最終話/第8話

 夏休みが終わり、登校初日。


 いまだ燦々にと照りつくの日光の下、他の生徒に混じって登校する。


「駿くんっ」


 バシン、と痛くなるほど肩を叩かれて振り向けば、満面の笑みを浮かべるゆいかがいた。


「やっほ、元気?」


「朝は元気じゃない。……家、こっちの方だったんだね」


「そうだよー、今度、遊びに来る? 可愛い猫ちゃんがいるよ?」


「行ってもいいの?」


「もちろん。めいちゃんにも会わせてあげる」


 あの一件以来、恭二はおろかゆいかやめいにも会っていない。恭二は二、三言、お礼を言われただけで、連絡は取っていなかった。一方でゆいかは、めいを見守る同志だとでも思っているのか、めいと遊ぶ度に写真を送りつけてきていた。


 めいの事をまったく気にしてなかったわけでは無かったが、彼女が見ているなら大丈夫だろうと思っていたため、特に何もしなかった。そもそも、何かあった所で駿にはどうしようもない。


「めいちゃん、駿くんに会いたがってたよ?」


「僕に? ……それは会って大丈夫なやつ?」


「あー……、それは大丈夫。言ってなかったっけ? 結局の所、家族だけみたい。めいちゃんの鬼をくらっちゃうのは」


 めいから小鬼は離れた。従って、駿に認識されるようになったし、家族の妙な言動も治ったはずだった。


 しかし、ゆいか曰く、引き剥がす時に小鬼の断片がめいの中に残ってしまったらしい。しかも、癒着してしまって、とてもではないが引き剥がせないのだとか。無理に引き剥がすと、めい自身の一部まで引き剥がしかねないという。


 だから、そのままにせざるを得ないのだが、その結果めいには妙な力が残ってしまった。


 今の所、家族限定で発動しているその力は、いたって単純なもので、「めいを可愛いと崇めること」。それ一点だけを常時もたらしているのだという。


 皮肉なことに、その力のおかげでめいが家族から軽んじられることはなくなった。むしろ、丁重すぎるくらいに扱われているらしい。


「まあ、何ていうか自業自得な面もあるし、結果オーライ?」


「めいちゃんにとってはそうだろうね」


「まあね」


 校舎に着くと、騒がし過ぎるほどの喧騒が出迎えた。


 ゆいかに、土曜日にめいと一緒に遊ぶことを半ば強引に取りつけられ、階段で別れる。


 校内の静かさが今はない。あの異様としか思ない現象を目の当たりにしても、日常はやってくる。


 教室にはすでに恭二がいた。しかし、どこか様子がおかしい。誰も彼に話しかけない。夏休み前は彼を中心にするぐらいに盛り上がっていたはずなのに、彼は一人で座ってスマホを見ている。


 疑問に思っている内に始業式の時間になり、その後はホームルームの時間になる。


 それが終わると、ほとんどの生徒が部活に向かい慌しくなった。そこでも恭二はやはり一人だった。まるでそこだけぽっかりと穴が空いているかのように、誰も接しない。


 さすがに妙だと思い、駿は恭二に話しかけた。


「恭二、久しぶりだね」


「おお、駿か。久しぶり」


 言動は変っていないように見える。至って普通だ。一体なんでこんなことになっているのか、駿はますます不思議に思った。


「めいちゃんは元気してる? まあ、ゆいかさんから聞いてはいるんだけどね」


「ゆいかさん……」


 恭二は顔を俯かせる。だが、それも少しの間だけだった。


「なあ、駿。駿は彼女と仲がいいんだよな?」


「まあ、ほどほどに」


「じゃあ、駿から言ってくれないか。めいと遊び過ぎだって。あの人のせいで、めいが俺と遊ぶ時間が減ってんだよ。あれは、良くない。とっても良くないな」


 なんだか妙な方向に話が進み、駿は眉根を寄せた。


「遊ぶくらい自由でいいんじゃない? めいちゃんが遊びたがっているんだろ?」


「それもだ。それも良くない。ゆいかさんだけが独占しちゃダメなんだ。めいは愛すべき妹なんだ。誰にも囚われちゃいけない」


 恭二は再び顔を俯かせ、ぶつぶつと言い始める。聞こえてくる内容は、まるで恋人が浮気していて、浮気相手を責めているようだった。


 ――めいを独り占めにするな。なんでゆいかさんが。めいは俺たちの妹だ。


 呪詛のように次々に言葉が漏れ出ている。そこには目の前にいるはずの駿すらも目に入っていないように見える。


「おい、恭二?」


 彼の肩を揺するとハッとした様子で駿を見る。


「悪い、とにかく、ゆいかさんには気を付けるように言ってもらえるか?」


「……ああ、分かった」


 それだけ言葉を交わし、それぞれ部活のため、教室を離れる。


 美術室に入ると、すでに部活のメンバーの大半が居た。その中には、関係ないはずのゆいかもなぜかいる。


「駿くーん。今、君が描いている絵を見せてもらってんだ」


「……勝手に見ないでください」


 キャンバスに載せられた絵の前で彼女はしきりに頷いている。絵をゆいかに見せ話していたらしい女子部員がにやにやとした顔で、その場を離れていく。


 なにやら勘違いしている雰囲気を感じ取り、絵を見せたことも含め、あとで話さなければならないと内心で思う。


「絵よりも、ゆいかさん」


 絵を眺めているゆいかに、駿は今日の恭二の様子を語り、意見を求めた。


「――ああ、それはしょうがないよ。恭二くんは、というより、あそこの家族はめいちゃんに囚われちゃったんだ。彼女が近くにいる限り、元には戻らないだろうね」


「めいちゃんに囚われたって……、どういうこと?」


「言葉の通りだね。めいちゃんのために生きて、めいちゃんが喜ぶことだけをするの。まあ、当のめいちゃんは困惑してて、傲慢になっていないだけマシだけどね」


 めいのためだけに生きる。その言葉を聞いて、駿はようやく今日の恭二の光景が腑に落ちた。


 きっと恭二自体は一点を除いて変わっていないのだ。ただ、すべてにおいてめいを優先するようになったのだろう。どんな状況で何が言われようとも。


「納得したって顔だね。……それよりも絵に名前はあるの? これ、めいちゃん家のことをモチーフにしたでしょ」


「……そんな分かりやすいかな」


 絵に描かれているのは、真っ暗な背景と、中央にある金の鳥籠。さらに、その中には横倒しになった卵がある。卵は中央に罅が入り、手だけが出ていた。しかし、その手は人間ではなく鬼だ。


 卵の罅からは光が溢れ出ており、暗い背景を照らしている。


「タイトルは『鳥籠の卵』」


「そのまんまね」


 雑な言い草に駿はムッとする。その通りなだけに何とも言えない。


「……これは描き直す。今、決めた」


「駿くん、怒った?」


「怒ってない」


 やっぱり、怒ってるじゃん、と言うゆいかを置き去りにし、新たな絵の構想を頭の中で描く。


 背景は今と真逆だ。真っ白な世界。白いのは卵の殻。殻には罅が入り、天井から光が差している。その向かう先にあるのは、鳥籠だ。金色の頑丈なもの。


 かつては卵を閉じ込めていたもの。でも、今は違う。


 いや、最初から違っていたのかもしれない。いつだって鳥籠は殻に覆われていたのだ。ただ、気付いていなかっただけ。


 タイトルは変えない。卵は、鳥籠は、囚われているのは誰なのか。


 きっと出来上がった絵を見た所で当人たちは気付くことはない。


 だが、駿はそれでよかった。


 ただただ、密やかに、あるいは昏い悦びを持って楽しみたいだけなのだから。


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鳥籠の卵 辻田煙 @tuzita_en

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