいく。


 ガクッと膝を折っためいをゆいかが支えた瞬間、駿の下で暴れていた二人も大人しくなった。


 しかし、それに安心は出来なかった。


 放り出された鬼はベッドの上を転がり、身体を起こすと――駿を見ていたのだ。めいの背中にいたのと同じサイズ。小鬼は目を怒らせ、歯をむき出しにし、濁った黄色の眼で駿を睨みつける。


 鬼が動いたのは、ゆいかが反応するよりも早かった。一直線に駿を目掛けて突っ込んでくる。


 駿は咄嗟に避けることも出来ず、身体を丸めることしか出来ない。


 カエルの鳴き声のような声だった。当たった感触はある、しかし、それだけだった。


 目を開けると、ゆいかが小鬼を捕まえて足で床に押し倒している。


「はい、バイバーイ」


 およそ女子高生と思えない速さで拳を振るい、小鬼の顔面を殴り潰す。その瞬間、風船が弾けるかのように小鬼が膨らみパンッと消滅した。


「さっさと地獄に帰れ」


 ゾッとするほど低い声で言う彼女に駿は唖然とするしかなかった。だが、それも少しの間だけだった。


 たった今見た光景のすべてが意味不明、理解不能であり――絵にするには素晴らしいものだと思った。


 見たことも聞いたこともない光景。それがすべて理解の範疇を超えた常識外。


 身の危険がなくなったと思える状況の安堵感からか、この家に入ってからのことが一気に駆け巡る。


「なにしたんだよ、今……」


「ん? ああ、これは見えたんだ。除霊だよ、除霊。かっこいいっしょ」


 Vサインを見せて、勝利と言わんばかりだった。その明るさに、一気に緊張感がなくなる。一瞬でも、ゆいかを恐ろしいと思ったことがバカバカしくなった。


「もう、大丈夫なの?」


 憑かれていた鬼がいなくなったからなのか、めいの姿は駿の目にもしっかり見えるようになっていた。彼女は椅子に腰かけぐったりとしていた。力なく駿たちを見ている。


「うん、綺麗さっぱり消えたからね。そろそろ下の二人も解放してあげたら? 元凶は断ったからね、もう大丈夫だよ」


 ゆいかに言われて思い出し、駿は恭二と美玖の上から退く。二人は少しして目を覚ましたのだが――めいは恭二と美玖に怯え、ゆいかから離れなくなっていた。


 その姿を見て、ゆいかと共に心配していたのだが、結果は杞憂に終わった。


 鬼がいなくなったというのに、恭二と美玖の態度は変わらなかったのだ。


 厳密に言えば、以前ほどめいに甘々という感じではなかったが、めいに虐待じみたなにかをするようには見えなかった。


 めいもそのことに気付き、違和感を覚えながらも、心配するゆいかと駿をよそに家に残ることを選んだ。


 ゆいかは自分の家に持ち帰る気満々だったようだが、本人が望まないのだからしょうがない。しかし、ゆいかは毎日と言わずとも様子を見に行くようだった。

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